昨日は75回目の誕生日。
海外からメールをくれた人は「後期高齢者なんて、
勝手にそんな枠に入れられてたまるもんか!」と
イキがって(本人の言葉)いたが、そうだよね、
法治国家にいる限り、なんだかんだの枠に入れられ
名前や番号を持たされる。
まあでも、社会だの国家だのが形成されるとともに
そうした枠組みが必要になってきたのだし、自由と引き換えに
安全や安心も得てきたのだから、仕方がないか、と
思わないでもない。
でもそれは自分が、まがりなりにもまだ安全な場所で
日々を送っていられるから。
昨日、テレビで広島県知事のスピーチを聴き、
「仕方がないか」と言ってられない事態が来ていることを
あらためて意識した。
具体的でわかりやすく、心にじっくりと沁みる、素晴らしい内容だった。
そのスピーチで「(戦争の)当事者でない国の人々でさえ、身を守るためには
核兵器が必要だと言い始めています」というくだりがあった。
恐ろしいことに、唯一の被爆国である日本の権力者たちが
これを言っている。核兵器を根絶させようと、声を大にして
いうべき国の人達が。
私のような者でも、そうやって我も我もと世界中が核を
持つようになったら何が起きるか、容易に想像できる。
「持つべきだ」と主張する人には、想像力というものが
ないのだろうか。歴史からは何も学ばなかったのだろうか。
広島、長崎の平和祈念式典は今年で77回目。
そして広島の原爆記念日8月6日は私の誕生日。
ありがたいことに、個人的には平和な一日を
過ごすことができた。
でも、同じ日は二度とない。そのことを
また自分に言い聞かせ、与えられた新しい年齢を
歩んでいきたい。
