駅からの帰り道、
春を目前にして、梅が満開の家もあれば、
ミモザの木が鮮やかで思わず振り返ってしまう家もある。
歩き慣れた道も季節とともにいろんな顔を見せてくれると、
のんびり歩いていた。
その途中、5〜6軒の新しい住宅地を歩きながら、
ここはほんの数年前までは駐車場で、
その前はサツマイモ畑だったことを思い出した。
娘が小さい頃、お友だちと楽しそうに芋掘りをしたこともあったなあーと
懐かしい思いで歩いていたら、イヤな記憶も蘇った。
以前、そこでひったくりに遭ったのだ。
梅田で幼馴染みの友人とご飯を食べて、いっぱいしゃべって地元駅に着き、
のどかな気分で歩いていた時、
左手に持っていたバッグを瞬間にひったくられた。
そして、
高校生ぐらいの男の子2人乗りのバイクが横を走り抜けていったのだ。
自分でも驚いたけれど、「ドロボー!」と叫んでいた私。
頭が空白になって、それでもバッグの中身を
財布、携帯、通帳、カギ……と復唱していた。
そこから自宅マンションまで必死で歩いて帰ろうとするのだが、
転びはしないものの、足が思うように運ばず、
冬だというのに妙な汗をかいていた。
到着してからは管理人室へ直行し、事情を話して警察に連絡してもらった次第だ。
その冷や汗ついでに、
もっと冷や汗をかいたことがあったなと思い出した。
新大阪、新幹線のプラットホームを走り回ったあの日のことだ。
数年前、ある医師との共著で平穏死の本を書かせてもらったことがあった。
在宅介護で平穏死を体験した家族のルポと、
その医師の説く平穏死のためのノウハウをまとめた内容だ。
すべて書き上げ、出版社から送られてきた初稿に、
その医師に最終チェックをしてもらい、
朱の入った(チェック済みの)初稿を新大阪駅の改札で受け取る約束だった。
ところが、約束の時間になっても医師は現れない。
新幹線の発車時間は決まっているため、
イライラしながら待っているとメールが入った。
診察に時間をとられて電車に乗り遅れたため、
新幹線のホームの○号車あたりまで来てもらえないかという内容だった。
私はあわてて入場券を求め、ホームに走った。
もう時間が迫っていたのだ。
医師が乗るはずの新幹線はすでにホームに入っていて、
私はさらにあわてて○号車あたりまで走った。
でも、どこにも医師の姿はない。
もう発車のベルが鳴り出しているのに、
医師は見つからないままドアがしまって、新幹線は走り出した。
「えっーーーー!」
数多くの見送り客も散るように去っていく。
「どうなってんのーーー? どうしようーーー!」
そこへ、電話が入った。
「新幹線の乗り換えもギリギリになってしまって、飛び乗った。何号車のそばの柱に茶封筒入りの原稿を置いてるから!」と。
「わかりました!」と答えている私。
すぐさま、指定の場所の柱に駆け寄ったが、どこにも茶封筒などなかった。
もしかして、次の柱かもと思いながら探し回り、
あり得ないのはわかっているのにホームの端まで走って1本1本の柱の近辺を見て回った。
息を切らしながら、かなりの距離を往復しと思う。
その間、医師から何度電話が入ったことだろう。
「どうしよう!」
私は呆然としながら、誰一人いない静か過ぎるホームに立ち尽くした。
その時、アレ?と気づいたのが、
ホームの端に建つ小さなプレハブ風の小屋だ。
「誰か人がいるかも」などと考えていると、
そのドアがスーと開いて、清掃の係りらしき人が現れた。
これこそ、藁にもすがる思いである。
「すみません、このホームで探し物をしているんですが、茶封筒とか置いてなかったでしょうか?」
その人は私の全身を見て一呼吸おき、ゆっくり聞いた。
「中に何が入ってるんですか?」
「本の原稿です! 何ページもある原稿です!!」
その人は何も答えず、ゆっくり小屋の中に入ると、茶封筒を持って出てきた。
『えーー、あった!』
「原稿が入っているので、確認してください!」
叫ぶ私。
その人は、またゆっくり封筒の中身を確認したと思うと、
「本来なら本部に連絡しなあかんけどな……」
そう言いながら、封筒を手渡してくれた。
「あ、ありがとうございますーーー!」
『どこにありましたか?』と聞きたかったが、言葉にはできなかった。
そのおじさんがまさかキリストには見えなかったけれど、
まさに救世主。
私は嬉しくて何度も何度も頭を下げていた。
もう汗びっしょり。
これが冷や汗でなかったら何だろう。
平静を装いながらホームのエレベーターを降り、
新大阪の構内を行き交う人たちみんなに、
「大切な原稿がありました!!」と
叫びたいくらい気持ちだけが高揚していた。