いまやそれを使うことはほとんどない。
だから、横浜に戻ってきてもそこを確認したりしない。
でもこのたびは、ふと気が付いたのだ。
faxから1枚の紙がでていることに。
しかも手書きの文。
あれ、渡辺えりさん!?
えりさんは高名な女優さんだが、劇団の主宰者でもあり、
脚本家、演出家としても活躍しておられる。
以前、拙著「天使はブルースを歌う」にインスピレーションを
得て、「りぼん」という芝居を横浜の赤レンガ倉庫で上演してくださった。
主演、脚本、演出は渡辺えりさんだ。
過去と現在の時間が舞台上で自在に入れ替わるという、
独創的かつ幻想的な、彼女らしい好作品だった。
それを劇団の若手たちが来年1月に再演するので、
パンフレットに解説文を書いてほしいという依頼だ。
faxの日付を見ると、1週間も前!
ずっと留守にしていたとはいえ、
ほったらかしだったわけだからあわてた
夜も更けていたが、失礼を承知で、えりさんに電話。
彼女はツーコールで出てくれた。こちらの非礼を詫びる間もなく
「ごめんなさい、電話が通じなくてfaxにしちゃったけど、
書いていただくのは可能かしら? 若い人たちを根岸の外国人墓地に
まで連れてって、いろいろ説明したんだけど、戦争がらみとはいえ、
混血の赤ちゃんが次々捨てられるって、若い人たちにはどうも
理解できないみたいなの。舞台を観に来る人もそうかもしれない。
だから、どういう時代だったのかをパンフレットに
書いていただけたらありがたい、と思って」
えりさんには拙著「誰にでも言えなかったことがある」の
文庫版で解説を書いていただいている。
喜んでご依頼は受けたが、電話を終えた後、
ある感慨に浸らずにはいられなかった。
先日、五大路子さんがリーディングで演じた「奇跡の歌姫
渡辺はま子」も戦中・戦後の実話をもとにした話だ。
これを上演するにあたって、五大さんから「観客の
ほとんどは戦争の時代がわからないと思う。私とトークする
かたちで舞台に出て解説してほしい」と懇願され、
滞在中のS村からとんぼ帰りの状態で横浜へ行ったのだ。
で、つい先日には、数年前、「天使はブルースを歌う・朗読版」
を上演してくださったベテラン朗読グループから、来年3月に
再演したいという連絡があった。ついてはぜひ、舞台で
この時代の解説をしていただけないか、という依頼も。
相次いで自作が再演されるのは光栄なことだが、
皆さん、「いまの人は戦争の時代を理解できない」とおっしゃる。
私はしばし考えこみ、いや、そうかもしれないと独りで頷いた。
昭和22年、終戦から2年後に私は生まれた。
が、小学校でも中学校でも、いや高校でも、
戦争のことは「年号」程度しか教わらなかったように思う。
学校の先生、親、近所の人達といった周囲の大人たちは
戦争の体験者だったが、誰も戦争のことなど語らなかった。
辛いことは早く忘れたかったのかもしれない。
戦勝国であり、実質上、日本を支配したアメリカの意向も
あったのかもしれない。
だから私たちは、大空襲や原爆などで無差別殺戮をした
アメリカを憎まなかった。それどころか親しみ、憧れた。
憎しみの連鎖を生まない、ということでは良いことだった
のかもしれない。しかし大人になってから「知っておくべきこと
から目を逸らしていた」あるいは「蓋をされていたのかも」と
気づき、おそまきながら自分で少しずつ学び、書き、話した。
「天使はブルースを歌う」
1999年に書きおろしノンフィクションとして
毎日新聞社から発売された。それから20年の時を経た2019年、
表紙の装丁もあらたに亜紀書房から再発刊された。

戦後、日本に進駐していた米軍兵士と日本女性との
間に生まれた混血児たちの秘話。横浜出身の
人気グループサウンズだったゴールデンカップスを
中心に「戦後横浜」を書いたものだが、取材途中で
思いがけず、上記の話と巡りあったのだ。
根岸外国人墓地に建てられた「片翼の天使」の碑。

「天使はブルースを歌う・朗読版」は俳優の金田賢一さんも
ご自身の公演「朗読三昧」で何度となく上演しくださっている。
来る12月20日の公演(渋谷公演通りクラシックス)でも、
おなじみ丸尾めぐみさんのピアノ・歌と共に上演されるという。

S村のある下伊那郡には満蒙開拓平和記念館があり、飯田には
飯田市平和祈念館がある。子供達にも戦争の話を積極的に語り伝えている。
地元の信濃毎日新聞も長期連載で満蒙開拓団を取り上げていた。
この地で暮らすようになってから、私の中でも「知りたい、知らねば」
が、少しずつ増えてきたようだ。