漫画家アシスタント物語 第2章

ブログ「漫画家アシスタント物語」の第2章をまとめました

漫画家アシスタント第2章 その20

2005年08月30日 19時54分39秒 | 漫画家アシスタント
  ( この写真は、東京西武池袋線、富士見台駅前商店街です。この先にM先生の家がありました。
  《2005年 6月 撮影》)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】
    


                         その20 ・・・・・・・・・・・・ 2005年06月22日 23時47分 (公開)


ここの仕事場はピリピリとした緊張感( 好きな方にはさわやかな気分かもしれませんが、仕事嫌い
の私には苦痛でした・・・ )が張りつめていました・・・・。

1977年 昭和52年 夏。東京練馬区富士見台のM・M先生のアシスタントの日課はほぼ以下の様
になります。

朝9時、先生宅、仕事場、廊下、階段、トイレ・・・等を掃除、シッカリ雑巾がけする。そして、M先生
の仕事机の上は特に注意してかたずける。5,60本もあるペン、筆類は整理してならべる。順番も決
まっている。

キレイに整頓し、書籍やLPの棚もシッカリ雑巾がけする。そして、極めつけは犬の世話です。2匹
いる大型犬のクソの始末をし、エサをやる。これ朝と夕方2回。正直言って毎日、仕事(漫画制作)
らしい仕事はありませんでした。

私が居た頃はちょうど仕事が少ない頃だったので、背景の仕事をしたのはお世話になった一週間
のうちの2日ほどだったと思います。

M先生は私の絵が大嫌いでした。リアルで緻密な劇画調の背景を何より嫌っておられました。

 「 劇画屋の絵なんか! 」

という言葉を毎日聞かされたものです。M先生の絵に対するこだわりや高い理想はとても尊敬でき
たし、お教えいただいた事( フランスの絵画技法の何とかカンとか・・・ )も芸術的で崇高だと思う。
その意味では、背景の仕事だけやっていれば私には、とてもいい勉強になる職場だったのですが・・・
・・・・。

ほとんど仕事らしい仕事がない。では、何をやっていたのか・・・?

犬の散歩。犬のフン掃除。野球。釣り堀・・・・etc。 夜、食事の支度を手伝い、食事後に後かたずけ
をする・・・。皿を洗いながら、いったい自分は何をやっているのか・・・ 毎日、ワケがわからない。 

犬の糞をドブへ捨てながら・・・なぜ自分は今こんな事をしているのか・・・・

 ポチャポチャッ

 『 しかし・・・・・ドブにこんなモン捨てていいのかなぁ・・・・もし、途中で詰まったりしたらどうなる
  んだろぉなぁ・・・・・また怒られたりして・・・・ でもぉ・・・ここに捨てるんだよって、○○さん(先輩
  アシスタント)が言ったんだし・・・・・・・・ 』

・・・・・・・などと考えながら・・・・・・・

時間だけが過ぎていく・・・。



                          「漫画家アシスタント 第2章 その21」 へつづく・・・



・前の記事へ戻る時はこちら→「 第2章 その19 」



   * 参考 *   
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

.............. 私(yes)のアシスタント履歴

1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
        4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)

1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
        ったのですが・・・・。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)

1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
        事欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)

1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
        ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
        主演でTVドラマ化されていました。(23歳) 
        ‘05年平成17年、現在なお、秋山プロにぶら下り中。 (50歳)


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     ( より詳しい履歴は 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。 )
    
     
 






【 各章案内 】  「第1章 その1」  「第2章 その1」  「第3章 その1」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」  「古い話で章 その1」
          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )







漫画家アシスタント第2章 その19

2005年08月25日 22時31分19秒 | 漫画背景
  ( この写真は、漫画家M先生が当時おられた東京、西武池袋線の富士見台駅です。28年前と
  はすっかり変わってしまいました。《2005年 6月 撮影》)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】



                       その19 ・・・・・・・・・・・・・ 2005年06月16日 22時28分 ( 公開 )


正直な話、私は漫画家アシスタントを真剣にやろうと思った事は一度もありません。 (少なくともア
シスタントを始めて20年位は・・・)       

まじめに「仕事」として真剣にやるようになったのは、つい最近の事です。 漫画を描く事が当たり前
なんですから漫画背景の仕事は「つなぎ」「趣味の延長」・・・という感じでした。

