「平和を愛する者は、
戦争を愛する者と同じくらい
効果的な組織作りを学ばなければならない。」
(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)
マーティン・ルーサー・キングの
品格、忍耐、自己犠牲は、
独善的な政治家たちの
偏狭で独善的な態度、衝動性、自己アピールに終始する姿、
に対する声なき批判となっている。
確かに、キングの思想や信条は、理想に過ぎて、現実的でないように思える。
例えば、
「愛は敵を友人に変えることのできる唯一の力である。
憎しみに対し憎しみにで応じていては、決して敵を一掃することはできない」
などの、それはそうだけど、やはり理想ではないか、現実離れしている、と思われる発言などである。
しかし、キングはその懸念を、
実践的なノウハウや心理面の理解、組織化のスキルを理想主義と組み合わせることにより払拭し、彼の運動は効果を発揮した。
彼の基本的な手法は(ガンジーの影響も感じる)非暴力の大規模な民衆デモであり、その様子は全米のテレビ画面に映し出され、結果的にかなり多くの人々の眼の前で展開されることとなった。
それは、アメリカに潜む人種意識を刺激した。
なぜなら、行進の様子は、眼の前で繰り広げられる受難劇のように感じられたであろうからである。
また、キングが、当初から自らが道徳的に正しいことを主張し、
その主張を決して捨てることはなかったことも受難劇の要素となる一因だったのかもしれない。
キングは、自らの利益だけを図ったり追求したりする人々や階層の人々にとっては、危険な存在であった。
キングの存在は、それまで、彼の不在の時代には一致しなかった人々の信条を、本来の意味でのポピュリズムというひとつ思想のもとに取りまとめることが出来るものだったためである。
キングのポピュリズムには、対決姿勢がなく、それでいて効力を失わなかった。
キング自身
「右の頬を打たれても左の頬を差し出したのは、」
それが彼の本能的行動であっただけではなく、
「効果的な戦略であったからだ」
と述べている。
さらに数の力と共同する取り組み方においても相当な力を発揮していたキングは、メンフィスで清掃労働者のストライキ支援に参加しようとしたところを銃撃された。
キングの暗殺は歴史の転換点のひとつだと私は、思う。
言い過ぎかもしれないが、彼の登場は、1世紀に1度しかない大きな現象だった。
しかし、私たちは、キングの思想や理念、そして戦略をも想起することによって、彼の手法に学び、自分を省みたり、今の世界の在り方を鑑みることができるはずである。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
今回も力が入りすぎ、長文になってしまいました。
本当に読んでくださりありがとうございます。
次回は、アリンスキーとキングについてまとめたいと思います。(→予定ですが)
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。