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上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

書き続けるということ

2024-03-22 11:45:16 | エッセイ

仕事の資料を整理していたら、
古い原稿に混じってレポート用紙に走り書きした文章が出てきた。
異質感があって恐る恐る読み始めると、なんと若き日に夫へ宛てた手紙だった。

27歳ごろだろうか、長女が誕生してからの育児期間中の気持ちを綴ったもの。
記憶の中では、お座りができるようになり、よく笑う子で、離乳食をペロリと平らげて……
といった楽しい思い出がある一方で、
一時期、人に話せない負の気持ちが心の底にはびこっていたことが蘇ってきた。

ワンオペという言葉もない時代。
出産後は郊外がいいのではと、大阪市内の都市型高層マンションから、
抽選で当たった緑あふれる古い団地に引っ越しての新しい暮らしだった。
広告代理店勤務の夫の帰りは毎日遅く、
友人もすぐにはできず、人間らしい会話のない毎日。

憧れていた子育てで小さな娘は可愛くてしょうがないと思いながら、
仕事を続けていない焦り、社会と離れてしまった不安……。
チームごとに慌ただしく仕事をしていた光景が頭をよぎり、
育児だけでは満足できない日々だった。

商売人の家で育ったせいか、人が出入りするのが当たり前だった家庭像。
常に娘と2人だけの寂しさに、夫の帰りは遅く、
大した会話もできない日々が更なる重しとなった。

手紙を読み進めると、私自身のはずなのに、得体の知れないもう一人の若い自分がいる。
夫は仕事が忙しいだけなのに、
「私のこの気持ちになぜ気づかないの?」
「そんなに鈍感な男だったの?」と責め立て、
夫の帰りだけを待つ日々の侘しさや日々の唸りのような気持ちを切々と文字にしているのだ。

一方で、夫に当たる自分を反省し、蔑んでいるという複雑な内容。
毎日の24時間の自然なリズムに乗れず、
それどころか逆回転しているようだとも綴っている。
私はその想像し難い底からどう抜け出して行ったのだろう。

記憶は鮮明ではないのだが、
夫は仕事帰りに、その手紙を読まされ、こんなことをサラッと言ったと思う。
「また仕事始めたらいいやん……」
「あいた時間で少しずつやったら……」

今から思えば、たったそれだけの言葉。
幸い、出産前に勤務していた会社から、コピー原稿の依頼があったり、
夫もラジオCMのナレーション原稿の仕事を紹介してくれたり。

育児をしながら細々とでも仕事を続けられる環境が徐々にできていった。
と同時に、気持ちが安定していったのだと思う。
自分がやる気になれば、どんな形でもできると思えるようになった。
ライターとはそういう仕事でもあったのだ。

ただ世の中には
「育児中は子どものために育児に専念すべき」
「三つ子の魂、百までと言うでしょ」
「女性は家事を疎かにしないほうがいいよ」
「ご主人のお給料だけでは足りないの?」
等など、好きなこと言う方も多いのだ。

その頃から、もう40年以上、
多少の波はあっても書き続けてこられたことに感謝である。
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村上春樹チャン!?

2023-12-25 15:22:58 | エッセイ

ある集まりに参加した時のことだ。
2~3人ほど離れた場所に座る高齢の女性が、
隣の人に話しているのをこぼれ聞いた。
「作家の村上春樹って知ってる?」

『えーえー、知っていますとも! 大好きな作家です!』
と、心の中で即、反応してしまった私。

村上春樹の小説に出会って、もう何十年になるだろう。
デビュー作の『風の歌を聴け』を皮切りに、新作が出るたびに買い求め、
時には夫とどちらが先に読むかともめながら、それでも読み終わると独特な世界の余韻に浸った。

70年代のジャズ喫茶、こだわりのスパゲティーやビール、
反逆と自由、独特な気怠さーーなど、同世代的な共鳴感が強く、
また謎めいた言葉の渦の中に巻き込まれていく不思議さが心地よく、
小説、エッセイ集、ノンフィクションなどほとんどの本を読んできた。

