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上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

得したこと

2025-05-25 17:08:29 | エッセイ

「これまでの人生で得をしたことってありますか?」
もしこんな質問をされたら、ぜひ答えたいと思っていることがある。
 60年後半から70年代に青春期をすごした私たちは、
ほとんどの電化製品の誕生から普及までを自分自身の成長の過程で見て育ったことだ。
 もののない時代も今のように物があふれる時代も知っていることで、
どんな場面に出くわしても融通が利く生き方ができるのではないかと思っている。

 私が物心がついた頃に我が家にあった電化製品といえば、
暗めの照明器具とラジオ、そして小さな扇風機ぐらいだったろう。
 電話器も黒色のハンドル付きで、ハンドルを回すと電話交換手(当時の花形職業)が出て、
相手の番号を伝えてつないでもらうというアナログ世界。
 ダイヤル式でカラー電話が出回り始めた時にはぶったまげてしまった。

 白物家電が我が家にやってきたのは、電気洗濯機、白黒テレビ、電磁冷蔵庫の順だったか。
いわゆる主婦にとっての三種の神器だ。
 それまで洗濯物は、母が外の炊事場ですべて手洗い。
手がちぢかむような寒い日も暑い日もたらいに洗濯板を置いて、
家族全員の洗濯物をゴシゴシもみ洗いし、2回ほどすすぎ洗いをしたら手で固く絞り上げ、干していくという重労働だった。

 洗濯機はそれを一度にやってくれるのだから、暮らしの革命とも言われたわけである。
 さらに洗濯機の横には手回しの脱水器がついていて、洗った洗濯物を1枚ずつ通すと、
せんべいのようにペッタンコになって出てきた。当初はそれが面白くて、
きょうだいで順番に脱水器を回させてもらったものだ。
 ただ、さすがに母はこれでは生地が傷みそうだとあまり使ってなかったと思う。

 白黒テレビは当時、娯楽の王様。
  実家は地方の田舎町でチャンネルは2つほどしかなかったが、
夕食が終わるとテレビの部屋に集まって家族全員で楽しみに観ていた。
当時はプロレスが人気で、住み込みの職人さんたちも縁側に腰掛け、一緒に楽しんでいた光景は今も思い出す。

 近所でもお金持ちの家では早々とテレビが備え付けられ、
夕方になると兄と2人でお向かいの家に「テレビを見せてください」と行っていた幼い頃の思い出もある。
そんなのどかな時代だった。

 電気冷蔵庫はそれほど感激しなかったかもしれない。それまでは木製の冷蔵庫で、
氷屋さんが毎日「まいど!」と30センチほどの四角い氷を配達してくれていて、
それがなくなるほうが寂しかった気がする。
 ただし母からすれば、それまで流水で冷やしていたスイカや麦茶、保存がきかないお肉に魚、卵など
電気だけで長持ちできるようになったのだから相当嬉しかっただろう。
その間にはプロパンガスのコンロも登場して、母の朝の仕事はずいぶん楽になった。

 のちには、電気ゴタツ、電気掃除機、クーラー、エアコン……が登場して、
主婦の過酷な手仕事も機械に任せる近代的なものへと変わっていた。
その頃は私たちも電気製品化されることに徐々に慣れていった気がする。
 ただ電気ゴタツができるまで、冬場になると毎朝、母の手で練炭や豆炭の火が起こされコタツを温めていたのだ。
洗濯もそうだが、今では想像もできないほどの親の仕事ぶりを知っていることは、
自分が窮地に陥った時など、踏ん張る力になってくれる気がするのだ。
それも電化製品が登場した時代を知っているからこそ。
 そうした体験ができたこと、つまり暮らしの革命の中で育ってきた私たちは
その時々で喜びや感動を得て貴重な体験してきたのだから、
どちらにせよ大きな得をしたことに間違いないだろう。
                           (つづく)

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