1416年の北山滅亡の時の攀安知の子供についての伝承が残されています。
次男 志慶真 (しけま) 王子と長女 真亜佳度金 (まかとがに) は叔父の湧川大主に助けられ、南山の配下である兼城按司を頼ってこの潮平之海岸に上陸し、製塩業を始め潮平集落を起こしたといいます。潮平集落の有力門中はこの志慶真王子と真亜佳度金の末裔と伝わっているようです。この製塩業を起こしたことから、この地は塩平と呼ばれ、後に1700年頃に潮平となったそうです。
球陽 外巻三 遺老説には、北山の今帰仁按司の未裔がここで製塩を行ったことに由来すると記されているそうです。
糸満市字潮平の住宅地の中に小さな丘陵があり、その丘陵はウクマグスクと呼ばれているそうです。

グスクは中にも入っていけるようで、中は広場になっていて、堀りこみ式の門中の按司墓があるそうです。木々に囲まれていて、グスクというよりは聖地といった感じの雰囲気がするところのようです。
現在の門中のお墓は地図上の下の方にあり、そこには比較的新しい今帰仁王子の墓と彫られたりっぱな石碑が建っています。遠目で分かりにくいですが、青丸のところです。

改修記念の石碑まであるようです。

樊安知の子孫であれば、当家のご先祖の世之主は樊安知の叔父にあたるはずですので、同族ということになりますね。
今となっては全く知らない血縁の親戚が遠い地にいらっしゃるということは、大変興味深いです。機会があれば、ご先祖様のお話を伺ってみたいですね。