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My ordinary days

ようこそいらっしゃいました!
ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

星新一「花ともぐら」

2011-11-05 08:01:19 | 読書
次男くんが図書館から星新一全集を借りてくる。「星新一ショートショート1001」。
分厚い・・・・重い・・・・全三巻あるけれど、まず最初の巻、だそうです。持って帰れないし。それに確かにいくらショートショートといっても、すぐにはとても読み切れないよね。
子ども3人ともに好きで読んでいるし買おうか・・と思ったら、全3巻で31500円也。
「星新一氏の文庫本39冊にわたる全短編、さらに文庫未収録ショートショートを加え、全1048編を収録。第1巻「1961‐1968」、第2巻「1968‐1973」、第3巻「1974‐1997」の3巻構成。年譜、五十音索引を付す。」
うーん、文庫39冊分か ・・・・・借りて読むことに決定ーー


私も子供のころから星新一は読んでいました。親の文庫本がたくさんあったので片っぱしから読む。繰り返し読む。小学校の何年生くらいだったか、5,6年生かな。N氏とかF氏とかあの独特の名前が子ども心にかっこよく思えて、しかもあんなに短いお話なのに結末でいつもあっと驚かされる。大好きでした。
けれど、私が初めて星新一のお話を読んだのはもっともっと小さい時。ものすごく印象的なお話で、立体のイラストもすごくかわいくて・・・作者が誰とかそんなことまで考える年齢ではなかったのですね。ただ、おもしろいお話として記憶していました。
それが、文庫本のなかにあるのを発見してそこではじめてあの作品は星新一が書いたものなんだ!と知ったのです。
すごく納得した。あのおもしろさは半端なかったから。

それが、そのお話が借りてきた全集の中にもありました^^
角川文庫の「きまぐれロボット」に収録されていたみたい。原題は「花とひみつ」。キャア懐かしい・・・

お花が大好きなハナコちゃんは世界中が花でいっぱいになるといいと思っていて、モグラに草木の世話をさせることを思いつきそれを絵にします。その絵が風に飛ばされてついた先がある国の秘密研究所...本国からの秘密指令と勘違いをして花を育てるモグラロボットを大量に作るのですが、さて・・・・

わーい、ドキドキするぅ♪

調べたら、岡本忠成さんというアニメーション作家がこのお話をもとにアニメ作品をつくっていて、立体イラストだとおもっていたのはどうやらその人形アニメの作品のものだったようです。しかもたくさんの賞を受賞していた・・・・
「花ともぐら」
1970年 ベネチア国際児童映画祭(イタリア) 銀賞
    毎日映画コンクール 大藤信郎賞
    教育映画祭 学校教育映画部門 最高賞
    児童福祉文化賞
    東京都教育映画コンクール 金賞


はぁー そんなにスゴイ作品だったとは。

たしかに、今でもそのお話もイラストも頭に残っているインパクトのある作品ですから当たり前と言えば当たり前か。
このお話だけの絵本は売っていないようですが、DVDは発売されて・・・いるのかいないのか?? 私は本として読んだので、映像よりも紙媒体の方がいいなあ。



子どもの借りた本を奪って読む悪いハハでありました。

 藤谷治「船に乗れ!」

2011-11-03 14:52:29 | 読書
藤谷治「船に乗れ!」。全三巻読了。

本を読むのが止まらない~・・・おもしろい本だと、没頭しちゃうんだよね。なにも聞こえないー。なにもやらないー。家族の迷惑ー。そして寝不足・・・

音楽青春小説、というのでしょうか。
音楽一家に生まれた高校生津島サトルの高校時代の物語を、何十年後かはわかりませんが大人になってしまった津島サトルが回想しています。
第一志望の高校に落ち祖父の運営する私立高の音楽科に進学した主人公サトル。甘くほろ苦い青春の日々・・・過ぎ去った日を単純に回想している・・・、というものではないような。大人になり、今の今まで思い返したくなかったことを意を決して振り返り・・。ああ、イタイっ。若いって恥ずかしいっきゃー!いろいろな伏線が貼られ、それがどういうことだったのか・将来的にどういう意味を持つことになるのか、先を知っている自分自身がみている状態なのですね。

