
幕末の1854年、ペリー提督率いる黒船の来航を受け、
日本は長い鎖国を解きました。
日米和親条約が締結された場所は、ほかならぬ横浜。
当時は半農半漁の村があるだけの静かな砂嘴でした。
それから5年後、村は消え、港が誕生するやいなや、
外国人居留地、日本人街、遊郭が超スピードで建ちあがり、
横浜は日本の玄関口へと変貌しました。
「あそこへ行けば一旗あげられる!」
野心に燃えた人々が、国内外から流れ込んできました。
無名だろうが無一文だろうが、チャンスを掴む勇気と才、
そして運を味方につけることができたら、世界を相手に勝負ができる。
行きつく先は天国か地獄か。
開港場横浜は、まさしく冒険者の都だったのです。
今号は、そんな時代に夢を叶え、国際都市横浜を
創り上げたパイオニアたちを紹介しています。
「鎌倉殿の13人」どころではありません。
横浜にはもっと凄い人たちがいたのです!
そして私の連載「横浜の底力」は、
野毛にある伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」を巡る物語。
なぜ「伝説」なのか。
吉田衛という一人の男によって昭和8年、「ちぐさ」は誕生しました。
しかし戦争によって店もレコードも全焼。
焼け跡に立った吉田衛は「それでも横浜からジャズは消えない」
という気概に燃え、レコードを集め、店を再建します。
そこへ連日、足を運び、コーヒー一杯でひたすら
ジャズに聴き入っていたのが、まだ若く貧しかった
渡辺貞夫、秋吉敏子など。
店主の温かい心遣いに見守られ、彼等は一流の
ジャズプレイヤーに育っていきます。
吉田衛は平成6年に亡くなり、その後、店そのものも
無くなるという事態になりましたが、それを黙って見ていなかったのが、
ジャズをこよなく愛する、横浜の「大人たち」。
彼らは店を再興させたばかりか、壮大な夢を描きました。
「ちぐさ」を「これまでの伝説」では終わらせない。
「あらたな伝説」を創り出す!
これから、彼らによって「ちぐさ」が大変貌します。
同時に野毛も、いや、横浜が変わるはず。
このビッグニュースは、ぜひ本誌で!
