今日は曇り時々晴れ
やっとプールを片付けました。
と言っても、今日は洗って今干しているので、片付け完了ではないですが・・・^^;
水を張ったままずっと放置していたら、藻が生えて、プールの底が黄緑になってました
スポンジでゴシゴシ洗ったら、きれいになっていくのがよくわかって、気持ちよかったです?!
☆☆☆今日の写真☆☆☆
先日の満月の夜に撮った写真です。
お月様の模様も何もわかりませんが、
綺麗な光だけでも、見ていただけたらと思います。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
*▼△▼*△▼△*▼△▼*
今日は「きのこのおうち」の続きを書こうと思っていましたが、
そういえば、今日は9月11日でした。
そう、2001年9月11日、アメリカの同時多発テロのあった日。
笑い話は自粛します。
あの日、帰宅してTVをつけたら、ビルに飛行機がぶつかって爆発する映像を何度も流していました。
ニュースの内容は全然聞いてなくて、しかも英語はさっぱりな私。
「え?ビルに飛行機がぶつかったの?げーっ!たいへーん!!」
小さな個人所有の、どこかのお金持ちが操縦するセスナが、操縦を誤ってビルに激突したのだと思いました。
「2nd」というテロップをみて、
「わ~、このビル、2回も飛行機がぶつかったのか~。災難やなぁ。」
そんな風に思いながらみていました。
やがて、アナウンサーが登場し、ニュースの内容を知って、びっくりしました。
「びっくり」って、軽い表現なんですが、ほんとに、どういうことなのか想像できなくて
「え?」
としか反応できなかったのです。
やがて、突き抜けるような青空にそびえるWTCにジャンボジェット機がまっすぐに突っ込んでいくのを下から撮った映像が、流れました。
1度目と2度目の突入の映像が流れ、そして、ビルが崩れ落ちていきました。
ビルの周辺には、土煙が津波のように襲い掛かり、映画のようでした。
目に見えるもの、目には見えないもの、あの日から、何かが大きく変わったと、世情に疎い私でも思います。
あの日から始まった憎しみの連鎖は、今日もどこかでひたひたと鎖をつなげ続けている。
テロがどれだけ悲しいものかをあの映像はみせつけたと思ったけれど、それは、一報からの見方であって、
テロを行った側からすれば、勝利の瞬間、歓喜の映像だったのかもしれない。
そして、報復が行われ、今でも世界ではテロはとどまらず、また新たなテロの警告が行われている。
私に出来ることは、テロで亡くなった人たち、そして、報復攻撃でなくなった人たちの冥福を祈ることと、
これから先の平和を祈ることくらい。
祈ってるばっかりで、何の行動もしてなくて、それでいいのかって思うけれど、
それが今の精一杯です。
いつか、世界中のすべての人が、世界中のすべての人の幸せを心の底から願い、その幸せを喜べるようになったら、
いいのになぁ。
文化や考え方を押し付けることではなく、その国や地域の人たちが、それぞれの国や地域にふさわしい、
古くからの文化や考え方や生活様式を大切にしていくことを喜び、
助け合うけれど見返りは求めず、過干渉もしないようになれたら、ちょっと素敵かなと思います。
世界中が同じ価値観を持ち、同じ基準でものごとを考えるってことには無理がある気がする。
気候も風土も違えば、それぞれの地で、昔からそこで生きてきた人たちが、そこにあった生き方や考え方を育んできているはずだから、
飛行機が飛ぶようになって、あっというまに地球の上を移動できるようになったからといって、
世界中がこじんまりと一色になることはないと思うのです。
いろんな人が、いろんな場所で、それぞれの方法で、暮らしている。
水がないとか、食べ物が少ないとか、暑いとか、寒いとか、
いろんな過酷な条件の下でも、人はちゃんと生きてきて、それぞれの価値感を作ってきた。
その価値を、自分たちの価値と比べていいとか悪いとか、間違ってるとか言えないんじゃないかな。
もちろん、誰かが苦しみ、悲しみ続けなければならないような風習や因習があるところもあるけれど・・・