回想に入る前の、「マドレーヌを…  ってこれはわからなかったけれどきっと何かの小説の一部なんだろうな、「ボーイング747の中でノルゥエーの森が聴こえてきたりはしなかった」・・・ってくだりがありまして。ははは。回想小説というくくりがあるならば、そういえばあれもそうですね^^

とりあえず一巻目では、自意識過剰な少年サトルが高校入学後の一年間をどんなふうに過ごしたのか。友達と出会い、恋をし、チェロのレッスンに明けくれ・・・。そんな日々が描かれています。音楽科の高校なので音楽に関する話が目白押し、けれど音楽の話と同一またはそれ以上に目をひくのが哲学に関する記述です。サトルはニーチェだのヘーゲルだのを読むことをカッコいいことと思っている、から読んでいます。大人のサトルがそう言い切っているので間違いありませんが、当時のサトルはそこまで意識していたかどうかは?
小難しい哲学の本などを小学生のときから読むサトル・・・ページを繰ってはいたのですが本当の意味で自分の血肉になるような読書をしていたわけではありません。
そういう感覚もわかるよ~わかります・・・いわゆる背伸びですね^^読書だけではなくたって、そうしたことに覚えのない大人もいないのではないか??高校生なんてそんなもんでしょう、私だってわけもわからず小難しい本を図書館から借りまくっていたさ、黒歴史というやつです キャー恥ずかしい。
まあそうした本が好き、というところから、サトルは倫理社会で哲学の先っぽを教えている先生と個人的に話をするようになり親しくなっていくのですが

二巻では一年生の終わりから二年生の終わりまでの一年を、そして三巻で三年生の一年を・・・詳細は控えますが、自分が傷つき、人を傷つけ、サトルは音楽への道に進む情熱を失っていきます。
人それぞれにいろいろな思い出があり青春時代がありますが、総じて楽しいだけのものではなく、今が成熟しているわけでもありませんがすべてにおいて未熟なのに本人的にはすっかり大人としてできあがっているような勘違いをしているという、後に考えてみると非常に気恥ずかしい年代、というのはなにも小説の主人公だけに限ったことではないでしょう。

思い返して「いたたたた」、となる思い出を抱えながら その痛い自分の連続体としての自分。ずっと後からの回想なので、その時こうすべきだったけれども思い至らなかったなど後悔のの記述もでてきますが、
小説のポイントとなる大きな二つの出来事:
自分が傷ついたことへの心の落としどころを「愛」の中に見出したこと。
そして傷ついたことよりもさらに振り返ることが難しかった人を傷つけたことをどう自分の中に落としこんでいくかということ。(こちらは振り返ってみてもそれで心が晴れることはなく、ただただ人を傷つけた(しかも悪意をもって)ことの重さが残りますが)
これらをサトルの痛みを感じつつ自分の中の痛みを、そして落としどころを感じながら読む・・・そんなのもありでしょう。

小説の大枠には関係ありませんが、音楽科の高校ですからいろいろな曲や作曲家らの名前がでてきます。文化祭で発表する曲であったりオケの定演の曲であったり・・・
細かな楽器や音楽技法についてはわかりませんが、わかる方には この曲をここで?とか 高校生には難度が高いのでは?とか、通な楽しみ方もできるかもしれません。
また、哲学の話も楽しめます。ある意味、この小説のキモになる部分ですのでじっくり読むことをお勧めします。



しかし、若い。痛い。そこがせーしゅんの(←「青春」・・・ああなんて恥ずかしい名詞でしょう~)よいところでもあるけれど、さてこの小説、書き手である回想をしているサトルの年代で読むのと回想されている高校生サトルくらいの年代で読むのとではだいぶ印象が違うかもしれないなあ。
・・・・と思って、長男くんのラノベがずらっと並んでいる本棚に置いているのですが
ちっともあやつが読んだ形跡がない。

