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上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

12月 母親になって後悔?

2022-12-14 17:07:37 | エッセイ

『母親になって後悔してる』という本が話題になっている。
昨夜、NHKの番組で取り上げていたのだが、
ちょうど「母親だけに子育てを押しつけていませんか?」といった内容の原稿を書いていて、
タイムリーだったこともあり、注目してしまった。

NHKの調査では、現在子育て中の母親の3人に1人が
「母親にならなければよかった」と後悔しているという。
ただ、7割の母親が子どもを愛しているということで、なるほどと思った。
多くの母親が子どもは可愛いけれど、社会の中での「母親という存在」に後悔しているのだ。

古い時代から位置づけされてきた母親像、
あるいは子どもの頃から刷り込まれてきた母親像。
子どもを産み、夫を立て、家事をこなし、いい子に育て、
どんな辛さも乗り越えていく……のが、良いお母さんと。
子どもを産めば、自然にできていくのが母性だと。

私が子育てをしていた40年前を思い出してしまった。
当時も私の周りでは多くの女性がフルタイムで働いていたが、
誇りを持って専業主婦をしている人も多かった時代。

2人の子どもを育てながら細々とでも仕事を続けていると、
「大事な子育て中に、そんなに仕事が大事なの?」
「三つ子の魂百までと言われるように、3歳までは子育てに専念しなさいよ」
「母性があればできるものよ」
と、身近な人によく言われたものだ。
それでも私が仕事を続けられたのは、フリーランスで何事にも融通がきいたことと、
仕事をすることに夫の理解があったからからだと思う。

好きな仕事を見つけ、困難を抱えながらも生きていく自分の人生。
その途中に母親となって子育てが新たに加わり、
その育児や家事のすべてが母親だけに集中して、その成果まで求められては、
心身ともにパニックになって当然だろう。

私がかつて、ある人から言ってもらったように、私も言いたい。
「お母さんが好きなことを一生懸命していたら、子どもはその背中を見ているはずよ」
今はSNSを通して、人の子育ても目に見える時代だけれど、
人のことなんて気にしないで。

よく本人が変わらなければと言われるけれど、
変わるべきなのは、父親の子育てへの意識や社会の子育てへのやさしい眼差し。

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11月 介護の地域格差

2022-11-24 11:42:31 | エッセイ

仕事柄、話題性のある介護現場を取材することが多い。
特にタイムリーだったり、ユニークな情報はいち早く取材して記事にしたいと思ってしまう。

自分自身が高齢になるにしたがって、在宅介護には特に興味を持って取材してきた。
シングルで要介護度4の母親を小規模多機能施設に預けながら、
フルタイムで大手企業で働いている女性や、
高齢ながらさまざまな介護サービスを上手に利用して、
要介護5の夫の介護を続けている女性、
早くから若年性アルツハイマーになった妻を仕事と両立しながら、
前向きに在宅介護している男性介護者など。
「介護保険を上手に利用して前向きな介護をしましょう」的に紹介してきた。

ところが、だ。
コロナ禍でなかなか帰れなかった故郷を久々に訪れ、
高齢の知人が認知症の夫を在宅介護している実態を知った。
地方の田舎町のこと。
在宅介護という認識は全くない。
しかも、介護する知人は2本の杖が必要なほど股関節を痛めている。
それでも、
地元の地域包括センター所属のケアマネジャーが手配しているのは
夫のデイサービスの利用だけ。

生活の援助をしてもらえる訪問介護や、
訪問リハビリ、訪問入浴介などのサービスも聞いたこともないと話す。
介護者が介護の余裕がなくなった時などに使える
ショートステイ(施設に2〜3日泊まる)など、もちろん知らなかった。

さまざまなサービスを利用しての在宅介護が成り立っているのは、
都市部だけの話だったのかもしれない。
介護や介護保険についてのわかりやすい本も多数出ているのに、
現実の暮らしは介護保険制度ができる前の生活とあまり変わりなかったことに
驚かされてしまった数日だった。

今、私たちは何をするべきなのだろう?
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9月 やってきた「老い」

2022-09-24 17:00:53 | エッセイ


この夏はずっと1冊の本の執筆にかかっていた。
集中力のない私が、時間が限られていたことで、やっとながら書き終えられたのだと思う。

テーマは「老い」について。
親愛なる知人が突然の手術や入院を機に考えた、
老いを上手に受け入れる手立てなどをまとめたものだ。

私はライターとして、ずっと机に座ってパソコンと向き合っていたせいか、
自分自身が老いを痛感する結果になってしまった。

初夏のある日、肘までの右腕だけに赤い発疹が出た。
皮膚科で蕁麻疹と診断され、「何か思い当たるストレスがありますか?」と聞かれた。
「あります!」と心の中で叫ぶ。
できれば、
「思うように筆が進まないんです。どうにかしてください!」と言いたかった。

続いて、急に右股関節が痛みだし、階段を上がるのが困難になった。
時間がないと焦りながら、常に3時間待ちの整形外科へ。
そこでは、「股関節に少し炎症があります。運動不足など思い当たることはありますか?」と聞かれた。
医師に、「机に座りすぎていました」と答え、
毎日行う簡単ストレッチを教えてもらった。
救いは、骨密度だけは若い人並に高数値だったこと。

