やたろうの屈折劇場

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コメントに寄せて

2012年02月17日 23時17分57秒 | やたろう日報(でも不定期)

清高さん コメントありがとうございました。

こちらに引用する事をお許しください。

---引用開始---

「なんなんだこいつは」、やたろうというのは (清高)
    2012-02-17 20:00:00
    こんにちは。

    まず、公の場で「なんなんだこいつは」という下劣な日本語を使っている時点で、日本人失格ですね。

    「大事な家族とすばらしい人生を奪」っても、死刑にならない事件もあります。少年事件で殺人被害者2名の過去の事件は、死刑はないです。死刑ならば、より強い理由が求められるはずですけど。

    「死刑廃止論者にいいように利用されて」は、本田弁護士その他の名誉を棄損する、悪質な犯罪ですので、削除したほうがいいですね。

    「税金は無駄遣い」だから、さっさと無期懲役にしたほうがよかったのです。死刑は、執行までが「税金は無駄遣い」なので。

    やたろうさんなどの人の命より、世論が大事という、恐ろしい判決と評価されるのかもしれません。

---引用終わり---

清高さんのコメントに関して返信させていただきます。
死刑に関しては 同害復讐(タリオ)→教育刑からの歴史の流れをお勉強なさってください。そのへんからおかしくなってますから

また、死刑ならばより強い理由が求められるのは、刑法199条の「適用」に関しては永山基準の事を指しておられると思います。

(奇しくもこれも未成年の凶悪犯罪ですが)

これは明らかに死刑に値する犯罪を犯した永山則夫について、未成年及び反省した態度、劣悪な家庭環境を理由に

4人殺害したにもかかわらず高裁が無期懲役の判決を出し、さすがにそれではまずいと最高裁が差し戻し(まあ、死刑にしろってことなんですが)た結果、死刑適用の際に持ち出してきたのが永山基準です(まあ、やむを得ず死刑にした、っていういい訳ですよね、これだけ厳格な基準に照らしても、また未成年だということを勘案しても、死刑はやむをえないっていう方便です)

ところがこの死刑判決に付随した永山基準が一人歩き(弁護士が法廷防御戦術の論法として利用)した結果、清高さんがおっしゃるように人を2人殺しても死刑にならない事例(というか一人殺したぐらいでは死刑にならない という明らかに199条の立法趣旨からすると誤った運用)が出てきてしまうようになりました)

つまり「強い理由が求められるはず」というのは、まさに加害者側の言い分でして、その意味では永山基準はいいように利用されている印象を受けます。違いますか?

また補足ですが今回の福田孝行のケースについては、永山基準を見直す嚆矢として評価に値する判決が出てると思います。

裁判所自ら認めたんですね、永山基準は行きすぎだとそりゃそうですよね。

ほんとは、一人殺したら原則死刑。命をとったら命で贖う、というか贖えないのです

なぜなら加害者の命なんで被害者と被害者の家族からすれば価値ないですもん。被害者を返して欲しい。それ以上でもそれ以下でもないですよ。前にも書きましたが加害者の反省なんてオナニーそのもの、自分だけが気持ちいいもので、無価値です

「死刑廃止論者にいいように利用されて」の部分ですが、彼に付いた弁護士集団の履歴、取り扱った事件をお調べになればわかることですし、ドラえもんのくだりや屍姦したのは生き返らせる儀式 などというくだりをみたら、明らかに弁護よりも死刑存廃問題提起のための裁判という捉え方をしているんだろうなと容易に推測できますが 間違ってますかね?

あと、刑法39条の本当の意味をお調べになったほうがいいと思います。あれを主張するのはほんとうは被告人にとっては無礼極まりない話なので

「税金は無駄遣い」だから、さっさと無期懲役にしたほうがよかったのです。死刑は、執行までが「税金は無駄遣い」なので。

と言う部分ですが、 永山則夫は19歳の時に犯罪を犯しましたが、死刑執行時の年齢をご存知ですか?