・・・・・・。

エレナ・ポーター「少女パレアナ」

2011-10-30 12:21:32 | 読書
その昔、フジテレビの世界名作劇場で「愛少女ポリアンナ」というアニメがやっていましたが、その原作がこれです。
前から気になっていた物語だけど、とうとう読む機会がおとずれた・・・てか 長女ちゃんに買った本を私が勝手に読んでるのですが~しかも先に!ははは

原作といいましても、正確にはこのお話と続編の「パレアナの青春」のふたつをくっつけたものがアニメになったのですが・・・原作と大きく違う点は、パレアナはずっと少女のままでいること。原作続編では結婚をするくらいのお年頃になっているらしいです。まだ未読のため詳細はわからず~

牧師の父を亡くして孤児となった11歳のパレアナ(=ポリアンナ)が不幸に負けずにがんばる・・・どれだけ悲しかったり苦しかったりしても、その中から「良かった」と思えることを探すゲームをするのですね。英語で「The Glad Game」、角川文庫村岡花子訳で読みましたが、邦訳では「なんでも喜ぶゲーム」。アニメでは「よかった探し」と呼んでいました。めちゃくちゃポジティブというか、これを喜ぶのは無理があるだろう~と思うことでも無理やり喜ぶ・・・アニメではシンプルに喜んでいましたが、小説の中ではどうしてもうまく良かったことが見つけられない、と一人で泣く場面もでてきてわたしとしては少しほっとしました・・・家族と死に別れて遠い地に住む独身でお金持ちの叔母様…昔に亡くなった母親の妹…の家に引き取られたのですが、美しい調度品有る部屋、素敵なカーテンやじゅうたんのある部屋、を横目にみながら通りすぎ、あてがわれたのが殺風景な屋根裏部屋。しきもの一枚ありません。この頃のおうちでは敷物やじゅうたんが贅沢品だったのでしょうか、パレアナはよく敷物がどうこうの話をする・・・。
教会伝道部の慰問箱に入っていたみすぼらしい服を着て、喪服を揃えることも婦人部の反対で(子どもに黒い服は合わないし喪服より教会に敷く赤い絨毯を買わないといけないので)叶わぬこととなり・・・でもパレアナはゲームを続けます。大切なお父さんから教わったゲームだから。
(ゲームを始めたきっかけは、パレアナがお人形が欲しいというのでお父さんが教会本部に頼んでくださったのだけれども慰問箱には人形のかわりに松葉杖が入っていて・・・係の女の人の手紙には人形が無かったのでこれを送ると・・・杖も誰かが必要でしょうからと・・・これ、どうやって喜ぶと思う???)

パレアナを引きとってくれた叔母様は過去になにか辛い経験をしたせいでパレアナにもなかなか心を開きませんが、パレアナは使用人のナンシ―やトム爺さん、孤児のジミー、偏屈なお金持ちのペンドルトンさんをはじめ町の多くの人たちにこのゲームを伝えて皆の心を柔らかく温かいものにしていきます。みなし児になったパレアナを引きとり育ててくれている叔母様に一番にこのゲームを教えたかったのだけれども、これはお父さんから教わったゲームで、叔母様はパレアナの父を嫌っているために伝えることができません。その昔年上のお金持ちとの婚約が決まっていたパレアナの母、つまり叔母様いとってのお姉さんはパレアナのお父さんと恋に落ち駆け落ち同然に町をでていきました。それ以来叔母様には不幸がずっと続いているように思えているからです・・・イジワルなおばさんというわけではなく、自分にも他人にも厳しいというだけなのですがとっても冷やかに見えるし態度も話振りもとってもクール。
しかし、徐々にですが叔母様もパレアナを可愛がるようになります。厳しい態度は変わらないのだけれど、叔母様がなにをしてもパレアナは叔母様のことを好きでいることをやめないから、心がどんどんと柔らかくなっていくのです。 
ほんと、辛いことがたくさんあるのにいたいけというか不憫というか、たしかに涙でそうなくらい頑張って?ゲームを続けているのですよね~、パレアナ。

