おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

副作用に伴う心身の後遺症との闘いから考えたこと2

2023-07-01 05:16:37 | 日記
私の場合、最もツラかったのが、減薬だと言っても、過言ではなかった。減薬のきっかけは、奇妙な肥満の原因に気付いたことと、それが処方薬たちにも大きな原因があることを認めないうえに、てんかんではないのに抗てんかん薬もMAXに入っている薬剤カクテル的な処方箋を平然と処方する医師に不信感しか持てなくなったからだ。
よって、セカンドオピニオンを活用し、とにかく大幅に減らしてみたのだ。
が、ツラい、少し疲れると高熱(40度近く)が毎日出続けるのだ。他にさまざまなツラい症状もあったが、これが1番心身にこたえた。
当時、大学院(前期過程)修了と次の院への引っ越し作業があったので、疲れだと言い聞かせていたが身体的にかなり無理があった。なんとか乗り越えたことは、今思い起こしても奇跡である。
(→また、精神的には、大学卒業前後から大学院(前期過程)への移行期に精神的によろけているところに足下を視られ、所謂、パワハラ等に遭ったことを思い出し、繰り返しだけは無きよう、さまざま必死だったように思う。)
このような症状は、特に1年間(40度近く→38.5度近くに下がるが)がツラかった。今でも熱は出やすいが、高熱ではないし、御することもかつてより覚えたように思っている。
その時から、必死になって読んだ本たちや受けた講義たちは、私を支えてくれている。
だから、私にとって、病にかかり治療した時間やその間のみっともない&だらだらとした軌跡は、誰にも奪えないかけがえのない財産であり、今の私をかたちづくる最も大きな要素のひとつであるし、ある意味での貴重さとある意味の素敵さを持った軌跡と奇跡を繋げて出来てきたものだと思う。
まだまだ、大雑把で曖昧な記述が続き、細部の具体的な記述までに回を要しそうだが、ところどころ工夫をしながら描きつなげていきたいと思う。
ここまで、読んでくださりありがとうございます。
また、次回。


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