その女性は、こう続けた。
「春樹ちゃんの家、うちの実家と隣同士やってん」
『えー、春樹チャン!?』
もう黙っていられず、人越しに質問してしまった。
「あのー、村上春樹とお家が隣同士やったんですか?」
「そう、うちの父親が教師やって、春樹ちゃんのお父さんも同じ学校の国語教師でお隣さんやったんよ」
「ヘエーー」
「私が5歳の頃やけど、記憶にあるのはベビーカーに座ってる春樹ちゃん」
『村上春樹がベビーカー……?』
「ということは、赤ちゃんの村上春樹なんですかー?」
意味不明の質問をする私。
彼女は、
「そうやねん」と笑った。

赤ちゃんの村上春樹を想像することなど絶対できないし、
あえて想像もする必要もないだろう。
村上春樹にまつわるあれこれが網羅された辞典的な本もあるが、
まさか赤ちゃんの村上春樹までは出てこないはずだ。

女性の話はそれだけだったが、その後数週間、私の頭の中には
ベビーカーに座った想像上の春樹チャンが何度も登場した。

私たちは生まれて成長していく間、その後も社会で働き、
新しい家庭を持つなど、その後もずっといろんな人と出会っていく。
その小さなシーンごとにさまざまな人とすれ違い、関わっていくわけだが、
それぞれの人の記憶の中に、あらゆるシーンのさまざまな顔の自分自身が残されていくのだ。

想像もしていない誰かの記憶の中に、泣いたり、笑ったり、怒ったり、偉そぶったり遜ったり、
それどころか目を覆いたくなるような無様な私が
現れている可能性があることを思い知らされた……。

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4月 お別れ会

2023-04-05 14:35:34 | エッセイ

昔、一緒に仕事をさせてもらった人の訃報が突然舞い込んできた。
6歳上のイラストレーターの女性。

一番に思い出したのが、
お酒が似合って、いつもガハハと大きな声で笑う人だった、そんな光景。
美味しいものが好きで、すべて講釈付き。
黒門市場でふぐの買い方から、ポン酢の選び方、食べる順番まで、それはうるさかった。
いわゆる鍋奉行だ。
丹波の猪鍋、近江八幡ですき焼きを食べつつの屋形船、京都の〇〇の湯豆腐……、
「どや、ええやろ、美味しいやろ」とドヤ顔で教えてもらった。

他にも、上級者向けの映画や舞台に誘ってもらったり、
一緒にお酒を飲んだり、大笑いしながらいっぱいしゃべったり。
その女性がしばらく暮らしていたニューヨークへの旅に連れて行ってもらったことも。
それは私にとって子どもたちを残しての、初めての海外旅行だった。

2年ほど前に電話して、「またランチしましょね」と話したのが最後。
ご両親は早くに他界され、ずっとシングルでお付き合い仲間がいっぱいの暮らし。
最期は従姉妹さんが「身内だけで小さなお別れ会をするので、
それでもよかったらご参加ください」という会に行かせてもらった。

葬儀といえば、親族以外では義理で参加させてもらうことが多い。
「お世話になったんだから」「あの方も行かれるんやし」と。
でも、彼女のお別れ会には、
どうしてもお顔を見て「ありがとう」と言いたい、
そういう人たちだけが参加されていたのだと思う。
私は、彼女が「わー、素敵やん!」と言ってくれそうな、
白と紫と黄緑色のお花を選んで花束にしてもらった。

遺影も、お経もない、何の演出もない小さな家族葬。
「私、彼女とニューヨークでアパートをシェアしてたの。本当に楽しかった時代!」
「いつも寄席に誘われました」
「いろんな仕事、一緒にしてきたんです」
「お花見にいろんな名所に連れて行ってもらったよね」
それぞれが口々に彼女とのやさしい思い出を語って、
温かい静かな空気が流れていた。

