今朝は4時半空は真上に三分の一欠けたお月さ
まが見えていたのでいつものように散歩に出て
そのご畑道の中でやにわに雨がポツリポツリと
早足になって帰りを急ぎましたが、大粒の雨に
朝から濡れて、水も滴る、いい男になってしま
いました。(^o^ゞ
大型連休の前半、伊那市長谷の分杭峠に行き
その帰りに長谷中尾地区に伝わる中尾歌舞伎
を覗いてみました、この歌舞伎は、江戸時代中
期、地元の小松浅右衛門が四国の旅芸人から
義太夫を伝授されたのが始まりとされています
が、第2次世界大戦中から戦後にかけて途絶え
てしまいました「慶応元年丑歳」と記された引
き幕が現存しますが、その時代を唯一今に伝え
ているそうです。昭和61年、地区の青年たちが
復活させ、最近は定期公演を行うなど精力的に
活動していました。平成18年に長谷村、高遠町、
伊那市と合併し、現在の伊那市の「無形民俗
文化財」に指定されていました、ところが後継者
不足と地域の高齢化で中尾歌舞伎保存会がその
活動休止の発表をしてから一年・・これまで多
くの方から再開を望む声が聞かれ、継続的な
活動ができる方法について関係者で何度も検討
して漸く新たな第一歩を踏み出すことになって
再開した「中尾歌舞伎」を応援する気持ちで僅
かなおひねりを寄付をして、地域文化の再興に
エールを送ってきました。
内容はよく判りませんが、今度は早く行って前
の座り座席を確保して心して見てみたいものです
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まが見えていたのでいつものように散歩に出て
そのご畑道の中でやにわに雨がポツリポツリと
早足になって帰りを急ぎましたが、大粒の雨に
朝から濡れて、水も滴る、いい男になってしま
いました。(^o^ゞ
大型連休の前半、伊那市長谷の分杭峠に行き
その帰りに長谷中尾地区に伝わる中尾歌舞伎
を覗いてみました、この歌舞伎は、江戸時代中
期、地元の小松浅右衛門が四国の旅芸人から
義太夫を伝授されたのが始まりとされています
が、第2次世界大戦中から戦後にかけて途絶え
てしまいました「慶応元年丑歳」と記された引
き幕が現存しますが、その時代を唯一今に伝え
ているそうです。昭和61年、地区の青年たちが
復活させ、最近は定期公演を行うなど精力的に
活動していました。平成18年に長谷村、高遠町、
伊那市と合併し、現在の伊那市の「無形民俗
文化財」に指定されていました、ところが後継者
不足と地域の高齢化で中尾歌舞伎保存会がその
活動休止の発表をしてから一年・・これまで多
くの方から再開を望む声が聞かれ、継続的な
活動ができる方法について関係者で何度も検討
して漸く新たな第一歩を踏み出すことになって
再開した「中尾歌舞伎」を応援する気持ちで僅
かなおひねりを寄付をして、地域文化の再興に
エールを送ってきました。
内容はよく判りませんが、今度は早く行って前
の座り座席を確保して心して見てみたいものです
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おはようございます。
弁慶が我が娘を刺し殺してしまう・・・。
先日テレビのニュースで中尾歌舞伎をやっていました。ひょっとしたらワイコマさんも写っていたかもしれませんね。伝統を守っていくと言うことは大変だと改めて思いました。
ことですね。
滋賀の先輩から、時折地元の伝統芸能や
祭りの便りを貰いますが、
毎年やるのは大変なので、2年とか数年に
一度にして「継続」を工夫しているのも多い、
と聞きます。
一度途切れたら復活させるのは至難の業です。
というのは、当市でも戦後のある時期までは
歌舞伎に似た、お芝居と言っていましたが
ある神社の祭礼に合わせて開かれていました。
いつの間にか消えてしまいましたが
惜しい郷土園芸でした。
でもこのような伝統を存続するのも
大変な事だろうと思いますが
何とか後の人たちへ伝承するように
受け継いで欲しいものです。
半分以上の人たちは、立ち見でした。
でも観客はいい場面なりますと、掛け声
おひねり・・舞台と客席が一体となって
素晴らしい歌舞伎でした。
これからも是非継続したほしいと・・
アンケートしてきました。
公演されます。多分今日明日は有名な
大鹿歌舞伎があったはず・・地元の人達が
鳴り物から舞台づくりから配役や役者まで
ほんと手作り感がいいですよね。
何人か前のおばあさんの目に涙が溢れ
それでも舞台を凝視している姿が印象的でした
これぞ田舎の伝統芸能、芝居なんですが
立派な芸術です。素晴らしい感動をいただきました
高校を卒業すると・・それ以降誰も村に
戻ってこない・・村の農業では生活が大変で
帰りたくとも 帰れない・・それを70代の
お年寄り達が辛うじて年金と農業で生活
しながら伝統芸能を守ってきて3年前は
苦渋の決断で休演となって・・今回再演
お金の問題ではなくて・・人の問題・・
深刻ですね (≧ω≦)
高遠から少し伊那里に向かったあたりですね
母が高遠城の松平の系統になります
一つ山を越えて 新山村が私が小学生時代を過ごした寒村です
懐かしい故郷を見ました
4.5年前に亡くなった妹と兄と私の車で60年ぶりにこの辺りも廻りました
中尾歌舞伎については あまり知りません
分杭峠の方に歌舞伎をする集落 これが昔から知られていましたね
こうした、日本文化は、どうにかして引き継いでいって頂きたいものですね。
そのために国が関わっていくのも1つの方法かも知れませんよね(*´∀`)
人が暮らせられるのか??と思うほどの山奥です
高遠は桜で有名ですがそれから大鹿村に向かう峠の中間から更に左の山奥です
大鹿の歌舞伎は有名で私も数回見ましたが
この中尾歌舞伎は、今回はじめて見ました
土地の皆さんが少ない人数を駆使して皆で
協力しあっての歌舞伎・・その出来栄えよりも
この土地での伝統文化の継承について
学ばせていただきました。
信州は山深い田舎だ~とつくづく再認識
そんな田舎の伝統文化を細々と如何に
守るか・・課題です
未だに細々と続くことが不思議です。
昔は道路もなく、大した農地もなく生きるのに
精一杯の山奥で・・そこに住む人達が・・・
歌舞伎を演じて、楽しんでいたとは・・
それも江戸の昔から・・これは大変な
伝統芸能です。そんなところが信州の
山奥には、まだまだありそうで、機会が
ありましたら発掘してみたいと思っています