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先祖を探して

Vol.323 墓地の所有者

先祖調査をするうえで、ご先祖さまが居住していた場所の土地の調査は欠かせないものですが、先日たまたま取得した土地台帳などの資料から意外な事実が見えました。

お爺様の家系である屋号:上花城の墓地は、チュラドゥールと呼ばれる琉球式の納骨堂を持った美しい墓地です。以前の記事でも紹介しましたが、中庭を2つ持ち、入口上部は沖縄の世界遺産である中城のような感じのアーチ形に作られています。
この墓地は現在は豊山家の墓地であるといわれていますが、わが上花城やその他の宗の分家の墓石も中央より西側に数墓並んでいます。豊山家の墓地だといわれているのは、上花城を始めこの墓地を利用していた宗家の一族は島を離れてしまった家が多いことが原因だと思いますが、実際には墓地は間借りしていただけなのかなど色々と気になっておりました。

そこで今回取得した明治期に作成された土地台帳によれば、この墓地は24名の共同墓地となっていました。宗家と豊山家の一族が所有する墓地です。当然当家のご先祖さまである宗佐久田の名前もありました。しかもこの墓地の所有者の名前は、現在でも変更されていないのですね。
墓地は税金がかからないこともあり、土地の状態に変更がない場合は所有者は土地台帳が作成された時のままのようです。登記上では100年以上前から時が止まっているようです。

登記されているメンバーの方々の名前は、お爺さまの記録に出てきてる方が数名いました。当家とは苗字が違う方もいますが、一族であったことや、同じ時代に生きていらした方々であったことが分かりました。
墓地の所有者以外にもこうした確認ができた土地の記録でした。



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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

yononushi
喜山康三さま
ブログに訪問くださって、ありがとうございます。
永良部とは兄弟島の与論ですね。とても綺麗な島で、いつか行ってみたいと思っております。与論のことを調べて記録されているのですね。そのような活動はとても貴重なことだと思います。永良部の方も記録はやはり少なく、口碑伝承を聞き取り調査で拾っていっております。
永良部の北山時代から薩摩侵攻までの記録や伝承がありましたら、シェアして頂けると嬉しいです。お問い合わせなどは直接メールでくださって構いません。こちらこそ、よろしくお願いします。
喜山康三
大変勉強になります。ありがとうございます。私は40年ほど前から与論島の方言、地名、伝承の掘り起こし、記録をしています。私の母方の曽祖父は足清良の出身で、明治学校令ができた時、徴税官(学校職員給与や運営費聴収)として赴任したと聞いています。与論には記録が少ないですが沖永良部の資料が参考になるのが多いと思っています。よろしくお願いします。
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