RADIX-根源を求めて

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欠如こそ生命の輝きの郷

2012-07-03 18:25:25 | 障害論
欠如こそ生命の輝きの郷


  
生命は          吉野弘


生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい
花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で
虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする生命はすべて そのなかに欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ世界は多分  他者の総和
しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士  無関心でいられる間柄
ときに  うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは  なぜ?花が咲いている  すぐ近くまで
虻の姿をした他者が 光をまとって飛んできている私も あるとき 誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない




冒頭の吉野弘氏の詩をこよなく愛する私の立場をまず説明して置きます。

私は現代の医学を否定しているわけではなく、昨今のホメオパシーなどの一種の宗教がかったAII OR NOTHING の論考とは対極に位置している人間である事をご理解下さい。
私はそれらの流れとは一番距離の遠い視点での論考を好む人間です。

人間にとって病気・障害・社会集団内部のある種の平均的な能力の欠如は果たして不幸な状況なのでしょうか?
老化或いは障害また、統合失調症、鬱病などの精神疾患のポジティヴな評価は果たして有り得ないのでしょうか?
特に精神障害・精神疾患は、社会的に様々な差別の対象になり,社会構造の未整備、精神障害・疾患に対する社会的な意識の未成熟の為に、新たな混乱と悲劇を生み出しています。

社会的な弱者と思われる人達が実は人類の希望の担い手であると言う視点を提起したいと思います。

数十年前に日本の野口晴哉が提起している病の持つ意味の正の評価、現代医学批判の観点と最近同じ位相に接近し続けている「ダーウィン医学」=「進化医学」をベースにして、病気やケガ、老化など我々にとって身近で重要な問題の意味を問い直して見ると、眼から鱗の視点が得られると思います。 
私達が病に陥る場合に、健康を損なうマイナスの一面以外に、種の防御、感染、新しい環境への適応、遺伝子、設計上の妥協・微調整、進化の遺産の更なる形質の獲得というポジティヴな一面が病の存在意味としてあると思います。
そして、それぞれのカテゴリーの中で、病理は真価を認められないある種の利益と関係しているという時点まで「進化医学」の問題提起は至っていると思います。
「進化医学」の視点は人間にとって病気は健康を害す憎むべき存在だという思い込みが、根底から覆されるような視点をわたし達に与えてくれます。

生物の形態や行動に、永い進化の過程で培われた適応的な意味があるように、罹病や老化といったプロセスにさえ進化的な意味があるのだと思います。
たとえば、防御について言えば、色白の人が重度の肺炎にかかると、顔色がくすみ、ひどい咳をすることでしょう。
この場合、くすみは欠陥があることの表れであり、咳は防御の表れと考えられます。
私達の既成概念・思い込みでは、欠陥を治すことを治療と考えそれを有益と考えます。
しかし防御を妨げて、排除してしまうと、実は事態をより深刻にしてしまう可能性が拡がります。


実際に医療の現場はまさに、防御を妨げるような治療法が行われているのです。
我々の体は長い時間をかけて、種の繁栄に有利なように進化し続けています。


さまざまな肉体の現象は、どれもこの目的を果たす上で有効な働きをします。
医学を進化の視点で見ることは、病気の進化的起源を理解するのに役立ち、その知識は医学本来の目標を達成するのに大いに役立つのだと思います。


例えば。統合失調症はある場合には、その地域の文明の崩壊時に新たなパラダイムシフトをもたらす使命として、病の形をとりながら人類の進化・種の保存に寄与しているとの考え方もあるのです。
自閉症・発達障害にも、欠陥以上のプラスの存在の仕方だとの意味づけも有り得るのです。
様々な障害はあらゆる天変地異に人類が適応できる為のデザインチェンジの壮大なる実験であるとも考えられるのです。

この記事の指し示すものもその様な、新しい環境への適応、遺伝子、設計上の妥協・微調整、進化の遺産の更なる形質の獲得が病の存在意味となっていることを示しています。

以下、一部重複いたしますが私の論考の代わりにあるニュース記事に述べられている重要部分を引用します。



『文化と遺伝子は長い年月の間に相互作用し合い、これが自然淘汰を生んで、個人とその社会が生き延び繁栄していくのを助けた可能性があるというのだ。
アジア、アフリカ、中南米における古代の文化は、致死性の病原菌に高い頻度で接していたと推測され、こうした病気により良く対処するために集団主義的な規範へと向かっていく傾向があったのではないかという。
そして、こうした社会的変容は、リスクを回避するS対立遺伝子が徐々に支配的になっていく下地になった可能性がある。
研究を主導したノースウエスタン大のジョアン・チャオ(Joan Chiao)教授は、進化が少なくとも2段階で行われることを次のように説明する。
「1つは生物学的なもの。そしてもう1つ、選択された遺伝子に応じて文化特性を獲得する段階というものが存在する可能性がある。文化的な選択と遺伝子的な選択は相前後して起こるため、人の行動は文化と遺伝子の共同進化の所産だと考えることができる」

研究はまた、集団志向の文化は、S対立遺伝子による「うつ」の遺伝子的リスクから身を守るのに役立っている可性があると指摘している。

 弱い個人にとって、集団的なサポートはうつ病エピソードを引き起こす環境リスクやストレス要因に対する緩衝材となってくれる。欧米で、L対立遺伝子を持っているにもかかわらず不安神経症や気分障害の人が多いのは、高度に個人主義的な文化の中で生活しているストレスが原因と考えられるという。

「自然淘汰はこれまで、さまざまな集団や種に普遍的にみられる特性を説明する根拠として扱われてきた。個人レベルと生態系レベルの双方で自然淘汰がどのように起きているか理解するうえで、集団や種の多様性が重要なカギを握っている」(チャオ教授)』

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