予期しない死を迎えて、
それぞれの時代に共に生きて来た人ちと別れとはこういうものなのか。
言葉では表せない、物言わぬ人との突然の対面と別れ。
それでも何かその人と繋がろうとするやさしい空気が流れていて、
その人らしいお見送り方だなあとしみじみ感じた。
ありがとうございました!
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3月 『まるちゃんの老いよ ボチボチかかってこい!』

2023-03-12 16:23:15 | エッセイ
この3月、
私にとって特別の意味をもつ1冊の本を上梓した。

心から信頼する丸尾多重子氏(つどい場さくらちゃん代表)、
愛称まるちゃんの思いを綴った
『まるちゃんの老いよボチボチかかってこい!』
という一冊。
出版社「クリエイツかもがわ」の敏腕編集者岡田さんとのご縁の賜物でもある。

この本は、まるちゃんの転倒に始まり、5時間もの入浴事故から
仲間に救助されての奇跡の生還、入院、手術、介護……と、
一見、まるちゃんの人生後半の顛末記的要素にあふれている。

これまで介護する側から発言を続けてきたまるちゃんが、
介護される側になっての
「老い」を受け入れることの難しさや悔しさ、
だからこその上手な老いの受け入れ方、
また高齢になって、いつでも駆けつけてくれる人と繋がることの
大事さが大きな柱となっている。

でも、その背景として私が描きたかったのは、
自分自身の家族の介護への後悔から学びを重ね、
家庭での介護のあり方を
20年間ぶれることなく、介護者に伝え続けてきたこと。
小難しい言葉など一切使わずにである。

それは、
偉ぶることもなく、いつも明るい関西のおばちゃん風のまるちゃんが、
人生をかけて打ち立ててきた立派な「家庭介護論」であることだ。

多分、まるちゃんがこの文章を目にしたら、
いつも通り「ワッハハ!」と笑い飛ばすだろう。

そうやって人のために生きることの大きさを、
そばで見させてもらったことへの感謝でもある。
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12月 格安超ウマ鶏つみれ鍋

2022-12-30 08:51:06 | エッセイ


もう何年前のことだろう。
夫が現役の頃、会社の近くにおばちゃん一人で切り盛りする小さな居酒屋があって、
そこで出される鶏つみれ鍋がめちゃくちゃ美味しいというのだ。

その当時、料理として夫が手伝ってくれるのは、
ホットプレートでお好み焼きや焼きそばを焼いてくれる程度だったのだが、
家でも食べたいからと大まかなレシピを聞いてきてくれた。

それが、なんと、まあ、びっくり!
食材の妙というか、あっさりながらコクがあって本当に美味しいのだ。
それも当たり前の食材ばかりなのに、
組み合わせ方でなぜこんなに美味しくなるんのだろうとなってしまう。
最後のスープまでお玉ですくってすくって飲んでしまうほど。

今年も寒い日が続くようになって、さっそくつみれ鍋に。
コンソメスープ+薄口醤油少々のつゆに、
野菜は白ネギ、キャベツ、モヤシ、ニラ、エノキなどのキノコ類に、豆腐と葛切り程度。
そこに、鶏のつみれ(鶏ミンチに味噌、酒、細かく刻んだ生姜、刻んだ青ネギを混ぜて練る)を
入れるだけだ。
気が向いたら、エビつみれ(生エビを刻んで、ネギや生姜につなぎの片栗粉を入れて練る)もプラス。
それを、ポン酢に柚子胡椒、たっぷりのすりゴマで食べるのだ。
そして、締めはラーメン。
ここは手間を省かず、生麺を湯がいたものを。
もう何回食べても本当に飽きない美味しさで、ここ何年も冬が来ると
「ああ、食べなきゃ」となってしまう。

食材は野菜以外は鶏のミンチだけで、あまりにお手軽。
あまりにあっさり美味しい鍋料理である。
もちろん、てっちりやアンコウ鍋、すき焼きも美味しいに決まっているが、
特に寒い日や心が冷えてしまった時に、知らない人にまでお勧めしたい格別の味だ。
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