しかし、他のアシスタント諸兄は私なんぞとは違い、とてもまじめでした。背景の処理に生きがいを感
じている人や、アシスタントの仕事場に入ると気合が入ると言う人、背景を描いていると充実すると言
う人とか、本当にいろいろな人がいます・・・。 私の様にアシスタントをいい加減にやっている人間は、
例外なのかもしれません。


1977年 昭和52年 夏・・・。 それまで、新宿のフランス料理店でカウンター係りとして水割りやハイ
ボールを作っていた私は、大好きだった漫画家M先生のアシスタントになりました・・・。

仕事初日・・・。 朝9時頃からと、言われていたのに10時頃行くともう仕事が始まっていた・・・ 『漫画
家の仕事はみんな昼過ぎから・・・』などと思っていたのは大間違いで・・・・ アシスタントの一人に・・・

 「バカヤローッ! 今頃来やがって、これやれっ!」

と、どなられて組み立て式の小座卓の上に原稿と消しゴムを投げられる。つまり、最初の仕事は消し
ゴムかけ。 だが、この小座卓はスミとのりでベタベタになっていて、原稿を置けたものではないので、
まずティッシュでテーブルを拭く事から始め・・・ そして緊張しながらていねいに消しゴムをかけている
と、先ほどのアシスタントが・・・

 「まだやってるのかっ! 遅せーぞっ! 次はトレース!!」

  ( 先生の描いた一人の兵隊を模写して数十人の兵隊の行進に発展させる。 トレースの未経
    験者にはかなり難しい。)

『ト・・・ トレースって何?』 町や森や背景効果は描けるが・・・ キャラクターのトレースとは・・・・・ 

生まれて初めて見るトレース台・・・。 おまけにあの有名なM先生のキャラクターをトレースして何体も
描くとは・・・ 手が震えて描けない・・・ 時間だけが過ぎていく・・・・・ 初日から地獄である。 

全然、仕事が出来ないという・・・無能地獄である!



                         「漫画家アシスタント物語 第2章 その20」へつづく・・・



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このページへのコメント 【 計6 】




初めましてバカざるです。 (バカざる)

2005-06-21 17:46:07

僕は大阪に住む漫画を描くのが好きな少年です。
僕は私さんのこの漫画アシスタント物語を読んでとても疑問に思ったことがあります。
それは、なぜ私さんが漫画家になりたいと思ったのか漫画でいったい何を表現したくて漫画を描こうと思ったのかそれがとてもきになる所です。
これは僕の考え方なのですから軽く流して聞いてほしい事なのですが僕は正直言って芸術やスポーツも含めて一番大切な事はなぜその事柄について専門的に追求していくのかとか何を表現したいのかが一番大切なのだと思います。表現方法(この場合漫画)よりも何を
表現したいかそれがあるのと無いのとではとても違ってくると思うのです。              
僕の表現したいものは友達です。
それを具体的に表現したいと思ったときなんか無いか
と探したときにたまたま漫画があっただけなのです。
僕はこう思います、一番自分が表現したい物をたった一人で表現できるというならばその人はたとえ世間的に地位がなくとも一人前の人間と言えるのではないでしょうか?




コメントありがとうございます。 (yes)

2005-06-21 20:40:25

はじめまして。 ば・・・バカざる・・・さん。(ちょっと呼びにく
いんですけど・・・ すごいハンドルネームですね・・・)

「何を表現したいのかが一番大切なのだ・・・」というあなたの
「考え方」はすばらしいです。 私なんぞのような『バカ人間』
には何を表現したらいいかなんて分りません・・・ と言うか・・・

全然考えていませんでした。 『描きたいから描いている』だ
けです。 何を描きたいかというのは、言葉に出来ません・・・。
残念ながら本当に言葉に出来ないんです。もし、言葉にする事
が出来たら、漫画で表現しないでおしゃべりか文章で表現して
いたかもしれません。

あなたのように、「自分が一番表現したい物」はこれです!
とハッキリ言えるような人より私のようにあんまり真剣に考え
ないで描いてきてしまった・・・『バカ人間』の方が世の中には
多いような気もしますが・・・ とにかく、『ばか人間』と言う
か『バカオヤジ』と言うかダメ大人を代表いたしまして、ここ
につつしんでおわびいたします。
           (なんでオレがわびてるの・・・?)


