みなとみらいというコンクリートタウンにはなんとなく
馴染めず、市役所に用がある時などに仕方なく出かける程度だった。
市役所がまた、この場所に移ってから、信じられないほど
とっつきにくいものになった。なに課の誰に用事かを告げて
監視員のいるゲートを通してもらわなければ庁舎に入れない。
エレベーターで目的の階へ上がっても、壁は真っ白。
どっちへいけばいいのかもわからない。
それを察して相手が迎えに来てくれなければ、方向音痴の
わたしなど、またあのゲートに戻るしかない。
まあそんなわけで苦手なみなとみらいだったが、横浜美術館が
リニューアルしたという。友人のOさんが、「絶対、案内したい
展示をいまやってるから」とチケットまで用意してくれた。
ならばと強風の中を出かけたのだが、それだけの甲斐があった。
高層ビルをバックに、横浜美術館。
下記のような案内文があった。
「多様性」という観点のもと、横浜にまつわる作品の中でこれまで
あまり注目されることのなかった存在―開港以前の横浜に暮らした人びと、
女性、子ども、さまざまなルーツを持つ人びとなど―にあらためて光をあてます。
その言葉通り、これまで公的な資料館や博物館では決して取り上げなかった
歴史の暗部が展示されていた。
私はつい先日、某所で、横浜の歴史から意図的に存在を消された
女と子供達のことを話してきたが、ここの展示にはそれがあった。
南区真金町を中心とした戦後の赤線地帯。常盤とよ子さんという
女性写真家が撮った生々しい写真の数々。
そして同じ時期に、米兵と日本人女性との間に生まれ、孤児となって
山手の聖母愛児園などで育った混血の子供達(GIベイビーなどと呼ばれた)。
聞いたところによると、新しく就任された女性館長が「こういうことを
隠すべきではない」と、表に出すことを英断されたという。
役所に疎まれながらも、この歴史を書かずにいられなかった私としては、
ようやくこの時が……と感無量。
誘ってくれた友人のOさんに、深く感謝した。
今回の横浜滞在はハードスケジュールだった。
でも会いたかった人たちに会えたし、私の人生のエポックとなった
人とも、奇跡のように会うことができた。その人の手にそっと
自分の手を重ねた時は、涙が溢れてどうすることもできなかった。
さて今日はもうS村に戻る。
昨夜は十時少し前にベランダに出て、低い位置にある月を
いつまでも見続けていた。大きくて赤い月だった。