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障害者・児童福祉のことが多くなるかな

「ずっと「普通」になりたかった」を読んで

2014-06-14 11:45:18 | 福祉
ずっと「普通」になりたかった  グニラ・ガーランド著  ニキ・リンコ訳 2000年


今回は少し読了まで時間が掛かった。落ち込み気味の時に読むと、正直、読む進めるのがきつい内容だ。その反面、後半は一気に読まされた。

自分もまわりも高機能自閉症のことを知らずに、しかも夫婦間に亀裂が入った家庭環境に育った筆者が、自分のことを知るまでの物語だ。幼少期化から誤解を受け、誰からも理解されず、虐待、いじめを受ける描写が続く。説明はやや冗長で、まわりの人間の無理解が強調されているように感じてしまう。

もちろん、自分が多数派の側だから、彼女の説明が心に刺さるに過ぎず、しかも自分の痛みなど、きっと彼女の苦しみの何万分の1なのだ。障害の当事者の言葉は、確かに新たな驚きを与えてくれる。自治体のケースワーカーで接する自閉症の方は、そもそも高機能の方が少ないうえに、ここまでまわりが無理解な状況で出会うことはほとんどない。
多くの人々の顔が空っぽにみえて区別がつかないこと、「裏側」や「向こう側」があることをある日発見するまで全く想像がつかないこと、多くの音や声から特定の人の声を聞き取ろうとするだけでほとんどのエネルギーを費やしてしまうこと、どれも知識として知っていたが、多くの実例で繰り返し説明してもらうことで、それこそ私が冗長と感じる描写だったことで、知識が少し実感に変わることができたのではないかと思う。

後半になると、本人は破滅的な自分探しを始める、人とのコミュニケーション手段としてのセックス、ドラッグ。恋人を持つのも、正常な人間に近づきたいから、お手本にする人を得たいから。彼女がどう自分を知ることができるのか、この本を書くにいたるのか、それを早く知りたくなって後半は一気に読んだ。

訳者のニキ氏も自閉症スペクトラムの障害を持つ。彼女はあとがきで、「障害を持って生まれながら、何も知らず、健常児として育つ。それはときに、二重の意味で屈辱的な経験になることがあります。一つは、人と同じことができないのに、理由がわからないので、自分のせいだと思ってしまう屈辱。もう一つは、みんなの能力の差を埋めようとせっかく自分で工夫したやり方を、不自然だ、ごまかしだ、卑怯だと思いこんでしまう屈辱です。」と書いている。それは本当に苦しみだったのだろう。

それでも、こういった苦しみを乗り越えてきたから、得られた力があるのかもしれない。著者もそう考えているところもある。彼女個人にとって、何がよかったのはわからない。ただ、それは自閉症のことを知る人が増え、屈辱的な体験を過ごさずにすむようになってほしいという思いを妨げるものではない。うん、当たり前なことを書いているな。