                      半人前のyes




いえいえそんな (バカざる)

2005-06-21 23:18:42

お返事ありがとうございます。
「バカざる」とは、今僕が描いている漫画のタイトルです。
まさか返事がくるとは思ってもみませんでした。
ありがとうございます。
まだまだ聞きたい事と聞いてほしい事もりだくさんなのですが忙しいので今日は寝ます。
頑張ってください
今後もよろしくおねがいします




こちらこそ、よろしく! (yes)

2005-06-22 01:08:20

忙しい中、コメントどうもありがとうございます!

とりあえず、今日のところはグッスリおやすみ下さい。
「明日のために・・・」と言う事で・・・。

では。 お・や・す・み・な・さ・い・・・・(小声で・・・)




Unknown (シャモン)

2005-06-22 04:53:49

おはようゴザイマス。シャモンです。前に仕事場の同僚に:既婚・子供有30半ば「もう漫画家諦めたんですか?」と聞いたら、「アシスタントで一生食えるなら、それでもいいのかな・・・と最近考えてる」とのこと。
その人は凄く早くて巧くて人間的にもかなり完成した人です。本心はどうかはわかりませんが、こんな凄い背景が早くて巧くても、漫画家という職業には直結しないんだなぁ・・・と感じました。
と、ここで前から疑問だったんですが、アシの仕事って何歳まで需要があるんでしょうか?体力的な問題とは別に。
やはり、途中で皆アシから足洗っていくんでしょうか・・・?凄く気になります。yesさんの知り合いに同年代でアシやってる人沢山いますか?良かったら教えてください。巧ければ一生需要はあるんでしょうか?




お早うございます。シャモンさん。 (yes)

2005-06-23 04:12:32

朝4時53分のコメントですか・・・ ひょっとして、徹夜ですか? 

この業界の人はこの位の時間にならないと眠らない人が多いで
すよね。 私も夜暗い内は眠れません・・・。 まあ、そんな事は
さておき、さっそく本題へ・・・・

同年代でアシスタントをやっている人は日本全国で数十人位は
いると思います。 大御所クラスの漫画家と長年、仕事をつづ
けて、結果としてその先生と共に齢を取っていった・・・そういう
パターンが多いと思います。

私は26年秋山プロにいますが、スタッフ3人の内私が一番年下
です(!)。 使えるアシスタントはなかなか得がたくなって
きた昨今ですので、高い技術があればアシスタントの需要はあ
ると思います。

もっとも、雇う側が自分より年上過ぎるのは「使いにくい」の
で敬遠される可能性が高いでしょうから、有名企業に就職する
のと同じで、有名漫画家に死ぬまでご一緒するのが、楽な道だ
と思います。

ちなみに、秋山プロでは40歳から50歳位でベテランが退職した
事がありますが、再就職先は漫画とは全然関係のない、バイト
や警備会社などですので、漫画家アシスタントの未来について
は・・・・・・ 「考えないようにする」 「見ても見なかった事に
する」 という結果になりがちです。

『いつか漫画家になるんだ』という夢はまさに麻薬のようなも
ので、現実から逃避してしまうような気もします。

とにかく、私の知る限りにおいては40,50代で漫画家アシスタ
ントを辞めるとその後の再就職はものすごく困難を極めます。

「漫画家アシスタントはつぶしが利きません」

高齢漫画家のアシスタントに再就職口を見つけるのも大変かも
しれません。 普通、自分より若いアシスタントを使うでしょ
うから・・・・ 

30歳を過ぎたらスキルを身につけておくべきだと思います。
運転免許、介護福祉2級、パソコン検定、外国語、スケコマシ
・・・etc 別に難しく考えないで、自分の好きな事、興味のある
事、で資格を取っておく(もしくは、経験を積む)事です。
何でもいいんです。

ちなみに私はなーにもありません。なぜ、そんなのん気なのか
というと、実は私のカミさんがタイマッサージ店をやっている
ので、いざという時は「髪結いの亭主」にでも・・・ などと甘
い事を夢想しているのです。

やば・・・ 長くなり過ぎました・・・ では、この辺で・・・





   

