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上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

冷や汗

2025-03-23 11:52:06 | エッセイ

駅からの帰り道、
春を目前にして、梅が満開の家もあれば、
ミモザの木が鮮やかで思わず振り返ってしまう家もある。
歩き慣れた道も季節とともにいろんな顔を見せてくれると、
のんびり歩いていた。

その途中、5〜6軒の新しい住宅地を歩きながら、
ここはほんの数年前までは駐車場で、
その前はサツマイモ畑だったことを思い出した。
娘が小さい頃、お友だちと楽しそうに芋掘りをしたこともあったなあーと
懐かしい思いで歩いていたら、イヤな記憶も蘇った。

以前、そこでひったくりに遭ったのだ。
梅田で幼馴染みの友人とご飯を食べて、いっぱいしゃべって地元駅に着き、
のどかな気分で歩いていた時、
左手に持っていたバッグを瞬間にひったくられた。
そして、
高校生ぐらいの男の子2人乗りのバイクが横を走り抜けていったのだ。
自分でも驚いたけれど、「ドロボー!」と叫んでいた私。
頭が空白になって、それでもバッグの中身を
財布、携帯、通帳、カギ……と復唱していた。

そこから自宅マンションまで必死で歩いて帰ろうとするのだが、
転びはしないものの、足が思うように運ばず、
冬だというのに妙な汗をかいていた。
到着してからは管理人室へ直行し、事情を話して警察に連絡してもらった次第だ。

その冷や汗ついでに、
もっと冷や汗をかいたことがあったなと思い出した。
新大阪、新幹線のプラットホームを走り回ったあの日のことだ。

数年前、ある医師との共著で平穏死の本を書かせてもらったことがあった。
在宅介護で平穏死を体験した家族のルポと、
その医師の説く平穏死のためのノウハウをまとめた内容だ。
すべて書き上げ、出版社から送られてきた初稿に、
その医師に最終チェックをしてもらい、
朱の入った(チェック済みの)初稿を新大阪駅の改札で受け取る約束だった。

ところが、約束の時間になっても医師は現れない。
新幹線の発車時間は決まっているため、
イライラしながら待っているとメールが入った。
診察に時間をとられて電車に乗り遅れたため、
新幹線のホームの○号車あたりまで来てもらえないかという内容だった。
私はあわてて入場券を求め、ホームに走った。
もう時間が迫っていたのだ。

医師が乗るはずの新幹線はすでにホームに入っていて、
私はさらにあわてて○号車あたりまで走った。
でも、どこにも医師の姿はない。
もう発車のベルが鳴り出しているのに、
医師は見つからないままドアがしまって、新幹線は走り出した。
「えっーーーー!」
数多くの見送り客も散るように去っていく。

「どうなってんのーーー? どうしようーーー!」
そこへ、電話が入った。
「新幹線の乗り換えもギリギリになってしまって、飛び乗った。何号車のそばの柱に茶封筒入りの原稿を置いてるから!」と。
「わかりました!」と答えている私。
すぐさま、指定の場所の柱に駆け寄ったが、どこにも茶封筒などなかった。

もしかして、次の柱かもと思いながら探し回り、
あり得ないのはわかっているのにホームの端まで走って1本1本の柱の近辺を見て回った。
息を切らしながら、かなりの距離を往復しと思う。
その間、医師から何度電話が入ったことだろう。
「どうしよう!」
私は呆然としながら、誰一人いない静か過ぎるホームに立ち尽くした。

その時、アレ?と気づいたのが、
ホームの端に建つ小さなプレハブ風の小屋だ。
「誰か人がいるかも」などと考えていると、
そのドアがスーと開いて、清掃の係りらしき人が現れた。
これこそ、藁にもすがる思いである。
「すみません、このホームで探し物をしているんですが、茶封筒とか置いてなかったでしょうか?」

その人は私の全身を見て一呼吸おき、ゆっくり聞いた。
「中に何が入ってるんですか?」
「本の原稿です! 何ページもある原稿です!!」
その人は何も答えず、ゆっくり小屋の中に入ると、茶封筒を持って出てきた。
『えーー、あった!』
「原稿が入っているので、確認してください!」
叫ぶ私。
その人は、またゆっくり封筒の中身を確認したと思うと、
「本来なら本部に連絡しなあかんけどな……」
そう言いながら、封筒を手渡してくれた。
「あ、ありがとうございますーーー!」

『どこにありましたか?』と聞きたかったが、言葉にはできなかった。
そのおじさんがまさかキリストには見えなかったけれど、
まさに救世主。
私は嬉しくて何度も何度も頭を下げていた。

もう汗びっしょり。
これが冷や汗でなかったら何だろう。
平静を装いながらホームのエレベーターを降り、
新大阪の構内を行き交う人たちみんなに、
「大切な原稿がありました!!」と
叫びたいくらい気持ちだけが高揚していた。
コメント
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