見出し画像

先祖を探して

Vol.300 玉帳陰符経(1) 泉佐野大木村との出会いから

当家の記録上の4代目のご先祖様、1700年代に生きた平安統惟貞が所有していた玉帳陰符経。
これまでも何度か記事で書いた事がありましたが、今年の夏にこの「玉帳陰符経」と同じものを、大阪の泉佐野大木村の方が所有していたことが分かりました。
記事にコメントを頂き、堺市の図書館にその活字化した文書が保存されていると伺い、さっそく確認をしたのです。そして文書の中身がほぼ同一であったことまでは以前の記事に書いております。

この「玉帳陰符経」は、泉佐野市大木の旧家数軒で構成される太郎兵衛講と呼ばれる同族講に伝わる、70点余の中近世文書の中の1つです。「講」という表現は聞きなれない言葉ですが、結社または結社による行事・会合であり、 講の原義は「講義」「講読」の「講」であり、寺院内で仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであったようです。この太郎兵衛講については詳しく別記したいと思います。

今回はこの2つの古文書の筆跡などを確認させて頂く機会を頂きました。そして大変嬉しいことに、公開の許可を頂きましたので、当家での保管分と一緒に掲載します。

上段が大木村にある「玉帳陰符経」です。下段が当家保管のものです。


どちらも大変古い文書なのですが、2つの文書の筆跡は違っています。
どちらも42箇条からなる兵法の呪法書で、南北朝・室町期(1337年- 1392年)に編纂されたといいますが、当家の兵法書はそれより古い承暦2年(1078年)の年号があり、従二位中納言兼太宰大江匡房の名があります。
大木村の方も同様の承暦2年で、こちらは大江匡房の在判があるようです。大木村の方は原本の可能性もあるかもしれません。

当家の「玉帳陰符経」は、平安統惟貞が薩摩の示現流絡みで入手したとは思われますが、それ以上の情報はつかめていませんでした。今回、大木村の歴史の方から新たな一面が見えてきましたので、続きは次回に書きたいと思います。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「玉帳陰符経」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事