漫画家アシスタント第2章 その18

2005年08月18日 04時48分32秒 | 漫画家アシスタント
  ( この写真は、前回につづいて井の頭公園ですが・・・ この美しいながめともお別れしました。)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】



                       その18 ・・・・・・・・・・・・・ 2005年06月08日 01時15分 (公開)


はじめて漫画家アシスタントをやる時は、使ってくれるなら誰でも良かったりするのですが・・・。 ある
程度経験を積むと、どの漫画家が良いか選択するようになるものです。

少し背景処理に自信が付いたので、大好きな漫画家へ飛び込みで会いに行きました。当時、漫画フ
ァンの間では絶大な支持のあったM・M先生。

まず電話で「先生に是非、作品を見てほしい・・・」と面会を求める。 はじめからアシスタント志望と言
うと断られる確率が高くなるからです。

夜、突然見ず知らずの男が電話をする・・・ 相手にしてもらえるだろうか・・・しかし・・・ 夜遅い時間に
もかかわらず面会が即、OKに・・・!絵を見てもらい、アシスタント志望である事を告げると・・・ 即、O
K・・・。

調子よく事が運び過ぎる・・・ 『オレがそんなにラッキーな人間か・・・?』と疑ってかかるべきだった・・・・
・・・・・。 ( 1977年 昭和52年 夏 )


東京の西武池袋線、富士見台駅から10分ほどの所にある一戸建て住宅・・・。M先生の仕事場は6畳
ほど、他にアシスタントの仕事場用プレハブ一棟。

ヒゲをたくわえデンと構える先生に絵を見ていただいて、すぐアシスタントになれるとは・・・ 『オレの実
力もまんざらではないな・・・』などと考えたり、運ばれて来た仕出し弁当をみて、『さすが一流漫画家、
仕出し弁当か・・・』などと、アホな事をボンヤリ考えていた。( ちょうど人手が足らなかっただけなので
すが・・・ )

この仕事場の「緊張」を思い知るのにたいして時間はかからなかった・・・。


一人のアシスタントが仕事をしていた。長髪の同年代の若者でヘッドフォンを付けている。さっそく何を
聞いているのかたずねると・・・。

 「俺が何聴こうが勝手だろ!」

明日からここで仕事ができる事になった・・・・・・。 



                            「漫画家アシスタント 第2章 その19」 へつづく・・・



・前の記事へ戻る時はこちら→「 第2章 その17 」
 


(私の漫画履歴は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。)



 






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          「諦めま章 その1」  「古い話で章 その1」
          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )






このページへのコメント 【 計2 】


Unknown (シャモン)

2005-06-15 09:37:14

私もアシスタントをしてます。たまたまここを覗いて色々読ませて頂きました。現在31歳・・・アシを始めて、はや9年が経ってしまいました。
現在の仕事場は既に4年程・・・いつも焦りはあるのに思うように前に進めず(時間が経った分、色んな意味で成長できたと自分では思っているのですが)周りのアシは家庭を持ち落ち着いてしまった人が多く、自分もそれに流されそうで、かなり不安・・・そろそろかなり強烈に危機感に襲われてます。
色んな漫画家志望者やアシの人達がこういう不安と闘っていると思います。このブログ、また覗きに来ます。続き、楽しみにしてます。




コメントありがとうございます。 (yes)

2005-06-16 03:35:24

31歳ですか・・・・ すごく苦しい時期かもしれませんね・・・ 
アシスタントの多くの人が一人で悩んでいるんだと思います。

その悩みや苦しみあせりを創作のバネにするか、苦しみから
逃れるために酒、女、ギャンブル、無数にある「娯楽」など
にはまる事で深刻な問題を先送りして、毎日を過ごす・・・・・

このパターンは最も危険な落とし穴であり、最も多くのアシ
スタントが落ち込む穴でもあると思います。

もっとも、女とセックスしたり結婚したり、好きな趣味に生
きる事が、「漫画家になる事」より重要な事なら、それも人
生です。 それはそれで、まったく普通の事だと思います。
孤独に漫画道をわき目も振らずに進んでいく方が「不思議」
な事なのではないでしょうか・・・?

