やたろうの屈折劇場

やたろうはねこです。まったりゆっくりがモットーです。

差別意識

2018年07月10日 10時22分14秒 | やたろう日報(でも不定期)
ワールドカップを観ていて思い出したのでここでまた書く。

キソンヨン選手のサルまねが日本人を揶揄していることは理解できたが、湧いてきた感情は怒りではなく、

「こいつごとき(たぶん朝鮮人ごとき存在が上野日本人に対して)が一体何をしているのかね?」

という明確な上下意識(もちろん朝鮮人を明確に下に見ている自分)でそれを眺めた。

その時、初めて「差別意識」とはこのことか!と理解できた気がする。

意識の中で、相手を人間扱いしていないのだ。

おそらく白人に同じことをされたら「人種差別だ!」と明確に怒っただろう。

そして「被害者」の側でしか「差別」を体感できないであったろう。

なるほどこれが「差別(人種差別ですらない・・相手を対等の人間とは見ていないのだから)なのか」と体感した。

これは深層心理で普段は全く意識できないので、貴重な体験だった。

3.11の「祝います」以来、どうでもいい存在だが、人間扱いしないのはやはりよくないな、と思う。

ネトウヨと呼ばれる人たち(まあ、思想的には真ん中の僕は日本では右翼扱いだろう)の意識の中にそういうものが

あるのではないかなと思う今日このごろ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