社長のインタビューのご紹介をさせていただいております。
今回は、戦前からのよしだ麺の様子です。
戦争が激しくなる前(昭和10年ごろ)は自由に麺の製造販売することができましたが、戦争が激しくなってくると、自由に製造販売することができなくなりました。
米も小麦も配給制度になり、農林省から指定の原料をもらい、加工して納めることとなりました。
製品は配給制度で各家庭に配られていました。
その後、名古屋市中川区荒子にある工場も焼けてしまいました。
次回は、よしだ麺の戦後の様子をお伝えしたいと思います。