上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

5月 ポツンと一軒家

2020-05-23 09:29:40 | エッセイ

「ポツンと一軒家」というテレビ番組がある。
番組で紹介されるのは、
ディレクターらしき人が人里離れた山の奥に入り、
さらに奥に続く細い一本道を車で走って走って、
それでも道に迷いながら、ようやく行き着くような山奥の一軒家だ。

そこまではいかないが、母方の実家はそんな場所にあった。
私の実家も、岡山県南西部にある田舎町だが、そこからさらに北部に向かってバスで40分。
今、人気のお笑いコンビ「千鳥」のノブさんの実家もこの近辺らしいが、
バスから降りても、さらに山道に入って40分余り歩くのだ。
ひと山超えて、やっとたどり着くような場所にあった。

幼い頃、姉2人に兄1人の私たち4人きょうだいは、
その「奥のおばあちゃん家」に行くのが楽しみで、40分の道のりもワイワイガヤガヤ。
道端の木々の葉っぱで遊んだり、少しでも早く行こうと走りっこをしたり。
大きな水たまりもあれば、カエルやバッタ、カタツムリ等などもいた。
道の向こうに続く広い畑で作業をする、ほっかむりをしたおじさんやおばさんが、
クワを持つ手を休めて、私たちの賑やかな行進を眺めておられた姿は、今になっても思い出される。

歩いて歩いて、山のてっぺんらしきところを少し下ると、
遠くに、おばあちゃんが門の前に立って、私たちを待ってくれている姿が見えるのだ。
「おばあちゃ~~ん!」と手をふり、駆け寄ると、
「みんな、よう来たなあ!」とこぼれるような笑顔で迎えられる。
そして、何よりも実家に帰った母がいちばん嬉しそうだった。

「奥のおばあちゃん家」には、門の横に馬小屋があって、馬が1頭。
門を入って、すぐ左手に「離れ』と独立した「お風呂」があった。
右手の馬小屋の奥には、牛小屋があって大きな牛がここにも1頭。
その奥に、土間風の玄関があって、そこに私たちはドタバタと駆け込むのだ。

前の庭は脱穀などの農作業がしやすいように広々としていて、向かって奥には蔵があり、
母屋の下では数匹のウサギが飼われていた。
庭にはヤギがつながれ、離れの下には広いニワトリ小屋もあった。
かつての農家の典型的な姿だったのだろうか。

私たちきょうだいは、横にある畑のスイカやトウモロコシを取りに行ったり、採れたての野菜を運ばせてもらったり。
秋には少し離れた栗林で栗拾いをしたこともあった。

豪快で厳格だった祖父は、山に狩りにも出かけていた。
人の何倍も大きい声の持ち主で、
お風呂に一緒に入ると、兄と私の背中を痛いほど洗ってくれたっけ。
もちろん口答えなど絶対できない人だった。

恵まれた自然、時には過酷な自然と365日、早朝から日の入りまで淡々と向き合う暮らしだ。
私たちには想像もできないほどの苦労があっただろうに、
いつも和やかで豊かな時間が流れていた。

今は亡き、祖父母、父と母に、心の中で尋ねている私がいる。
「もし今の時代にこの場所で暮らせたら、新型コロナウイルスなど気にしなくてよかったですか?」と。
おかしな話だが、
祖父が村の村長さんだったと人伝に聞いたのは、私が高校生の時である。 
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5月 日日是好日

2020-05-08 21:24:08 | エッセイ
コロナ禍で家にいる時間が増えたことで、
これまでやりたくても後回しにしてきたことを始めている。
見逃した映画をアマゾンビデオで観るのも、そのうちの一つ。

ゴールデンウィーク中に、「日日是好日」を観た。
2018年、森下典子さんのエッセイ『日日是好日』を映画化したものだ。
主演は、樹木希林さんと黒木華さん。
ストーリーはともかく、
観終わった時、「やっぱり、そうやなあ」という思いを強くした。

映画は、茶道を通して四季の移ろいを見せてくれる。
折々の風や雨、雪、木々のざわめきなど、
自然が奏でる音一つひとつが微妙に違うことに気づかせてくれるのだ。

観ているだけなのに、いつの間にか耳を澄ませている自分がいて、
茶釜にそそぐ「水」と「お湯」の音でさえ違いがあることに気づいて、一人で感動したりする。
また、季節ごとに取り変えられる部屋のしつらえが、母や父と暮らした幼い頃を蘇らせてくれた。

人は暮らしながら、毎日毎日同じことを繰り返す。
それをマンネリという人もいるけれど、
それを丁寧に丁寧に繰り返すことに幸せを感じたりするものなのだ。

新型コロナウイルスの影響で、つい2〜3ヶ月前までの生活が一変してしまった今。
友人と集まって、ワイワイしゃべりあった日が懐かしい。
大きなトランクを引っ張りながら旅行に出た日が遠い昔のことのよう。
同じ志の人たちと、「ああでもないこうでもない」と論じ合った日は本当にあったことなのか。
コンサートで感動して涙を流した日も、
人であふれるデパートの食品売り場を、重い荷物を抱えて人の間をぬうように歩いた日も。

こんな時期だからこそ、
映画の中の「何気ない日常が繰り返されること」のありがたさを重く感じたのかもしれない。

「日日是好日」は、禅語の一つだそうだ。
映画は、毎日が好い日となるよう、出会う人と一期一会の気持ちで接することを教えてくれる。
「日日是好日」には、
「一瞬一瞬を精一杯生きる。その積み重ねが一日の好い日となる」という解釈も。
また、
「日々に一喜一憂するのではなく、あるがままを好しとして受け入れる」という意味もあるらしい。

スタイルは多少変わっても、みんなが笑顔で出会える日を静かに待とうと思った。
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