ご先祖様のことを調べれば調べるほど、様々な謎や疑問が沸き、それを調べるのにまた広範囲な調査へと展開していっております。
情報を授けて下さる助っ人の方々が沖縄→与論→沖永良部→徳之島→奄美大島と南から薩摩に向かって北上してきており、有難い情報海流です。
その最新の助っ人様が、奄美大島の「奄美郷土研究会」の事務局&研究をされているYさんです。ネットでもお名前出てるので実名でもいいかなとは思いましたが、許可は取ってないのでYさんということで。
私が奄美大島に着目したのは、奄美群島で一番大きな島であり、古文書や系譜が多く残されているからです。そして何といっても、薩摩・奄美群島・琉球の研究をするために昭和31年に発足した会で、著名な先生方も在籍されて歴史の研究にあたられているのです。奄美群島の本土復帰が昭和28年ですから、本土と自由に行き来ができるようになってからすぐに発足したようですね。
こちらの研究会では発足当初から研究発表の会報が発行されており、現在41号まであるようです。その中には、沖永良部島に関すること、当家のご先祖様に関することなども含まれており、ぜひ閲覧したいと思い連絡を取らせてもらったことがお知り会いになるきっかけでした。
Yさん、歴史の話題になったら話が止まらない~~~~(笑) 自分でもおっしゃってました(笑)
この日は私の仕事の都合もあったので、短時間でしたが有意義なお話が沢山聞けました。
そして、また連絡を取り合おうということになりました。当家のことにも興味を持ってくださって、非常に有難いです。
そして、お話の中で歴史研究家の先生方の歴史についても伺うことができました。歴史を研究されている方々の歴史か~ そうですよね、誰にでもどこにでも歴史があるから今がある。
お名前などを伺った研究家の先生の中に「弓削政己」先生という方がいらっしゃいました。この先生のご研究の1つが私が目をつけていた内容であり、当家のご先祖にも関わってくるような内容でしたので、次回に紹介したいと思います。
そうそう、Yさんのお話では、古代は琉球から薩摩や朝鮮に向けて、海の航路で海流を使っていた。その海流を考えると、沖永良部と喜界島が重要な拠点であったはずとのこと。う~ん、何とも素敵な考察です。プラス喜界島!?また調査の範囲も拡大しそうですね。