実家を出て一人暮らしを始めた学生時代。
民間の4畳半の学生寮に置いていた電化製品といえばラジオと電気ゴタツぐらい。
持ち物も、小さなタンス一つと最小限の食器、鍋類。文化的なものは、
後に先輩から1万円で譲ってもらったギター1本だった。
洗濯は手洗いで冷蔵庫もなく、今から思えばどのようにして暮らしていたのだろうと思う。
徒歩で大学に向かい、部活で夕方まで過ごし、それまで出会ったことのない多種多様な先輩や友人たちに揉まれ、
さまざまなアクシデントに出会い、毎日笑ったり泣いたりしながら慌ただしく過ごしていた記憶しかない。
目の前には青い空がどこまでも広がって、新しい出来事が次々と押し寄せてきて、何の不自由も感じす、
時間はあったという間に過ぎていった。
2回生の時には京都のジャズ喫茶でバイトをした。
当時のジャズ喫茶は、本当にジャズ好きな人たちが静寂の中で音に浸り、ただただ耳を傾ける場だった。
それまでジャズとはまったく縁もなく知識もなかった私は、若さゆえの怖いもの知らずの精神のみ。
ただ注文の飲み物を運び、リクエスト曲があれば曲のリストノートをお客さんに見せて指してもらい、
なんとかクリアできていた。岡崎のコンサート会場で出演を終えたあの日野皓正氏やマルウォルドロンがフラッと立ち寄って、突然の生演奏に驚かされた経験もある。
ありがたいことにそれ以来、ジャズはずっと身近にある。お陰で身近な電化製品はステレオ。
それも時代の波に押されてレコードプレイヤーは手放してしまい、今はコンポになってしまった。
夫もかなりのジャズマニアで、我が家にはある程度のLPレコードが眠っている。
つまり最近は手軽にCDばかりか、もっと手軽にパソコンやスマホで聴くことも増えてきた。
しかし、LPレコードの温もりと深みのある音は今でも聴きたくなる。
電化製品も冷蔵庫や炊飯器などの白物家電に対して、テレビやオーディオデッキなどは黒色が中心で黒物家電というようだ。
パソコン類は家電に入るのかどうか定かではないけれど、「書く」という仕事では個人的に大きな変化を体験してきた。
コピーライターとして仕事をするようになって、原稿用紙に文字を埋めることは大きな喜びだった。
納得のいくコピーができるまで、頭や心どころか身体中で悪戦苦闘。
原稿用紙にお気に入りのモンブランの万年室で清書するときは心が躍ったもの。マスの大きさやインクの色にもこだわった。
コピーからインタビューものに移行していたころ、「手書きより随分ラク」、
「段落ごと移動ができて便利よ」と勧められたのがワープロだ。
確かに仕事は捗り、書き上げた原稿は何枚もの原稿用紙ではなく、1枚のフロッピーディスクに収まった。
ワープロを使い始めて何台か消耗したころ、コンピューターなるものが我々フリーランスのライターにまで普及してきた。「もうワープロなんて古すぎる」「驚くほどの機能がついて、そのまま原稿も遅れるよ」
と勧められ手にしたのが、可愛いブルーの「アイ・マック」だった。世の中の98%はWindowsだったけれど、仕事柄マックを選択。時代を調べてみると1998年だ。
そのアバンギャルドなデザインは話題になったけれど、もうフリーズするわするわ。
小型テレビ大のimacを両手に抱え、日本橋の電気屋に何度駆け込んだことかわからない。
それから数年してノート型の「マックブック」に変更して、もう5〜6台買い換えている。
その間に2人の娘は成人し、それぞれの道を歩み始めた。
電化製品の過渡期を経験してきた身として、驚いているのが最近のZ世代を中心にしたレトロブームだ。
不便で不完全な過去にひかれるのだとか。
そういえば街で昭和風の服装の若者を時々見るし、純喫茶も人気だそう。
またレコード文化が再燃して、LPレコードの売り上げがCDを上回っているようなのだ。
デジカメやスマホではなくフィルムカメラとか、
手書きのためのガラスペンや万年室も人気と聞くと、なぜか嬉しくなってきた。
人にはやはり手間をかけることでの心の落ち着きや温もり、出会ったことはなくてもノスタルジックな感覚は
母の懐にいるような優しさを生み出してくれるのだろう。
固定電話しかなかった時代から、コードレス電話へ、さらにはどこでも電話できる携帯電話からスマホへ。
文字に託していた言葉が、話して伝わるようになり、今では感情が伝わらない電子文字になって、
相手の都合などお構いなく、どこからでもメールできる。
何もかもがあまりに便利過ぎて、素っ気なくて、
Z世代は「便利=豊か」ではないと気づいたのかもと言われたら本当に嬉しくなってきた。
不便な時代も便利な時代も体験できている私たち世代はやっぱり得した気分になってくる。
それにしても白物家電が出回る前の女性の働きぶりを知ったら、
今の女の子たちはぶったまげるどころではないだろう。
ちなみにぶったまげるの語源は
「たまげる=魂消る」、つまり魂が消えてしまうぐらいの思いをすることだそうだ。
