( この写真は、私が初めてアシスタントをした頃、生活していた調布市の仙川駅前[1974年昭和
49年頃]の風景です。 )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】
その2 ...........................................'05年 2月14日 04時38分
漫画家アシスタントをはじめてやったのは、1974年(19歳)で、住んでいたのは調布市千川の小さな
下宿(木造モルタル、3畳間、月1万5千円)でした。
夏は息も出来ないドボン式共同便所。共同水道1個。ガスなし。3畳一間に裸電球・・・。唯一の窓
は、廊下に面しているので、部屋にはまったく陽がささない。
1ヶ月の生活費は、3万円。 暗くジメジメした万年床、長髪に顔も洗わぬ無精ひげ。冬の暖房はコ
タツだけ、灰皿代わりのどんぶりには、てんこ盛りになった吸がらの山・・・・・読んでた本が、太宰
治の「人間失格」、カフカの「変身」、マルクス「共産党宣言」・・・
下宿2階は、3世帯。 私がいた1階も3世帯。 共同便所隣りが、メイ大1年のサカモト君。 共同
便所ま向かいが、私で、私の部屋の奥隣りが、メイ大の3年生。このメイ大の3年生は、ねずみ講
にはまっていて、新しく入ってきたド貧乏の私に、しつこく20万円の自動車排ガス清浄装置(?)を
売ろうとするので、うんざりさせられた。
この下宿に入った頃は、新宿のデパート食堂の皿洗いや、中野のビル清掃などのバイトで生活し
ていました。 「第2章 その1」に書いたように、この頃入っていた同人誌の会長さんの紹介で、
女流怪奇漫画家S・M先生のアシスタントになったわけです。
仕事は、怪奇物単行本の書き下ろしで、背景1ページで、500円! まあ、1日3ページ仕上げれば
月4万5千円にはなるので、悪い仕事ではありませんでした。 でも・・・・仕事は、全て一人自宅で
やる事になっていたので、コタツの上で、カリカリとペンを走らせていたんですが・・・ 一人・・・ コ
タツ・・・ 眠気・・・ 集中力ダウン・・・・・・
1ヶ月もしない内にダレてしまい、「まあ、明日やりゃあいいさ・・・・」などという恐ろしい誘惑にとら
われ、1週間で、5,6枚しか原稿が仕上がらないというていたらく・・・。万年床の上にコタツを置き、
本を読み、漫画を読み、不善をなし、延々と惰眠をむさぼる。
20枚、30枚と原稿を届けなくてはならないのに・・・。 異変に気がついたS・M先生が、電話をくれ
るが、あくまでやさしい・・・。
「どーしたのォン・・・ 具合でも悪いのォ?」
そう心配してくれる、やさしさにつけ込むように・・・
「カ・・・カゼ・・・ひいちゃったみたいで・・・・・」
S・M先生は、励ますように・・・
「気ィつけてなァ~ 体大事にせなァあかんやァ~ン」
当時の多くの漫画家志望者は、どうも「貧乏」をファッションのように楽しんでいたふしが見られる。
わずかなお金にあくせくせず、ダラダラ生きる事を選ぶ・・・。(四畳半フォーク、ゲタにジーンズが流
行した時代)当時は、そうした生き方に「反体制」とか、「自由」とか意味づけをしていたけれど、今
から考えると・・・ 飽食の時代、80年代のバブル景気、そういった時代の無気力な前兆だったよう
な・・・・ 。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 自分の夢実現を邪魔する者は、親でも社会でもない。 自分の怠惰である。』
「漫画家アシスタント第2章 その3」 へつづく・・・
・前の記事へ戻る時はこちら→「 第2章 その1 」
【 各章案内 】 「第1章 その1」 「第2章 その1」 「第3章 その1」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
49年頃]の風景です。 )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】
その2 ...........................................'05年 2月14日 04時38分
漫画家アシスタントをはじめてやったのは、1974年(19歳)で、住んでいたのは調布市千川の小さな
下宿(木造モルタル、3畳間、月1万5千円)でした。
夏は息も出来ないドボン式共同便所。共同水道1個。ガスなし。3畳一間に裸電球・・・。唯一の窓
は、廊下に面しているので、部屋にはまったく陽がささない。
1ヶ月の生活費は、3万円。 暗くジメジメした万年床、長髪に顔も洗わぬ無精ひげ。冬の暖房はコ
タツだけ、灰皿代わりのどんぶりには、てんこ盛りになった吸がらの山・・・・・読んでた本が、太宰
治の「人間失格」、カフカの「変身」、マルクス「共産党宣言」・・・
下宿2階は、3世帯。 私がいた1階も3世帯。 共同便所隣りが、メイ大1年のサカモト君。 共同
便所ま向かいが、私で、私の部屋の奥隣りが、メイ大の3年生。このメイ大の3年生は、ねずみ講
にはまっていて、新しく入ってきたド貧乏の私に、しつこく20万円の自動車排ガス清浄装置(?)を
売ろうとするので、うんざりさせられた。
この下宿に入った頃は、新宿のデパート食堂の皿洗いや、中野のビル清掃などのバイトで生活し
ていました。 「第2章 その1」に書いたように、この頃入っていた同人誌の会長さんの紹介で、
女流怪奇漫画家S・M先生のアシスタントになったわけです。
仕事は、怪奇物単行本の書き下ろしで、背景1ページで、500円! まあ、1日3ページ仕上げれば
月4万5千円にはなるので、悪い仕事ではありませんでした。 でも・・・・仕事は、全て一人自宅で
やる事になっていたので、コタツの上で、カリカリとペンを走らせていたんですが・・・ 一人・・・ コ
タツ・・・ 眠気・・・ 集中力ダウン・・・・・・
1ヶ月もしない内にダレてしまい、「まあ、明日やりゃあいいさ・・・・」などという恐ろしい誘惑にとら
われ、1週間で、5,6枚しか原稿が仕上がらないというていたらく・・・。万年床の上にコタツを置き、
本を読み、漫画を読み、不善をなし、延々と惰眠をむさぼる。
20枚、30枚と原稿を届けなくてはならないのに・・・。 異変に気がついたS・M先生が、電話をくれ
るが、あくまでやさしい・・・。
「どーしたのォン・・・ 具合でも悪いのォ?」
そう心配してくれる、やさしさにつけ込むように・・・
「カ・・・カゼ・・・ひいちゃったみたいで・・・・・」
S・M先生は、励ますように・・・
「気ィつけてなァ~ 体大事にせなァあかんやァ~ン」
当時の多くの漫画家志望者は、どうも「貧乏」をファッションのように楽しんでいたふしが見られる。
わずかなお金にあくせくせず、ダラダラ生きる事を選ぶ・・・。(四畳半フォーク、ゲタにジーンズが流
行した時代)当時は、そうした生き方に「反体制」とか、「自由」とか意味づけをしていたけれど、今
から考えると・・・ 飽食の時代、80年代のバブル景気、そういった時代の無気力な前兆だったよう
な・・・・ 。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 自分の夢実現を邪魔する者は、親でも社会でもない。 自分の怠惰である。』
「漫画家アシスタント第2章 その3」 へつづく・・・
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「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
(51歳)になっても未だにこの言葉から卒業できない有様なのです。
まったく、お恥ずかしい次第です。 書いている本人がこのザマで
すので、アッシュさんのコメントの様に評価していただくと、それだ
けで、励まされるやら穴にでも入ってしまいたいやら・・・・・・!
本当に、今日はコメントをどうもありがとうございました!
拙ブログを、どうかこれからもよろしく(笑ってやって下さい!)お願
いいたします!