この週末、訳あって中学の部活練習に参加した はるひ。
日頃、今は自主練のみなので、楽しそうだった
バッティングも好調だった
そこへ、兄と兄の仲間たちが恩師の先生に会いにやってきた
練習終了後、ピッチャー、バッター、野手を交代で遊ぶ
ゆづきの打席、体育館の屋根の乗せる特大ホームラン、を打つ。
(オソロシすぎる… 恐ろしがられる 苦笑)
帰って
オレ、肘も痛くならんし軟式やっとけば良かったかな〜 って
(今頃ー!?)優勝チームの一員になれてたかもね(笑)
この週末、訳あって中学の部活練習に参加した はるひ。
日頃、今は自主練のみなので、楽しそうだった
バッティングも好調だった
そこへ、兄と兄の仲間たちが恩師の先生に会いにやってきた
練習終了後、ピッチャー、バッター、野手を交代で遊ぶ
ゆづきの打席、体育館の屋根の乗せる特大ホームラン、を打つ。
(オソロシすぎる… 恐ろしがられる 苦笑)
帰って
オレ、肘も痛くならんし軟式やっとけば良かったかな〜 って
(今頃ー!?)優勝チームの一員になれてたかもね(笑)
ゆづきの夏(野球)が終わって1ヶ月。ずいぶん時がたったように感じます。
時がたちすぎる前に今だから言えることも記しておこうとおもう。
小4から始めた野球。しばらくは将棋と掛け持ち。(ん~ 懐かしい)
思い返せば、常にケガと寄り添ってきた野球でありました
ここでゆづきは、今も続く仲間との出会いがありました。
同じ小学校の同級生21人でひとチーム。最初のポジジョンはショート。その後サード。ユニホームが出来上がり固定だった背番号は超弱いジャンケンで勝ちとった5番。6年生の夏、正捕手のケガにより臨時でキャッチャーに。チームはその後も好成績が続き、今や最も注目選手の根尾くんとも(地区大会決勝)幾度と勝負しました~
中学になる時、チームの仲間10人程とボーイズ(硬式野球)の見学に行きました。(全員、同じ中学にそのまま入学ですが)整った施設と練習とを見て多くのメンバーが心惹かれました ・・・が、結局全員中学の野球部(軟式野球)に入部。黄金時代と呼ばれる中学野球3年間を過ごすこととなりました。(この代、ボーイズには根尾君がいたんですけどね^^)
中学になると成長期も重なってか、最初は膝に痛みが出ました。大事な試合前に自転車ですっ転んで膝に重症な擦り切りキズをおったことがありました。膝あてや内側に厚いスポンジ地を縫い付けたり…(試合後は滲出液でドロドロだったのだけど)色々やらかしてくれました^^; 2年で正捕手となり責任ある中、お腹の調子が超ー悪くて しゃがむ姿にハラハラした公式戦もありました~(>_<)
体は冬の度に7キロ増。入学時47㎏が3年になると70㎏を超え気付けば巨漢?に(笑)〔3年間で27㎏増〕
膝に続き、肘の痛みもでました。結局これは最後まで付き合う痛みとなりました。
良き仲間、良き指導者に恵まれ、県優勝も果たした最高な中学野球でした。
同じ高校へは野球部6人が入学入部。他校からも優れた選手が入部し楽しみだったのだけど… 勝利への道はなぜか遠かったですね、、、
ゆづきは2年の秋大予選で球が肘を直撃。MRIですでに離断性骨軟骨炎であったことを知る。あと残り1年。手術はせず続行。3年になり春大予選後、肩に違和感、亜脱臼の診断… 関節が緩すぎることと、ルーズショルダーという言葉も知る。なかなか投げれるまで時間がかかりました。夏大に向け最初で最後の合宿(6月)前夜、2度目の亜脱臼(-_-;;;)ドクターストップも聞かず合宿へ。夏大まで1ヶ月・・。仲間の母さんから「あいつは絶対間に合わせる。毎回そうだから」っと息子が言っていると。そんな言葉は嬉しく励まされ、仲間の読み通り 練習前後に治療院にマッサージ、テーピングに通いながら調整もうまくいっていたのだけど、大会3日前の練習で不運にも右手首に球を受けてしまう
そして迎えた初戦。ここで1勝し2回戦(予定)の強豪校との対戦を強く望んだのだけど、激戦の末、サヨナラ負け。高校野球が終わった。手首が利かず盗塁5は不本意だったと思うけど、この仲間と一緒に野球ができたこと、今日の自分にも後悔はない、と試合後の引退セレモニーで言っていた。清々しい姿だった
長く楽しませてもらった ゆづきの野球が終わった。
たくさんの思い出と感動とたくさんの仲間との出会いを本当にありがとう。感謝!