メモランダム
私は、ある国の、大使夫人の、面接を受けたことがある。定年前、【59歳】リタイアしたら、身の振り方を考えねばと。
ならば、持てる技術を生かした、事をやりたいと。技術には自信があり、色々考え、やはり国外がいいなと考えた。信州、駒ケ根、そして、東京、渋谷、広尾、等、関連施設を訪ねた。健康診断、身体的適応、短期の訓練所入所教育、など受けた。面接当日、3か国語も必須と告げられた。第一、第二、希望国を申請。そして適応する、健康Ok、訓練は一応、終了。自分では、行けると、確信した。当時、技術資格も、持って居り、そして最後の、ポイント、面接。英語、フランス語は、何とかなるだろうと、思っていた。そして、必須の、外国語の面接。東京、広尾で、最終の面接。海外青年協力隊、【JAICA】である。ここで、決定的な、ことが起こった。前出の面接だ。第三国語スペイン語だった。自分の不勉強さを悔やんだ。面接官はスペイン大使夫人。にこやかな笑顔で、スペイン語で話された。スラブ系の、品の良い女性。スペイン語は、全然理解できない。希望国は、ドミニカ、又は、ネパールの2年間。一週於いて、英語、仏語、だった。英、仏語は何とかなると思っていたが、スペイン語はダメだった。当時私は59歳、シニアは65歳まで可。時々、【青年海外協力隊】の新聞記事を見る度、苦い記憶が甦る。ノン・グラッチェ。御機嫌よう🐫
【トルコ.民家を訪問スナップ】
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