うウォーキングを、やってます。

楽しく歩いてますが、小糸川河口から、下湯江、君津駅前方面を歩いています

ウオーキングやってます

2020-08-28 13:06:38 | 日記

ギャンブル

仕事仲間で、鳶の親方が居た。鳶とゆうのは、高い所の作業をする、専門の仕事人であり、縁起を担ぎ、気が荒く、一つ間違うと、今日は、仕事やめた!と、即帰る。そして、朝から、酒の匂いを、ぷんぷんさせて、現場に現れる様な、一団。気分の良い時は、馬鹿話をして、笑わせていた。親方は10人位を、引き連れて、纏めていた。袖口からは、色鮮やかな、入れ墨も見え、皆そうであった。休み時間、待ち時間の間、サイコロ、花札、果ては、通りを通る、次の人間は、男か、女か、を、かけるのである。親方は休みの日、ボートレース、競馬場へと通う。賭け事に関しては、流石と思わせる。競馬やレースがある日は、必ず。競馬予想、新聞競馬欄、を見、気に入らなければ、絶対買わない。一点買いオンリー。検討に、検討を重ねるのだ。通には、「銀行レース」とゆう、言葉がある。月曜日、「鳶の一団は」非常にナゴヤかな、空気で、仕事現場に。夕べ、親方が、BARを貸し切って、飲ましてくれたと。後に、親方から、話を聞いた。【あんちゃん、あのね、勝負のコツは】、チマチマ買うのもいいが、「俺は銀行レース」一本。これだ、思ったら一本だけに、100万、200万とかける。例え、配当が、150円でも、100万買えば、50万、200万買えば100万の、配当になるやろう。【私は腑に落ちた】後に、親方は、数年して、亡くなったと聞いた。太く短く、酒、女、ギャンブル、の人生。人、掌握術の、天才でもあった。【合掌】御機嫌よう🐫

「橋の建設風景」

 

 


ウオーキングやってます

2020-08-26 11:02:33 | 日記

収穫

早朝、チャリンコでドライブは涼しくて、気持ちいい。畦道通ると、もう稲刈りが始まっている。作業は昼間やっているので、知るべくもないが。稲穂はよく見ると、色が違う。うるち米、酒米、もち米、等ある。思い出した、あの色の違う濃くて、茶ろいっぽいのは、もち米だ。子供の頃、親戚のうちに、農繁期、良く手伝いに、行った。田植え、稲刈り。今では様変わり。機械で、やるので、昔のように、一家親族挙げての、稲刈りの人々の、さんざめき、子守手伝い、お昼の弁当運び、牛や馬などお世話。なぜか、そんな忙しさが、楽しくて仕方なかった。もう、そうゆう、風景は、望むべきもないが。田を渡る風、藁のにおい、秋の風景は、一歩一歩深まる。台風のシーズンに入ったが、新型コロナビールス、豪雨被害、今年後半も、被害が無い様に、祈るばかりだ。そして私の毎日の早朝散歩は、日々の楽しみ。御機嫌よう🐕

【ハーバーの客船】


ウオーキングやってます

2020-08-23 22:35:44 | 日記

メモランダム

私は、ある国の、大使夫人の、面接を受けたことがある。定年前、【59歳】リタイアしたら、身の振り方を考えねばと。

ならば、持てる技術を生かした、事をやりたいと。技術には自信があり、色々考え、やはり国外がいいなと考えた。信州、駒ケ根、そして、東京、渋谷、広尾、等、関連施設を訪ねた。健康診断、身体的適応、短期の訓練所入所教育、など受けた。面接当日、3か国語も必須と告げられた。第一、第二、希望国を申請。そして適応する、健康Ok、訓練は一応、終了。自分では、行けると、確信した。当時、技術資格も、持って居り、そして最後の、ポイント、面接。英語、フランス語は、何とかなるだろうと、思っていた。そして、必須の、外国語の面接。東京、広尾で、最終の面接。海外青年協力隊、【JAICA】である。ここで、決定的な、ことが起こった。前出の面接だ。第三国語スペイン語だった。自分の不勉強さを悔やんだ。面接官はスペイン大使夫人。にこやかな笑顔で、スペイン語で話された。スラブ系の、品の良い女性。スペイン語は、全然理解できない。希望国は、ドミニカ、又は、ネパールの2年間。一週於いて、英語、仏語、だった。英、仏語は何とかなると思っていたが、スペイン語はダメだった。当時私は59歳、シニアは65歳まで可。時々、【青年海外協力隊】の新聞記事を見る度、苦い記憶が甦る。ノン・グラッチェ。御機嫌よう🐫

