RADIX-根源を求めて

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FOXP2の脆弱性と生存意義としての障害再考察3

2011-11-29 05:20:01 | 障害論
木村氏は精神分裂病者が育った家庭環境が多くの場合、相互信頼と相互理解に欠けていることを指摘しています。

それはあたかも魔女狩りと同じようなコンテキストであると思います。

木村氏は「分裂病者は、家族の中でただ一人あたたかい人間的な共感能力を持ち合わせていたからこそ、分裂病に陥らなけれ

ばならなかったのではないだろうか」とまで言及してます。

木村氏は、分裂病を病気とみなし治療しようとする発想は、私たちが常識的日常性を正当化する立場に立つときのみ可能とな

る発想だとします。

しかし他方で、私たちが快適な生存を維持したいという意志を持っているため、この立場を捨てることができないということ

も認めます。

分裂病者を治療しようとする努力は、生への執着という自分勝手な論理に基づいていることを意識しつつ行うほかはないと書

いて、木村氏は自らの精神科医としての業の深さ因業さを悔悟しています。

『異常の構造』と言う著作が長い間親しくつきあってくれた分裂病患者たちへの罪滅ぼしと友情のしるしとして書いたという

ことが後書きに記されています。

医者・専門家の罪深さ・責任は精神医療のみならず、障害者支援の現場でも将来的な課題なのですから。

示唆に富む問題提起でした。

さて日常的常識の合理性が、健常者の社会的生存の有用性に基づいていること、そこから不可避に異質な少数派の非合理性の

排除が生まれ、その疚しさの解消方法として精神分裂病者を治療の対象とすることが奨励されたことを木村敏氏の著作『異常

の構造』を通してみてきました。


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木村敏氏と並ぶ偉大な精神医学者の中井久夫氏の『治療文化論』では異常者を分類せずに健常者を分類しています。

様々なタイプの狂気と背中合わせの人々が健常者に分類されています。

魔女狩り、ナチスのホロコーストの例を見る迄もなく狂気は健常者と思われる万人の背中合わせに潜在するのです。

例えば、先般起こった秋葉原の無差別殺人事件の犯人は母親の狂気を身代わりに代行したとの解釈も可能なのです。

中井久夫氏によると他者を狂気に駆り立て追い込む事で健常者で居られるタイプが存在します。

秋葉原の無差別殺人事件の犯人KTの母親が抱えていた狂気は息子の犯罪をテレビ報道されて初めて身体の病に転嫁され

ました。

母親が崩れ墜ちる瞬間の姿を映したテレビ映像は象徴的でした。

この母親は世間の評価に曝されなければ身体に転嫁されない精神的無能力者を兼ね備えた典型なのかも知れませんね。

またよくネットの掲示板に知的障害者を池沼(ちしょうと読む2チャンネル用語です。)と呼び、知的障害者を苛める事を肯

定して、更に断種、悪い遺伝子を抹殺する事を煽り捲るようなタイプが存在します。

詰まり他者に依存したり、他者や社会を攻撃する事で精神的危機を回避する代償的擬似健常者が存在します。

また、精神的な病にすらなれ無い、病に対する無能力者も中井久夫氏はタイプ分けしています。

病気、障害はマイナス要因ではなくて破滅を防いだり、生き残りの知恵だと中井久夫氏は考えています。

この観点から精神的病気にもかかれない病の無能力者は自殺する等の破滅行為を引き起こすのでしょうか。

また心身症者も精神的な狂気・破滅を身体の健康を犠牲にしていると考えられるのです。

勿論、全くの健常者も存在します。

このような狂気は文化の発生に根を持ちます。

文化の体系とは、日常的合理性の体系です。

しかしこの体系には正しいといえる根拠がありません。

この文化の相対性・無根拠性が、狂気の可能性でもあるわけです。

しかし一方で文化なしに人類は存在できず、皮肉なことに文化を構築した瞬間、人類は中井久夫氏の言う潜在的狂人になった

わけです。


すると文化は人類の生存を可能にする条件であると共に、文化の体系から疎外される狂人の条件でもあることになります。

文化の体系、つまり「常識の自明性」が共同生活を生むとすれば、常識の自明性の解体に苦しむ分裂病者は、実際には他者と

の交わりから排除されることに苦しむことになります。

人間は、他の人格との共生によらない限り「人格」になることはできません

(つまり文化の体系は、私たちが人格になる絶対的条件です)。

他者との交わりから排除されている限り、生物としては人間であっても、人格としては人間になることができないのです。

彼らはたんに分裂病に伴う幻想や妄想に苦しんでいるのではなく、他者から理解されず、交わりの自明性の解体に苦悩する人

たちなのです。

彼らの交わりの解体の「しるし」は、人格の解体の「しるし」です。

そしてこの解体には、心因的な原因だけではなく、文化の体系と生存への意志という人間社会の根幹に関わる要素が複雑に関

係していているのです。

分裂病など精神的病の治癒とは、文化・人間社会・人格における「原理的治癒」を意味していると思われます。

2010年11月13日


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