S村で草取りをすると、そりゃあ疲れる。
普段、しないような姿勢を続け、普段、力を入れていない
部分を思い切り縦や横に振ったりするのだから、農作業の素人で
後期高齢者の身としては一時間くらいでぶっ倒れる。
ありがたいことに、外がどんなに暑くても、屋内は
クーラーいらずの涼しさ。
ここの家主ほ、ぼ終日、畑に出ているから、
この情けない姿を目撃されることもない。
遠ざかる意識の中から、ここで読んだ地元の女性史、この地域で
生まれ、農家の嫁として暮らした女性から直接聞かせていただいた
人生などが、じわじわと沸き上がる。
掃除、洗濯、料理、育児といった家事は「仕事」とみなされない。
あたりまえにそれをこなしたうえで、林業や農業といった
男と同等の力仕事をしなければならない。
私は農家の嫁ではないし、その時代の女でもないのだが、
「たった一時間かそこら草取り作業をしたくらいで、
ひっくりかえるとは、ミミズにも劣る女だ!」という声が
どこかしらともなく降ってくる。幻聴ではあるのだが、
今の自分の姿を思うと、当然の罵声のようにも思える。
(*ミミズはえらい。土を耕してくれる)
で、ふらふらと起き上がる。いま畑にある野菜をメインに、
夕飯の献立を考える(家主も私も昼食は摂らない)。
そうすると不思議なもので、なんとか体力が戻る。
料理はクリエイティブな仕事だ。得意ではないが嫌いではない。
とはいえ、「新鮮な野菜は素の味と栄養を活かすのがなにより」
という言い訳の下に、簡単料理しかしない。隠し味がどうたら、
このひと手間がこうたらというのは、レシピにあっても無視する。
料理をするという名目のもと、午後は外仕事をしない。
シャワーを浴び、ぼやっと外を眺めていたり、少し本を読んだり
(集中力が皆無だから)またぼやっとしたり。
夕飯を終えてからも、寝るまでぼんやりと過ごす。
横浜にいたらWOWOWなどで撮りためた映画を日がな一日、
なにかつまみながらスパークリングワインを飲み、安楽椅子で
観続けていただろう。
それはそれでなぜか、椅子から動くのも億劫なほど疲れる。
まったく異なるこんな生活を交互に体験しながら
もはや一年が過ぎた。日数だけ見れば横浜のほうが滞在時間は
長いのだが、日々、新しいことを知るというS村暮らしは、
時間の短さを補ってあまりある。
都会暮らしの長かった私にとって、自然の中にどっぷりと
身を置く時間は、観るもの聞くもの、奇跡に満ちているのだ。
しかし現実的なことを言えば、二か所を往復するだけで、
老いた体は恐ろしく疲れる。知力のほうもついていかず、
どっちへ行っても、物のあり場所、電化製品の使い方に
そのつどまごまごする。
決して優雅な二拠点生活などではない。
現に、横浜へ戻ってきて数日たついまも、疲れがまったくとれない。
物理的にいつまで続けられるのか、という懸念は大いにある。
振り返ってみれば、私の人生、いつもこんなふうだった。
乗ったブランコが動かなかったり、綱が切れて放り出されたり
思いがけず高い所にまで上がり、衝動的に手を放して絶体絶命になったり……・
望んでやまなかった穏やかな晩年は、来るのか来ないのか。
とりあえず、もうちょっと体力があれば……と溜息。
普段、しないような姿勢を続け、普段、力を入れていない
部分を思い切り縦や横に振ったりするのだから、農作業の素人で
後期高齢者の身としては一時間くらいでぶっ倒れる。
ありがたいことに、外がどんなに暑くても、屋内は
クーラーいらずの涼しさ。
ここの家主ほ、ぼ終日、畑に出ているから、
この情けない姿を目撃されることもない。
遠ざかる意識の中から、ここで読んだ地元の女性史、この地域で
生まれ、農家の嫁として暮らした女性から直接聞かせていただいた
人生などが、じわじわと沸き上がる。
掃除、洗濯、料理、育児といった家事は「仕事」とみなされない。
あたりまえにそれをこなしたうえで、林業や農業といった
男と同等の力仕事をしなければならない。
私は農家の嫁ではないし、その時代の女でもないのだが、
「たった一時間かそこら草取り作業をしたくらいで、
ひっくりかえるとは、ミミズにも劣る女だ!」という声が
どこかしらともなく降ってくる。幻聴ではあるのだが、
今の自分の姿を思うと、当然の罵声のようにも思える。
(*ミミズはえらい。土を耕してくれる)
で、ふらふらと起き上がる。いま畑にある野菜をメインに、
夕飯の献立を考える(家主も私も昼食は摂らない)。
そうすると不思議なもので、なんとか体力が戻る。
料理はクリエイティブな仕事だ。得意ではないが嫌いではない。
とはいえ、「新鮮な野菜は素の味と栄養を活かすのがなにより」
という言い訳の下に、簡単料理しかしない。隠し味がどうたら、
このひと手間がこうたらというのは、レシピにあっても無視する。
料理をするという名目のもと、午後は外仕事をしない。
シャワーを浴び、ぼやっと外を眺めていたり、少し本を読んだり
(集中力が皆無だから)またぼやっとしたり。
夕飯を終えてからも、寝るまでぼんやりと過ごす。
横浜にいたらWOWOWなどで撮りためた映画を日がな一日、
なにかつまみながらスパークリングワインを飲み、安楽椅子で
観続けていただろう。
それはそれでなぜか、椅子から動くのも億劫なほど疲れる。
まったく異なるこんな生活を交互に体験しながら
もはや一年が過ぎた。日数だけ見れば横浜のほうが滞在時間は
長いのだが、日々、新しいことを知るというS村暮らしは、
時間の短さを補ってあまりある。
都会暮らしの長かった私にとって、自然の中にどっぷりと
身を置く時間は、観るもの聞くもの、奇跡に満ちているのだ。
しかし現実的なことを言えば、二か所を往復するだけで、
老いた体は恐ろしく疲れる。知力のほうもついていかず、
どっちへ行っても、物のあり場所、電化製品の使い方に
そのつどまごまごする。
決して優雅な二拠点生活などではない。
現に、横浜へ戻ってきて数日たついまも、疲れがまったくとれない。
物理的にいつまで続けられるのか、という懸念は大いにある。
振り返ってみれば、私の人生、いつもこんなふうだった。
乗ったブランコが動かなかったり、綱が切れて放り出されたり
思いがけず高い所にまで上がり、衝動的に手を放して絶体絶命になったり……・
望んでやまなかった穏やかな晩年は、来るのか来ないのか。
とりあえず、もうちょっと体力があれば……と溜息。
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