「おりん口伝」これを書かずに死なれない」松田解子
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妻と義母の郷里は協和町船岡、義父の出生地は荒川鉱山のすぐそばだ。わたしは船岡の休耕田に通っている。松田解子もちろん協和出身の作家だ。この8月ある方の紹介で「協和の鉱山と松田解子文学を伝える会」に入会した。先日、会報が送られてきた。中に「おりん口伝」の作者、松田解子自身が語った「これを書かずに死なれない」との一文があった。
これは“おりん”一人のことではないのだ。
『・・・もうそのとき50代に入っていたことと、それまでの人生でどれほどの労働者が資本と戦争と時代に痛めつけれたか、殺されたか、まして自分の生い育った鉱山ではどうだったか、鉱山衆全体はどうだったかを考えると寝付かれなくなるような思いだった。・・・・秋田県の、その鉱山近辺の農民の生き様を調べ、明治維新のわれわれどん底の民衆にとっての意義など・・・・・知らされるにつけ、・・・・「これは“おりん”一人のことではないのだ。だからますますお前はこれを書く必要があるのだ。・・・完成まで私は朝も昼も夜も彼ら主人公たちを思ってきた。・・・・かれらの怒り、かれらの号泣、かれらの肋骨のありよう、目やに、ぼろ、あかぎれ、くいっぷり、呑みっぷり、歌いっぷり、などが・・・・」
1960年の安保闘争も忘れない
そして最後に「この作品を最後まではげましてくれた最大のものは、1960年の大きな生の安保闘争であったことも忘れない」と。
時代がダブって見える。
(写真は2003年日本母親大会第49回秋田大会)
故あって蔵書の整理をしていて発見した、1996年初版の本である。時に仙人26歳、半世紀前読もうとした『積読本』であった。