なんでも喜ぶゲームのクライマックスはガッタガタになった教会(婦人部の分裂、聖歌隊員の脱退、日曜学校教師の辞表・・・争いと諍いとスキャンダルと妬みの渦巻く教区・・・すごくイヤそう~)の牧師様とパレアナの会話です。
パレアナは神様が見えなくなりそうな程苦しむ牧師と短い会話を交わします。自分の亡くなった父も牧師だったこと、父が教会のことで悩んでいるときに聖書の中に喜びの句を800も見つけたこと。


こうして町の人々の心を明るくしていくパレアナでしたが

ああ、こんなお話だってっけ。アニメはおもしろくてずっとみていたのにこの事件は覚えていなかった。思い切りネタばれですが

パレアナは交通事故にあって脊椎に傷を負い、腰から下が動けなくなってしまうのです。ああ これをどうやって喜ぶの、パレアナ~
喜ぶどころか最初の一週間は意識が戻ったりまた失ったり。

すぐに治ると思っていたパレアナは、もうニ度と歩くことができなくなるかもしれないという話を聞いてしまい、

町中のひとたちがお見舞いにかけつけます。が、叔母様は何がどうなっているのか、皆が口々にいうゲームとはなんなのかさっぱりわかりません。
使用人のナンシーからなんでも喜ぶゲームを聞かされやっと納得する叔母様。

そしてパレアナの容体は・・・

て、うるうるしながらずっと読んでいたワタクシ。

アニメでは よかった探し と、もう一つの大事件の方がインパクト強くてこのパレアナの事故のことをすっかり忘れていました。

(ちなみにもう一つの大事件とは仲違いをして数十年、パレアナのおかげでやっと結婚し幸せを手に入れることができた叔母様と町のお医者様チルトン先生との悲劇。このエピソードは続編「パレアナの青春」からのお話で、やっと叔母様の頑なな心が軟化した矢先に起こった出来事だったのでほんっとにテレビみていて驚いた。子ども向けアニメなのにぃ、でもないけれど諸行無常をこんなとこで示すのか というかパレアナの事故もそうだけど、人生ってそういいことばかりで進んでいくものじゃないのね感漂い過ぎの悲しい出来事でした)

続編があるくらいなのでもちろんパレアナには希望の光が戻ってくるのですが、そこに至るまでこれまでの登場人物の働きが働きをよび、ああやっぱりそうきたのねとなり最終的に大団円を迎えます。そこらへんのお話もご都合主義ではあるけれど わかっているけど、ウルっと涙腺がよわよわになってしまった。


楽しく読み終えました。泣きながら・・。
しかし このゲームは難しいと思うよ。上辺だけでうれしいフリをしてもだめで、意思を強く持たないとパレアナのように喜ぶのは難しい。

原作が出版された後、心理学分野で「ポリアンナ効果」「ポリアンナ症候群」という用語が生まれたそうです。

―効果:
一般的に
ポジティブな感情を伴った記憶ほど思い出し易く、ネガティブな感情を伴った記憶は思い出しにくい。一般に人は肯定的な評価を好む。
などを指す。

ー症候群:こっちは辛辣だー なんたって「疾患」だもの。
心的疾患。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表す。直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらない。常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと。

でもそうしないと苦しくて生きていけない場面というのも有りますからね。常に常に現実逃避しているというのではないならば、明るい面をみようとするのは正常な心の働きだと思います。
どうしても辛くてくじけそうな時にこそ、このゲームは有効、かもしれません。