せめて「愛」とか「平和」とか「希望」という言葉が、共通であってほしいと思います。
なんかどんどん、何がいいたいのかわからなくなってきましたが、
世界はそろそろ、一皮剥けてみませんか?ってことです(よけいに謎^^;)
単独の利益ばっかり考えてないで、そろそろ地球全体のことを考えて、
地球の利益を考えないと。。。国が栄えても地球が滅びたら、国も一蓮托生だじぇ。
戦争してる場合じゃないよ。
テロやってる場合じゃないよ。
核いじってる場合じゃないよ。
適当なデータで、原発建ててる場合じゃないよ。
そこんとこ、考えてみようよとか・・・
イスラエル人の彼氏とお付き合いしていた友人がいました。
イスラエルという国は、とても美しいと、イスラエルからメールをくれたことがあります。
でも、「戦い」や「生命」についての考え方は、到底理解できない、あいまみえないものだったそうです。
教育そのものが、違うそうで、子供の頃から、教えられることが、違うそうです。
世界は広くて、遠い国で生きる人たちのすべての考えを真に理解することはなかなか難しいことです。
でも、「戦い」を肯定し、民族同士で憎みあっている場所でも、その当事者たちが憎しみを断ち切るために努力し、行動していることもあります。
本当に相手のためになる支援とは。。。と考えて、その地域に昔からある工法で、水源確保をするために活動している団体とか・・・
地道で、目立たない、一気に何兆円ものお金をかけて、派手に行うわけでもないけれど、
本当に大切なことは、今も世界のどこかで行われている。
そこに希望があるのではないかと思います。
それでも、私はここで祈ってるだけですが・・・。
情けない・・・。
どのことがらについても、詳しい知識もなく、深く理解しているわけではないので
うすっぺらいこと甚だしく、なんだかさっぱり、なんのこっちゃらになってしまいましたが・・・
いろんなことを考えて過ごした、2006年9月11日でした。
来年の9月11日、私はどこでどんなことを考えて、過ごしているのかな。
やっとプールを片付けました。
と言っても、今日は洗って今干しているので、片付け完了ではないですが・・・^^;
水を張ったままずっと放置していたら、藻が生えて、プールの底が黄緑になってました
スポンジでゴシゴシ洗ったら、きれいになっていくのがよくわかって、気持ちよかったです?!
☆☆☆今日の写真☆☆☆
先日の満月の夜に撮った写真です。
お月様の模様も何もわかりませんが、
綺麗な光だけでも、見ていただけたらと思います。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
*▼△▼*△▼△*▼△▼*
今日は「きのこのおうち」の続きを書こうと思っていましたが、
そういえば、今日は9月11日でした。
そう、2001年9月11日、アメリカの同時多発テロのあった日。
笑い話は自粛します。
あの日、帰宅してTVをつけたら、ビルに飛行機がぶつかって爆発する映像を何度も流していました。
ニュースの内容は全然聞いてなくて、しかも英語はさっぱりな私。
「え?ビルに飛行機がぶつかったの?げーっ!たいへーん!!」
小さな個人所有の、どこかのお金持ちが操縦するセスナが、操縦を誤ってビルに激突したのだと思いました。
「2nd」というテロップをみて、
「わ~、このビル、2回も飛行機がぶつかったのか~。災難やなぁ。」
そんな風に思いながらみていました。
やがて、アナウンサーが登場し、ニュースの内容を知って、びっくりしました。
「びっくり」って、軽い表現なんですが、ほんとに、どういうことなのか想像できなくて
「え?」
としか反応できなかったのです。
やがて、突き抜けるような青空にそびえるWTCにジャンボジェット機がまっすぐに突っ込んでいくのを下から撮った映像が、流れました。
1度目と2度目の突入の映像が流れ、そして、ビルが崩れ落ちていきました。
ビルの周辺には、土煙が津波のように襲い掛かり、映画のようでした。
目に見えるもの、目には見えないもの、あの日から、何かが大きく変わったと、世情に疎い私でも思います。