是非また、覗きに来て下さいね。 私はシャモンさんのコメ
ントをまた読める日を楽しみにしています。






漫画家アシスタント第2章 その17

2005年08月11日 18時43分20秒 | アシスタント
  ( この写真は、東京三鷹市の井の頭公園内のベンチです。Kさんの所を辞めて一人ボンヤリして
  いた場所です。《2005年4月撮影》 )

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】




                      その17 ・・・・・・・・・・・・・ 2005年06月01日 01時13分 (公開)


「 困った事があったら、また来いよ 」

Kさんは別れ際にそう言った。 頭にくるアシスタントだと思っておられただろうに・・・ 『 困った事が
あっても、もう来るなよ! 』とかって、仰りたかっただろうに・・・・・・ ( 1976年 師走 )


私は12月分の最後の給料を受け取り、冬の井の頭公園をトボトボ歩いた。途中で園内のベンチに
座り、人気のない公園の枯れ木をぼんやり眺める。

Kさんの所はあと4.5日は滅茶苦茶に忙しいだろう・・・ せっかく使えるようになってきたアシスタント
がこの時期に辞めてしまうのだから・・・

でも、私は明日からの生活のメドもたたぬまま公園のベンチで、『 また1,2週間アルバイトニュース
のお世話になるのかぁ・・・ 』などと、わびしく考えていました。

公園わきの道路を自動車が何台も走り去って行くのを見ていると、まるで自分一人だけが取り残さ
れていく様な孤独感を感じました・・・ 今でもハッキリとその時の事を思い出します。


翌日から、さっそくアルバイト探し・・・ もうアルバイト探しもすっかり慣れているので、時給が高くて、
作業も楽そうな仕事はすぐに見つかり、とりあえず生活はなんとかなりました。

デパート内そば店のホール係、新宿のパブのボーイ、そしてフランス料理店のカウンター係・・・・・・
(ちなみに、この20数年でこれらのお店はみんな無くなってしまいましたが・・・)


そして、はじめて思いました。自分が一番好きな漫画家(当時2,3人いました)のアシスタントになろ
う・・・と。

大好きな漫画家なんだから、これはきっと上手くいく! ・・・と。

・・・ついに・・・! 一週間しか勤まらなかったM先生の所へ・・・・・



                         「漫画家アシスタント 第2章 その18」へつづく・・・


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漫画家アシスタント第2章 その16

2005年08月10日 23時43分39秒 | アシスタント
  ( この写真は、井の頭公園の入り口にある焼き鳥屋さん。なんと30年前と同様に今でも商売をさ
  れています。当時、毎日この前を通って仕事場に通いました。)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】



                       その16 ・・・・・・・・・・・・・ 2005年05月24日 22時43分 (公開)


Kさんの仕事場はだいたい夜11時頃に終わる。 その夜は、他のアシスタントが帰った後で、Kさんに
仕事を辞める事を告げた。 勿論Hさんの事も・・・。 ( 1976年 師走 )

スタッフの居ない静かな仕事場・・・ 私はKさんが、「H君の事は俺にまかせろ、何も心配するな!」・・・
・・・・・と、言ってくださるかと思ったのだが・・・

 「えェ?! 言われてイヤなら、言い返せばいいだろォ!いつも黙っているから、言われるんだよ。」

責任は「黙って」いた私にあるのだろうか・・・? Kさんの話を聞いている内に私は何もしゃべる気がな
くなり・・・・

 「後少しでH君は辞めるんだし・・・ 明日、彼にもよく言っとくから・・・」

と言うKさんの言葉にも、私は「は・・・」とか「はぁ・・・」とか、ためいきの様な返事を返すだけでした。お世
話になったKさんに対していい加減なナマ返事だけして、私はトボトボ深夜の吉祥寺を後にします・・・・・

Kさんは、明日からも私が来ると信じておられた。年末の多忙な時期にスタッフが一人欠けたら・・・ 相
当キツイわけです。 数日でHさんも辞めるし、年末の一時金も出る。 それなのに・・・私は翌日・・・寝て
ました。爆睡です。