【トルコ.民家を訪問スナップ】

 


ウオーキングやってます

2020-08-21 08:27:08 | 日記

ワイン

私は、アルコールには、余り強くはない。話は古くなる。1971~2年にかけて、ドイツに仕事で、でかけたことがある。

もう冬に入る、11月、寒い。雲は厚く、太陽は、ほとんど顔を出さない。飛行機でパリから、ベルリン・テンペルホフ空港へ。50人乗り位の機だったが、上空に来ると、いきなり急降下、墜落するかと思ったら、着陸。何と言うところだ。当時、ベルリンは、2つに分かれ、東西冷戦の真っ最中の、西ベルリンに下りたのだ。米、英、仏、共同管理の、チェックポイントチャーリーから、東側(東ベルリン)入り、列車で4時間の・ルターシュッタツト・ビッテンベルグ(宗教改革のマルチンルターの町)へ入った。兎に角、工事に入った。コンビナートの一翼、肥料工場を、作るためだ。寒い・日が短い・工事は進まない。(作業員は現地ドイツ人)を使うのであるが、これが、仕事しない。昔、日本に半ドン制度があった。所が、ドイツ人はエライ。つまり、1・5ドン。金曜半ドン、土曜・日曜・休みである。週.4・5日しか働かない。東ドイツ(DDR)はソ連の管理下にある。東ドイツ政府は、遥々【ヤパン】から来た青年たちに、ビール、バナナ、ワイン、コメ(ベトナム米)これには閉口(影の声)牛肉と、好きなだけ用意した。ドイツ人は配給制。ワインはソ連が管理

質が悪く(ソ連はウオッカ以外、酒と思っていない)ワインを飲んだ翌日は、頭がガンガンした。ビールは流石だ。行く村々、町々に、地ビールがあり旨い。ビールが腐る、それ位、品質にこだわり、混ぜ物なし。同じ敗戦国のドイツは、日本人が良く働くと理解すると、途端に良くしてくれた。休日などに田舎に行っても、ヤパン・ヤパン・と言って、招待して呉れた。酷寒のドイツ-20℃迄体感した。遥かなる東ドイツ・D・D・R・ノスタルジアの彼方🐕アウフ・ビターぜン

【世界一短い地下鉄・300mトルコ、イスタンブール】


ウオーキングやってます

2020-08-20 10:44:20 | 日記

肩痛と肩凝り

現役のころから、肩こりと、肩痛がある。肩こりはシップしたり、マッサージで、何とか凌いできた。右利きなのに、左肩が痛む。、おかしい。医者に行くと、ドクターは、にべにもなく、そうゆう方は、良くいます。薬出します。リタイヤしてから、やることが、減ったので、余計、肩こり、肩痛が気になる。たまに、「ピップなんとかバン」等使って居たが、効果のほどは、解らない。で、ある時、「T.V.で通販」をやって居た。ヒマに任せて、少し騙されてみるか!と、注文した。折角お金払ったんだから、使ってみた。いわゆる、首に巻くタイプ。始めうっとうしいな、と思いつつ、使った。1週間たち、10日経つうち、「あれ❢」肩の調子が良いではないか。首も、ぐるぐる回る。能書きには、何とかガウス、磁力が何とか、カンとか。信用してなかった。「そして1ヶ月、2ヶ月」今も、騙されつずけて、肩こりは、解消。少し首周りは、うっとうしいが、今は、手放せなくなった。頑固おやじのナットク。たまには、騙されるのも、いいもんだ。メーカーのマワシもん・・・興味ある御仁は、QUeStIon.あれ😎御身大切に❢

「温水プールで」