あの日から始まった憎しみの連鎖は、今日もどこかでひたひたと鎖をつなげ続けている。
テロがどれだけ悲しいものかをあの映像はみせつけたと思ったけれど、それは、一報からの見方であって、
テロを行った側からすれば、勝利の瞬間、歓喜の映像だったのかもしれない。
そして、報復が行われ、今でも世界ではテロはとどまらず、また新たなテロの警告が行われている。
私に出来ることは、テロで亡くなった人たち、そして、報復攻撃でなくなった人たちの冥福を祈ることと、
これから先の平和を祈ることくらい。
祈ってるばっかりで、何の行動もしてなくて、それでいいのかって思うけれど、
それが今の精一杯です。
いつか、世界中のすべての人が、世界中のすべての人の幸せを心の底から願い、その幸せを喜べるようになったら、
いいのになぁ。
文化や考え方を押し付けることではなく、その国や地域の人たちが、それぞれの国や地域にふさわしい、
古くからの文化や考え方や生活様式を大切にしていくことを喜び、
助け合うけれど見返りは求めず、過干渉もしないようになれたら、ちょっと素敵かなと思います。
世界中が同じ価値観を持ち、同じ基準でものごとを考えるってことには無理がある気がする。
気候も風土も違えば、それぞれの地で、昔からそこで生きてきた人たちが、そこにあった生き方や考え方を育んできているはずだから、
飛行機が飛ぶようになって、あっというまに地球の上を移動できるようになったからといって、
世界中がこじんまりと一色になることはないと思うのです。
いろんな人が、いろんな場所で、それぞれの方法で、暮らしている。
水がないとか、食べ物が少ないとか、暑いとか、寒いとか、
いろんな過酷な条件の下でも、人はちゃんと生きてきて、それぞれの価値感を作ってきた。
その価値を、自分たちの価値と比べていいとか悪いとか、間違ってるとか言えないんじゃないかな。
もちろん、誰かが苦しみ、悲しみ続けなければならないような風習や因習があるところもあるけれど・・・
せめて「愛」とか「平和」とか「希望」という言葉が、共通であってほしいと思います。
なんかどんどん、何がいいたいのかわからなくなってきましたが、
世界はそろそろ、一皮剥けてみませんか?ってことです(よけいに謎^^;)
単独の利益ばっかり考えてないで、そろそろ地球全体のことを考えて、
地球の利益を考えないと。。。国が栄えても地球が滅びたら、国も一蓮托生だじぇ。
戦争してる場合じゃないよ。
テロやってる場合じゃないよ。
核いじってる場合じゃないよ。
適当なデータで、原発建ててる場合じゃないよ。
そこんとこ、考えてみようよとか・・・
イスラエル人の彼氏とお付き合いしていた友人がいました。
イスラエルという国は、とても美しいと、イスラエルからメールをくれたことがあります。
でも、「戦い」や「生命」についての考え方は、到底理解できない、あいまみえないものだったそうです。
教育そのものが、違うそうで、子供の頃から、教えられることが、違うそうです。
世界は広くて、遠い国で生きる人たちのすべての考えを真に理解することはなかなか難しいことです。
でも、「戦い」を肯定し、民族同士で憎みあっている場所でも、その当事者たちが憎しみを断ち切るために努力し、行動していることもあります。
本当に相手のためになる支援とは。。。と考えて、その地域に昔からある工法で、水源確保をするために活動している団体とか・・・
地道で、目立たない、一気に何兆円ものお金をかけて、派手に行うわけでもないけれど、
本当に大切なことは、今も世界のどこかで行われている。
そこに希望があるのではないかと思います。
それでも、私はここで祈ってるだけですが・・・。
情けない・・・。
どのことがらについても、詳しい知識もなく、深く理解しているわけではないので
うすっぺらいこと甚だしく、なんだかさっぱり、なんのこっちゃらになってしまいましたが・・・
いろんなことを考えて過ごした、2006年9月11日でした。
来年の9月11日、私はどこでどんなことを考えて、過ごしているのかな。