 「やっぱり辞めます」と告げたのは、夕方の公衆電話ででした。

 「年末で忙しい時じゃないか! ・・・今日は来るって言ったじゃないか! ・・・みんなが迷惑するだ
  ろォ!・・・・・」

受話器を置いても、Kさんの震える声が頭の中で響きつづける・・・・・。


夕暮れの高円寺の住宅街を歩きながら、それでも何故かホッしていた。

 『明日から仕事探しか・・・ とりあえずアルバイトニュースを・・・・』

うつむいていた顔を上げる。もう空は暗い・・・。

 『明日の事は、明日考えるか・・・!』



                               「漫画家アシスタント 第2章 その17」 へつづく・・・


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漫画家アシスタント第2章 その15

2005年08月05日 21時46分05秒 | 漫画家アシスタント
 ( この写真は、東京三鷹市の井の頭公園の近く。玉川上水ぞいの並木です。この辺にKさんの借家
  がありました。今では当時(1976年)の町並みがすっかり変わってしまいました。《2005年4月撮影》)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】



                       その15 ・・・・・・・・・・・・・ 2005年05月17日 02時17分 (公開)


どこの公園でも冬景色というものは何か物悲しい。

玉川上水ぞいの並木も寒々としている。( 1976年 師走 )


アシスタントのHさんはもうすぐKさんの所を辞める。アシスタントの仕事場はまるで「トコロテン式」の
ように先輩が辞めていく。必然的に後輩がいつの間にか先輩へ・・・。


武蔵野の自然の中にあるKさんのモダンな借家・・・。そこへ毎日、足を運ぶ事が苦痛で、苦痛で・・・
このHさんとの関係がまさに頭痛の種だったのです。

その日は潜水艦物の仕事( 29年前の事ですから例の『○○の艦隊』ではありません )でしたが、た
だでさえペンの遅い私がその日は格別仕事が遅かったのです。

ふだんアシスタントには小言を言わないKさんが・・・

 「ちょっと遅いよ・・・」 と小さな声で。

気があせるばかりでなかなかはかどらない・・・まあ、こんな事もたまにはあります。しかし、12月の年
末の忙しさでみんな気が立っていて・・・

 「チッ、何やってんだよぉ!いくら何でも遅すぎるぞ!」 とHさんが舌打ちしながらデカイ声をあげる。

私の頭の中にはただ一つの言葉がグルグルと渦巻いていました。

 『やめる・・・絶対やめる! やめる・・・絶対やめる! やめる・・・絶・・・・・」


   漫画家アシスタント物語、血の教訓


   『 豊かな人間関係を築ける者は幸せな人間関係を謳歌するだろう。人間関係の苦痛をなめ
     つづける者は豊かな「キャラクター」をペンの先からほとばしらせるだろう・・・。』



                          「漫画家アシスタント物語 第2章 その16」 へつづく・・・


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          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )







漫画家アシスタント第2章 その14

2005年08月04日 21時24分48秒 | 漫画家
 ( この写真は、東京三鷹市の井の頭公園です。この道を通ってKさんの仕事場へ・・・。公園の道
  は30年前と変わりません。《2005年4月撮影》)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】



                     その14 ・・・・・・・・・・・・・・ 2005年05月10日 01時34分 (公開)


東京三鷹市、井の頭公園・・・。

吉祥寺駅から井の頭公園の枯葉をサクサク踏みながら、玉川上水ぞいのKさんの仕事場へ・・・。
 ( 1976年 冬 )

山崎ハコや森田童子の曲を聴くたびに、この美しい風景を思い出します。

アシスタントの入れ替わりは結構早く、一年も経たぬうちにスタッフが半分入れ替わってしまいます。
Nさんが漫画家として独立。 Hさんも今年いっぱいで辞めていく・・・。

そして、新人が・・・ Aさん、35歳、既婚。 Kさんより7,8歳も年上の中年アシスタント。 小柄な元遠
洋まぐろ漁船員でものすごく人あたりの良いやさしい人でした。

自分が一番年上の新入りという事で、若いスタッフにそうとう気を使っておられたのだと思います。
一緒に仕事をしたのは、ほんの1,2ヶ月の間でしたが、そのAさんの言葉でとても印象に残った言葉
があります。

 「毎日、船ん中にいてねぇ たまにケンカすんのよぉ ある時、一人が包丁持ち出してねぇ! 
  ねぇ、どーすっと思う? まわりの人間は、どーすっと思う?」

スタッフ一同、しばし沈黙・・・・・ ややあって、誰かが・・・・

 「そ、そりゃ誰かが止めに入るんじゃ・・・・」

Aさん、その答えを待っていたように、うれしそうに!

