(その1からの続きです)
■
バックバンドの前に現れた千早の姿に、ファン達はざわめいた。
「あれ、千早ちゃん……痩せた……よね?」
どよめく観衆。バッシング渦中の千早の心中を察して目を潤ませるファンもいた。
確かに痩せている。
でも、ずっとそばで見ている俺にはわかる。最悪期に比べて、ずいぶん顔色がいい。
心身ともに充実している。お前ら、うちの千早を見て驚くなよ。
客に背中を見せて、千早はバックのみんなに軽く礼をした。
高橋、矢野、渡辺、細野。皆海外公演の経験も豊富な凄腕ミュージシャンたちだ。
千早は、熟練のメンバーたちに目配せだけで意志疎通をした。
(私のわがままにつきあってくださって、ありがとう、みんな)
(いいよ、今夜はあんたに合わせてやるからさ、思いっきりやんなよ)
(うん、じゃあ、いくね)
そして、観客へのMCの一言もなく。
千早の左手のカウントを合図として、ドラムとギターが、スピーカーから音の奔流を送り出す!
『!!』
すごい声量!
音が圧力となって、客席がびりびりと痺れているようだった。
1曲目。『目が逢う瞬間(とき)』
千早の狂おしいまでの、これまで封じられていた『歌いたい』という欲求が露わになった。
その迫真の凄みは、お祭りムードだった観客達を怯ませた。
「すご……! なんか……千早ちゃん、怖いよ!」
「CDと、今までのステージと全然違う?」
その怖いくらい研ぎ澄まされた迫力に、アリーナ席のファンクラブ連中でさえコールをやめて息を呑んだ。
2曲目、カバー曲『Inside of mind』。
最も激しい曲。圧倒的な舞いと叫ぶような歌声。全存在をかけた熱さ。
歌いたくって、仕方がないの!
だってだってだって! 私は、歌うために生まれてきたんだから!
その一糸乱れぬ舞いは、会場を駆けめぐる音の奔流を制御しているかのごとく。
悲鳴のようなギターと、心臓の鼓動音のようなベースが、透き通る圧倒的な歌声に有機的に結合していく。
熟練の演奏者も、観客の熱狂も、そこにいる全ての人々の感情も、ただ千早が一手に支配していた。
神をも畏れぬ、ステージの傲慢なる支配者。それが『氷の歌姫』如月千早の正体だった。
3曲目、『蒼い鳥』。怖いくらいの、暗黒への恐怖と絶望の深さ。
そこに笑顔はなかった。
ただ、祈りにも似た、音楽への対峙のみがあった。
ワイドショーが言っているように、愛想は確かに決定的に欠けているかもしれない。テレビ向きじゃないかもしれない。
でも、ただただ真摯に歌に対峙するというその一点に於いて、千早は本物だった。
4曲目、『鳥の歌』。ただただ千早は、さらなる高みを目指しているだけだ。
自由と孤独を両翼として、天翔る鳥のように。
少しずつ、表情に楽しそうな片鱗が見えてきていた。それは、かすかな希望だ――。
君にだけは、歌を嫌いになってほしくない。
ずっと、君の歌を聴いていたい。
俺は仕事上の立場を超えて、ただそう祈っていた。
そしてラスト。
千早は沸き立つ場内の喧噪を制して、はじめてMCをした。
「皆さんご存じの通り、これから歌う曲は、坂本さんに最後にいただいた曲です」
「私にとって彼は……、憧れであり、音楽に仕える者たちの先輩であり……崇高な存在でした」
「でも、もう逢うことはできない……歌は、何かを伝えることができるのでしょうか?」
ゆっくりと紡ぎ出される千早の言葉は、誰をも無口にさせた。
「ずっと考えていたけれど、私にも、まだ答えは見つかっていません……」
下を向いて、つらそうな顔をした。今にも倒れそうな表情に、女の子のファンが『千早、がんばって!』と声をかけた。そして踏みとどまり、マイクに最後の言葉を吹き込んだ。
「私は、この歌に全てをかけます。届いてほしい、私のうたが」
『sing alive』
メロディアスな前奏が流れ、何百と練習で繰り返された最高のタイミングで声を重ねていく。千早の集中は今、臨界点に達しようとしていた。
■
まだ!
まだだ!
まだ足りない!
もっと高みへ。もっと鳥のように。
千早の一糸乱れぬ舞いは、天に届こうとする歌声は、そこにいる全員を震わせた。
伊織はゴクリと息を呑んだ。
雪歩ははらはらし、今この瞬間を全て瞳に収めようとしていた。
春香は両目からとめどなく涙を零していた。
美希は……。彼女の背中を見つめ、
「すごい……」
とだけ、呟いた。
まだ……まだだ!
リズムと一体になって。
歌詞を体現して。
もっと!
雑音なんか吹き飛ばして。
哀しい思い出も、寂しさも、欲も迷いも、自意識さえない、真っ白な世界へ……!
もう何も考えなくても、同じように舞い、歌うことができる。自動的に身体を動かし、喉を鳴らすことができた。
その時、何百回と飽くなき反復練習によって染みついた舞いが、自身の存在と一体化した歌声が、そして熟練のミュージシャンたちの呼吸を合わせた演奏が、観衆達の熱狂が、千早の寂しくも孤高の魂が、奇跡的な化学反応を起こした。俺には、そう思えた。
■
それは、まるで静止した時の中で――
なんにも聞こえなくなって。雑念も気負いも何もない、真っ白な瞬間だった――
あ。
なにも、聞こえなくなった。
真っ白で何も見えない。
死ぬって、こういう感じなのかな?
