冬桃ブログ

いい女はすっぴんだねえ、顔も生き方も!

 順子さんと初めて会ったのは、
台湾大地震のあった1999年。
 台湾にルーツを持つエディ藩さんが呼びかけ
県民大ホールで災害支援コンサートを
開催することになった年。

 ミュージシャンはエディさんのコネがあるとして
集客をどうするか、それが問題。
 なにせロックだしホールは広いし…というわけで
元町・霧笛楼の社長を初めとして、エディさんの友人達が
集まり、不安でいっぱいの会議を開いた。

 そこへ、すらりとしたきれいな女性が二人
「こんにちわぁ。あたし達も手伝います!」
 と現れた。
 それが順子さんとサリーさんだった。
 サリーさんは関内にあるサリーズ・バーのオーナー。

 米軍のベースがあった横浜・本牧で、
1970年前後、独特の若者文化が生まれた。
 車を乗り回し、喧嘩に強く、おしゃれで
ダンスがうまい。
 ナポレオン党と名乗る男達のグループは、
マスコミにも注目され、伝説的な存在となった。

 そのナポレオン党に護られ、なみの男達は
手も出せないという美少女グループがあった。
 彼女達はクレオパトラ党と呼ばれた。

 キャシー中島、山口小夜子、サリー、
そして順子。

 亡くなった山口小夜子さんとは、
会う機会などまったくなかったが、
あとの三人とは幸運にも知り合うことができた。
 サリーさんと順子さんはいつも一緒だった。

 この日、順子さんは東京から車を運転し
私をピックアップして本牧へ連れて行ってくれた。
 よく話に出てくる「ブギー・カフェ」。
 私は初めて。

 「いまは東京に住んでるけど、
サリーズ・バーやこの店があるから
私も息子も横浜に来るのよ」

 息子というのは国際俳優として活躍する浅野忠信さん。





 そうそう、以前、サリーさんに
昔の写真を見せて貰ったことがある。
 サリーさんと順子さんが、二人お揃いの
ショートパンツとTシャツで、それぞれの
子どもを抱っこしているもの。

 順子さんに抱かれているのは、
3歳か4歳くらいの忠信さんだ。
 
「忠信さんの髪が金髪だったけど、
あれ、染めたの?」
「まさか! そんな小さい子の髪を
染めたりするわけないでしょ。
 ああいう色だったのよ、子供の頃は。
 そういうところに出るのよね、
クォーターの遺伝子が」

 ……なんてこともまじえながら
本牧時代のことを中心に、
いろんな話を聴かせてもらった。

 順子さんは化粧っ気がない。
 いつもすっぴん。
 皺もシミも隠さない。
 ファッションもシンプル。
 喋り方はちゃきちゃき、さばさば。
 だけど、
「子どもとか夫とか恋人とか、
愛する人の世話をするのがなにより好き。
 母は93歳で亡くなったけど、
6年間、あたしが介護したのよ」
 という、じつに女らしい人。
 
 いまもスタイル抜群。
 「おなか? 出てないわよ。
 それにね、お医者さんが驚いてたけど、
あたし、骨密度が二十歳なんだって!
 ううん、ジムなんか行ってない。
 だけど、スタイルも生き方も
絶対、自分らしくあろうと努力してるわよ。
 努力しなきゃ駄目!」
 


 だよねえ。
 一朝一夕でいい女になれるわけではない。
 あたりまえのことに、いまさらながら深く頷く。

 帰りはまた、うちまで送ってくれた。
 十人くらい乗れそうな車。
 「画材を運ばなきゃいけないからね」
 順子さんは画家なのである。
 
 話しっぷりも体の動きも、
じつに若々しい順子さんと、
虚弱しか売り物がない私。
 なんかもう、表情に違いが出てるよね。
 私、三歳年上なだけなんだけど……。



 

 

 
 
 

コメント一覧

yokohamaneko
ミドリムシさん
 とてもとても、私なんか足元にも及びません。
 年季の入った「いい女」は、素敵な大人でもありますね。
ミドリムシ
Yokohamaneko様…やっぱり、横浜の姫はカッコイイです。この、ブルーが、さらりと着こなせちゃうのが…横浜です。笑顔も素敵すぎます。neko先生は、和の美人です。優しい桃色を着こなせちゃうのも…横浜です。ただ…お二人が並ぶと、neko先生は妹に見えます。。。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「雑記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事