 「止めれますかぁ? 包丁持って暴れてる奴、止めれますかぁ?」

Aさん、満面の笑みで沈黙するスタッフ一同を見渡す。

 「相手方にも包丁を渡してやるです! お互いに包丁を持つと安全です。片一方だけが持ってっか
  ら刺っしゃうんだねぇ お互いに持っていると、なかなか刺せないよねぇ! ホントですぅ!」


ずいぶん後で聞いたのですが・・・・・

私がここを辞めてすぐに、Aさんもここを辞めたそうです。そして、アダルト漫画家として、独立された
そうです。


そして、10年ほどたって・・・・ ( 1980年代半ば・・・ )

Aさんの顔が新聞の三面記事に載りました・・・・・・。

奥さんとお子さんの頭を漬物石でつぶしてしまったのです。


恐妻家だったAさん。あんなにやさしかったAさん。その人がなぜ・・・・・?

新聞にはその理由は、何も書かれていませんでした・・・・・。



                             「漫画家アシスタント 第2章 その15」 へつづく・・・



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このページへのコメント 【 計2 】



「ん」 (歌垣)

2005-05-17 20:13:49

妻に対しては残念ながら気持ちは想像できます。するかしないかは、大変な違いですが。確か太宰治だったか。芥川だったか。子供に対してはそのようなことは出来ない。する勇気はありません。僕はしないし、出来ない。彼等の発語前の生だから。詩人の古賀忠昭の詩を思い出しました。彼との夕食の場で魚の生き作りが出て、そのときにこの魚も発語しきれば命を失わずに済んだのかも、といったことを覚えていま。もちろん僕はその魚を、刺身を食べました。古賀さんもタフでした。



「歌垣さん、コメントありがとうございました。」 (yes)

2005-05-18 04:26:44


この事件の事は何ぶん20年位も前の話ですので、正確な事は何も分
りませんが・・・ 

子供さんは、確かまだ幼児で、殺害方法も正確には風呂場で溺死さ
せられたものだと記憶しています。 (奥さんは漬物石による撲殺
です)

事件の大きなキーワードとなるのは・・・ あくまで、私の想像です
が・・・ 「貧乏漫画家」ではないでしょうか・・・。

このサイトではまだ触れていませんが、「漫画家アシスタントと結
婚」そして、「夢を食ってる貧乏人」というテーマにもいずれ踏み
込んでいきたいと思っています。 ( いや、もう踏み込んでいま
すね・・・ ズブズブに・・・ )





漫画家アシスタント第2章 その13

2005年08月02日 21時17分15秒 | 漫画家志望
  ( この写真は、Kさんが引っ越された三鷹市にある井の頭公園です。《2005年4月撮影》)

 【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧ください。】



                       その13 ・・・・・・・・・・・・・・ 2005年05月04日 05時12分 (公開)


Kさんの所で仕事を始めて、すぐに先輩が一人故郷へ帰りました。 どうしても家業を継がなくてはな
らず、漫画家志望をあきらめ、残念そうに帰郷しました。( 1976年 初夏 )

そして、また新しい漫画家志望者が・・・・・


夏にはKさんの故郷、広島尾道の向島で2ヶ月ほど共同生活をしながら仕事をしました。 私にとって
は暑くて苦しいタコ部屋生活でしたが、先輩のアシスタントNさんは違うようでした。Nさんは今、震災
のあった神戸でデザイン会社をやっておられます。そのホームページのエッセイで当時を「回想」 し、
懐かしんでおられますが・・・私にはいい思い出なく・・・・・・・ 

尾道の向島は瀬戸内海の小島です。映画館も喫茶店もありません。東京出身の私にとっては、「北
の国から」で突然北海道に連れてこられた「純」の心境です。 クーラーの効いた喫茶店でコーヒー
を飲むためにフェリーで海を渡って本土へ行かねばならないなんて・・・・・・・


さて、暑い夏も終わり秋になって、Kさんは自宅と仕事場を吉祥寺へ引越しました。 井の頭公園の
すぐそば、玉川上水ぞいのシャレた借家へ・・・・

素敵な場所です。 そこで、私はキレてしまいます・・・・・・。


                        「漫画家アシスタント物語 第2章 その14」 へつづく・・・



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    (私の漫画履歴は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 にあります。)

 






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