民間の4畳半の学生寮に置いていた電化製品といえばラジオと電気ゴタツぐらい。
持ち物も、小さなタンス一つと最小限の食器、鍋類。文化的なものは、
後に先輩から1万円で譲ってもらったギター1本だった。
洗濯は手洗いで冷蔵庫もなく、今から思えばどのようにして暮らしていたのだろうと思う。
徒歩で大学に向かい、部活で夕方まで過ごし、それまで出会ったことのない多種多様な先輩や友人たちに揉まれ、
さまざまなアクシデントに出会い、毎日笑ったり泣いたりしながら慌ただしく過ごしていた記憶しかない。
目の前には青い空がどこまでも広がって、新しい出来事が次々と押し寄せてきて、何の不自由も感じす、
時間はあったという間に過ぎていった。
2回生の時には京都のジャズ喫茶でバイトをした。
当時のジャズ喫茶は、本当にジャズ好きな人たちが静寂の中で音に浸り、ただただ耳を傾ける場だった。
それまでジャズとはまったく縁もなく知識もなかった私は、若さゆえの怖いもの知らずの精神のみ。
ただ注文の飲み物を運び、リクエスト曲があれば曲のリストノートをお客さんに見せて指してもらい、
なんとかクリアできていた。岡崎のコンサート会場で出演を終えたあの日野皓正氏やマルウォルドロンがフラッと立ち寄って、突然の生演奏に驚かされた経験もある。
ありがたいことにそれ以来、ジャズはずっと身近にある。お陰で身近な電化製品はステレオ。
それも時代の波に押されてレコードプレイヤーは手放してしまい、今はコンポになってしまった。
夫もかなりのジャズマニアで、我が家にはある程度のLPレコードが眠っている。
つまり最近は手軽にCDばかりか、もっと手軽にパソコンやスマホで聴くことも増えてきた。
しかし、LPレコードの温もりと深みのある音は今でも聴きたくなる。
電化製品も冷蔵庫や炊飯器などの白物家電に対して、テレビやオーディオデッキなどは黒色が中心で黒物家電というようだ。
パソコン類は家電に入るのかどうか定かではないけれど、「書く」という仕事では個人的に大きな変化を体験してきた。
コピーライターとして仕事をするようになって、原稿用紙に文字を埋めることは大きな喜びだった。
納得のいくコピーができるまで、頭や心どころか身体中で悪戦苦闘。
原稿用紙にお気に入りのモンブランの万年室で清書するときは心が躍ったもの。マスの大きさやインクの色にもこだわった。
コピーからインタビューものに移行していたころ、「手書きより随分ラク」、
「段落ごと移動ができて便利よ」と勧められたのがワープロだ。
確かに仕事は捗り、書き上げた原稿は何枚もの原稿用紙ではなく、1枚のフロッピーディスクに収まった。
ワープロを使い始めて何台か消耗したころ、コンピューターなるものが我々フリーランスのライターにまで普及してきた。「もうワープロなんて古すぎる」「驚くほどの機能がついて、そのまま原稿も遅れるよ」
と勧められ手にしたのが、可愛いブルーの「アイ・マック」だった。世の中の98%はWindowsだったけれど、仕事柄マックを選択。時代を調べてみると1998年だ。
そのアバンギャルドなデザインは話題になったけれど、もうフリーズするわするわ。
小型テレビ大のimacを両手に抱え、日本橋の電気屋に何度駆け込んだことかわからない。
それから数年してノート型の「マックブック」に変更して、もう5〜6台買い換えている。
その間に2人の娘は成人し、それぞれの道を歩み始めた。
電化製品の過渡期を経験してきた身として、驚いているのが最近のZ世代を中心にしたレトロブームだ。
不便で不完全な過去にひかれるのだとか。
そういえば街で昭和風の服装の若者を時々見るし、純喫茶も人気だそう。
またレコード文化が再燃して、LPレコードの売り上げがCDを上回っているようなのだ。
デジカメやスマホではなくフィルムカメラとか、
手書きのためのガラスペンや万年室も人気と聞くと、なぜか嬉しくなってきた。
人にはやはり手間をかけることでの心の落ち着きや温もり、出会ったことはなくてもノスタルジックな感覚は
母の懐にいるような優しさを生み出してくれるのだろう。
固定電話しかなかった時代から、コードレス電話へ、さらにはどこでも電話できる携帯電話からスマホへ。
文字に託していた言葉が、話して伝わるようになり、今では感情が伝わらない電子文字になって、
相手の都合などお構いなく、どこからでもメールできる。
何もかもがあまりに便利過ぎて、素っ気なくて、
Z世代は「便利=豊か」ではないと気づいたのかもと言われたら本当に嬉しくなってきた。
不便な時代も便利な時代も体験できている私たち世代はやっぱり得した気分になってくる。
それにしても白物家電が出回る前の女性の働きぶりを知ったら、
今の女の子たちはぶったまげるどころではないだろう。
ちなみにぶったまげるの語源は
「たまげる=魂消る」、つまり魂が消えてしまうぐらいの思いをすることだそうだ。