48歳です。

4人の被害者の中には20代の方もいたと聞いています。その方たちは何の落ち度もないのに射殺されて人生を閉ざされました。

40代まで生きる事が出来なかったんです。これは重い。

一方、永山則夫は犯罪を犯した年齢よりも長生きし、獄中で「反省」と称して執筆までしています。被害者はもう骨です。何も出来ません。

併せて 死刑囚の死刑確定から執行までの平均年数をお調べいただければいいかと思います

この28年間の彼の生活費はもちろん税金です。これは無駄ではないんですか?

福田孝行も30歳、もう10年以上生きています。この生活費も税金ですね。

やたろうさんなどの人の命より、世論が大事という、恐ろしい判決と評価されるのかもしれません。

のくだりなんですが、多分そうではなく

残された本村さんが死刑廃止論者の弁護士や学者、識者とされる人からひどいことを言われたにもかかわらず、おそらくは何度も折れかけた心を強靭な意志で支え続け、世間に訴え続けた結果、裁判所にやっと「永山基準」という誤った呪縛から解き放たれた、納得できる判決を出させたと後世評価されると思います。

でないと、死刑を廃止したばっかりに85人殺害しても、被害者一人あたり2週間の刑務所暮らしですんでしまうような北欧の国みたいになってしまいますからね。被害者の命より加害者のほうが何十倍も大事なんていうことになりますからね

と、清高さんのコメントを論破するような事ばかり書いていますが、ひとつお話させていただくと、

こういう主張をせざるを得ないのは、やはりコンクリート殺人のその後の加害者と、神戸サカキバラ事件の加害者がそのまま社会に事実上野放しになっているという状況について、娘を持つ親としては我慢ならないのですが、憲法で自力救済が禁止されている以上、司法のほうでしっかりしてもらわないと本当に心配でたまらないからです。もう自力で防衛していかないといけないのかもしれません。

コメントはコメントとしてそのまま掲載させていただきます。ありがとうございました。

 

あ、言い忘れた。ブログちょっとだけ拝見しました。

まず、公の場で「なんなんだこいつは」という下劣な日本語を使っている時点で、日本人失格ですね。

のくだりですが、「たかが式典の国歌斉唱」という表現を使っている時点で日本人失格ですね。下劣とかそういう以前の問題です。

この一文につきましてはあなたに言われる筋合いはないと断言しておきます

 

 

 

 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (清高)
2012-03-22 20:54:33
「人を2人殺しても死刑にならない事例(というか一人殺したぐらいでは死刑にならない という明らかに199条の立法趣旨からすると誤った運用)」→これ、結構恥ずかしいコメントですよ。「死刑」だけじゃないものね、199条。あと、判例の蓄積もありますよ。森炎『量刑相場』をご一読。

「明らかに弁護よりも死刑存廃問題提起のための裁判という捉え方をしているんだろうなと容易に推測できますが 間違ってますかね?」→間違ってますよ。まずは『光市事件 弁護団は何を立証したのか』をご一読。それに、「推測」と言っても、我々は被告人と会うのはまず難しいし、代理人は弁護士さんだし、で、「推測」の根拠がないですね。

「永山則夫は19歳の時に犯罪を犯しましたが、死刑執行時の年齢をご存知ですか?」→これは死刑の問題ではなく、裁判の長期化の問題。また、死刑が予想されれば、引き伸ばしのインセンティブがあるので、死刑がだめ、という理由でもある。

「裁判所にやっと「永山基準」という誤った呪縛から解き放たれた」→これは、命の重さが軽くなった、ということですね。過去は死刑にならなかったものが死刑になったとすれば、ね。

「被害者の命より加害者のほうが何十倍も大事」じゃなくて、人の命は皆大事、ということ。加害者になったから大事でなくなる根拠もないしね。

「「たかが式典の国歌斉唱」という表現を使っている時点で日本人失格」って、学校の式典以外で、国歌斉唱を強制される場所、あるの? 引きこもってばかりいないでさぁ、いろいろな経験するんだね。そうすれば、私のコメントの方が正しいことがわかるから。
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