ゲームはともあれ、おもしろかったです。長女ちゃんも一気読みでした。

沼田まほかる「猫鳴り」

2011-10-22 08:46:11 | 読書
すみません、タイトル買いをしました。

猫鳴り・・・のどをゴロゴロ鳴らす、あれをさしているそうですが

三部構成。初めて読む作家さん。

かわいらしいタイトルとは裏腹に最初から子どもを流産した女の捨て猫の鳴き声を鬱陶しく思うひやりとした感情から物語が始まり、
 
そう、主役猫は捨て猫ちゃんだったのですね。何度も捨てられ死にかけ、でも生きた。
後から捨てた人間もでてきますが 猫をとりまく人間たちの要約:
流産した女 ネグレクトされている子ども 登校拒否で荒れている少年 妻に先立たれ死も間近であろう老人

いやー濃いね~。どろどろはしていない、むしろ淡々と進んでいく物語ですけれど。来る命、逝く命。

捨て猫であったモンは結局女とその主人に拾われて飼い猫になるのですが モンの命:生きることそして死ぬこと、人が考える程のことを見通しているのかどうかはわからないけれどもその猫としての行動・・本能であると思われますが、それが周りの人間の心にナニカを残して行きます。

全然さわやかな話ではないし・・・最後は20年生きたモンが息を引き取るところで終わりますが、猫でさえ命がどんなものかを教えてくれることはできるのですね。
受け取る側がどう受け取るか、こちらの方が問題なのでした。






しろちゃんもあと20年くらいがんばってね・・・・

読み終わったー:中井英夫「虚無への供物」

2011-10-18 11:42:07 | 読書
ぜいぜい、やっと読了~ 長かったよ~本文も読んでる時間も。

日本ミステリ界三大奇書の最後の一冊です。
ドグラマグラは学生の頃、黒死館はついこの間青空文庫で読み終えていましたが、

うーん、奇書は奇書だ。

昭和30年代初期の東京を舞台に、氷沼一族にふりかかる災厄を素人探偵たちが真相はこうだとばかりに推理していくのですが・・・以下、出版社の紹介文:「戦後の推理小説ベスト3に数えられ、闇の世界にひときわ孤高な光芒を放ち屹立する巨篇ついにその姿を現す!井戸の底に潜む3人の兄弟。薔薇と不動と犯罪の神秘な妖かしに彩られた4つの密室殺人は、魂を震撼させる終章の悲劇の完成とともに。漆黒の翼に読者を乗せ、めくるめく反世界へと飛翔する。

なんじゃ~めくるめく反世界って??煽りがすごいです。

もとよりアンチミステリのお話である、ということでしたし、ドグラ、黒死館に並んで評される作品なので普通ではないと思っていました。 ・・・・でも 普通と言えば普通かなあ?

似非探偵たちと後から登場する本当の探偵役と、それに対する「犯人」がいるのかいないのか?だいたい、最初の死者が出た後に事故か殺人かわからないのに「絶対殺人。」と、無理やりに推理が始まるんだよね。時代の雰囲気、風俗を楽しむことはできます。当時からゲイバーはあったのね、とか車や電話といったものの扱いや、服装や。この長い小説自体が 虚無 への供物、ささげものなんだろうなあ。

トリックを楽しむ作品ではないです。
最終章の謎解き?も、んまぁほかにはいないだろう、登場人物は限られているしと思っていたけれど
ネタばれするのもなんだから詳しく書けませんが、読者を含む探偵役がどうのこうのいえる話では初めからなかった。ミステリ風ではあるけれど、ミステリにするならこうもできます、ああもできますというように探偵役の皆さんの推理あれこれが結局は単なる想像でしかなかったりその想像が真実にリンクしてこようとしたり  むむむ、表現がまずいなぁ

これを無人島に持っていく一冊にはわたしは選びませんが、アマゾンの書評を読むとそうおっしゃる方々もいるから繰り返し読んでいればいつの日にか感動が押し寄せそんな気になるのかもしれません・・・途中から誰が犯人でもいいやー的気分になったのは確か。ミステリと見せかけた風を装い、別の意味で読者をミステリの中へと巻き込むお話、というのが近いか?

そこを楽しむんじゃなくてそのもうひとつ上層部分を楽しむ小説と考えればよい、のかな。そんな体で再読してみればもっと楽しく読めるかもしれません・・・。