もちろん運動不足もあるだろうが、両方とも原因は完全に「老い」なのだ。
「何十年も生きてきたんだから、少し歪んだ生活をすれば、体のどこかに異変は起きるよ」
と、何の意味もない言い訳を考えながら、
「せっかく30年以上ヨガを続けてるんやもん、家でもっとやろうよ」
「以前みたいにウォーキングしようよ」
と、自分に喝を入れてみる。

しかし、少々頑張ってみても、治るにも時間がかかるのを実感。
ある医師に聞いた言葉が蘇ってきた。
「年齢がいくほどに、何事も完治を目指すより、折り合いをつけながら暮らすことも大切やで」
今になって、「なるほど!」と納得している。
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7月 満開のひまわり

2022-07-29 20:03:01 | エッセイ
もう7月も終わろうとしている。
外出の帰り、近くの小さな公園を通ったら、10数本ある百日紅(さるすべり)の花が満開だった。
紫、淡紫、紅、白……重なるような淡い彩りの花々が、
暑すぎる青い空に向かって対抗するように涼やかに咲き誇っていた。
流れる汗を拭きながら、
遠い昔に観た映画のことを思い出した。

「ひまわり」だ。
学生時代、東京の大学に進んだ高校時代の友人たち男女5〜6人と久しぶりに会うことになったのだ。
新幹線で東京へ。
場所はどこだったか覚えていないが、有楽町あたりか。
再会を喜び、近況を聞きながら喫茶店でしばらく話し込んだが、それほど話が続かず、
映画でも観ようかと何も考えずに入ったのが「ひまわり」だった。

第二次世界大戦の最中、結婚したばかりの夫マルチェロ・マストロヤンニがロシア戦線へ送り込まれる。
妻ソフィア・ローレンは、行方不明になった愛する夫の無事を祈り、国境を越えモスクワへ。
異国の地でやっとたどり着いたそこには、別の妻と可愛い子どもまでいて……。

映画の中で妻が夫を探し回って歩くのが、圧倒されるような壮大なひまわり畑。
哀愁を帯びたテーマ曲が流れ続けるなかで、
大画面を埋め尽くす無数のひまわりが太陽に向けてその輝きを放つ一方で、
不安と悲しみに我を忘れて走り回る妻。

戦争によって引き裂かれる夫婦の愛、そして、親子、友人同士の愛。
若い私には、妻ソフィア・ローレンが切なすぎて、美しすぎて、
深い夫婦愛など全くわからないまま、
戦争の卑劣さに思いを馳せることなく涙が止まらなかった。

そのひまわり畑のロケ地となったのがウクライナ。
しかも、そのひまわり畑の下には大戦で犠牲になった兵士が眠っているそうだ。
人類は誇らしげに進歩したかのように振る舞っているけれど、
どこまで悲惨な戦いを続ければ気が済むのだろう。
 
今一度、ひまわりを「必ず観なきゃあ」と思った。
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6月 美しい新緑

2022-06-06 10:35:02 | エッセイ

いつも通い慣れた道なのに、その通りの正式名が「けやき通り」と知ったのはつい最近のこと。
毎年、新緑の季節になると、
近所のどの通りにも、道沿いの公園にも、そばの高校や小学校にも、
緑があふれる千里に住まわせてもらい、本当に幸せだなと思う。

ちょっと大阪市内に行っての帰り、最寄駅に近づく頃から
電車の窓の外に徐々に緑が増えてきて、いつも「ただいま〜」と心でつぶやく。

若い頃は大阪市内の高層マンションの9階に住んでいた。
緑の存在など考える余裕もなく、
ベランダにあったのは実家から持ってきたオリズルランだけ。
仕事に追われる日々だった。

それが、
子どもが生まれるから、どこか郊外の方がいいかもねと、
深い考えもなく応募したのが、千里ニュータウンの団地だ。

初めて最寄りの駅に降り立った時、カルチャーショックだった。
駅のすぐ前に緑に包まれた大きな公園が広がり、
大通りに並ぶシンプルな背の高いライトが海外を思わせてくれた。

団地の部屋は狭かったけれど、周りには自然の遊び場がいっぱいあった。
娘たちも近くの土管のある公園で、あるいは、落ち葉で滑り台ができる小さな森で、
すぐ横に広がっているグランドで、走り回って大きくなった。
団地生活は7〜8年だったが、自然の緑や花には本当に感謝である。
そして、たまたま選んだ地が人生の大きな癒しの場になったことにも感謝しかない。

テレビを見ていても、
トーク番組などのバックに飾られたお花のアレンジメントがすごく気になる。
番組によっては豪華さばかりを狙ったものもあるが、
少し前から注目していたのが、日曜日の朝の番組「ぼくらの時代」で飾られている花々。
シンプルなのに不思議なくらいお洒落で大々大好きになってしまった。

それ以来、毎回お花の方が楽しみに。
濃淡が美しい緑に、淡いグリーン系やクリーム系の花がセンスフルに組み合わせられて、
魅了されてしまう。
登場する芸能人のイメージもプラスされているのだろうが、
どのアレンジも素敵で真似をしたくなる。

つい最近、最後のエンドロールまでしっかり見て、長島久美子さんの作だと知った。
どんな方なのだろう。

私自身も、また新しい本を書くことが決まり、大きな課題を抱えることになった。
一息つきたい時、コーヒーをゆっくり飲んでいる時、
長島さんは、日々の暮らしの中でもきっと自然を大切にされているんだろうなと、
勝手に想像を膨らませている。


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