でも……。
違う。何かが、聞こえる。
体中を、血がめぐってる音だけが、する。
そうね。バカだな、わたし。
今、生きてるんだ。
そうか。
私にとって、生きることが歌うこと。息を吸って、ご飯を食べて、眠ることと同じ。
最初から『生きるように歌って』いたんだ。だから、坂本さんは、この曲を私にくれたんだ。
生きている私を、一生懸命歌っている私を見てくれるだけで、きっと喜んでくれる。
今はそう思える。
sing alive.
私は、生きている――
■
千早が気がつくと、会場がわっと沸きたっていて、目を見開いて驚いてしまった。
(あ、あれ? 終わってる?)
後ろを振り向いてきょろきょろすると、いつの間にか演奏は終わっていた。バックのみんなは汗だらけで、満足げな笑みをこぼしていた。
観客席では、女の子のファンが顔を覆って泣きじゃくっていて、顔を見知ったファンクラブのみんなは天井を向いて号泣していた。
遠くのほうからも、讃える拍手が聞こえていた。
自分がどんなパフォーマンスをしたのか、まったく具体的な記憶がなかった。
よくわからないまま、客席に戸惑ったような笑顔で手をふって、舞台袖に戻ると、千早はバランスを崩して力尽きた。
俺は慌てて崩れ落ちる千早の細い身体を支え、ゆっくりと楽屋に連れて行く。
春香たちが、バックバンドの皆が、スタッフのみなが囲む中、千早はへたりこんだままだった。
客席からはアンコールを望む声がしていた。俺は春香に目で合図をした。
伊織が仕方ないなぁ、という顔でステージに向かっていき、他のみんなも追従していってくれた。
ステージに春香達が現れると会場が沸く。しかし、それはお目当ての歌姫の姿ではない。
「みんな、ゴメン! うちの千早、力出し切っちゃってもう寝ちゃってます~」
春香が両手を合わせて『ごめんなさい』すると、どっと笑いが起きて、大きな拍手や口笛が追随した。
惜しむ声はあったが、誰もが納得し、新たな伝説の目撃者になったことに興奮していた。
皆一言ずつ挨拶していく中で、最後の美希の一言が印象に残っている。
「……今日の千早さんを見ていて、ミキ、思ったの」
「ミキは、なんとなくこの世界に入って、ずっとこのまま、みんなと楽しくやっていればいいって思ってた」
「でも、千早さんはすでに自分よりも……ずっと上の世界にいるってことがわかって」
「どこがどう上かうまく言えないんだけど、自分もそれを目指したくなったの」
意外な言葉だった。あのいつもマイペースな美希が……。
「よく才能あるって言われて、そのおかげでここまできて、でも自分がそれより上に行けないのは、才能が違うせい、と諦める事はできなくて」
「いろんなイミで、なんかやる気が出ちゃったの!」
■
千早の身体を揺さぶって起こし、シャワーで汗を流させ、関係者出入り口に出ると、わっ、と『出待ち』のファンたちの歓声が上がった。
彼らは千早の弱々しい足取りを見て、ささやかに手を振られるだけで満足していた。
その中に、葬儀で会った坂本さんの奥さんと娘さんの姿があった。
「チケット送ってくれてありがとう。千早さんの歌、とても素敵だった。この子、すっかりファンになっちゃって」
「千早お姉ちゃんスゴイスゴイ!」
少女は興奮して、ほっぺを赤くしていた。
「私もアイドルになりたい!」
千早は少しはっとして、そしてにっこりと笑った。
そして屈んで、少女の手を取って握手し、名前を聞いた。少女はまなみと名乗った。
千早は心底嬉しそうだった。彼女のこんな顔を見るのは何週間ぶりだろう。
■
自宅へと送る車を、俺は途中で路肩に止めた。
しばしの沈黙があった。
「プロデューサー?」
俺は、本当は聞きたくもない事を、聞いた。もしそうなら、ここで思いとどまらせないといけないと感じたからだった。
「…………まだ、歌いたいと思えるか?」
「え?」
「お前はどう考えようと、お、俺は!」
俺が声を荒げようとすると、それを制止するように、千早の頭が左肩に寄りかかってきた。
そっと寄りそいながら、シャワー上がりの濡れた髪が頬に当たって。
「知っているでしょう? 私、歌には欲深いんです」
「…………」
「まだまだ歌い足りないなって、思い知りました。まだまだ未熟ですから、私」
「そ、そうか……!」
「私がアイドルじゃなくなっても、……おばあちゃんになっても、歌っていたいの。今はそう思える」
目頭が熱くなった。
千早がそう思ってくれるだけで、俺は……!
彼女は肩に頭をすり寄せて甘えてきた。もう俺は顔全体まで熱いよ。
「…………ありがとう、ございました。最後まで、わがままを許してくれて。味方でいてくれて」
「俺は千早を一流にするって言ったからな。一流になるためのわがままだったら、俺は許すよ。最後まで味方になるよ。あ、でも美希や伊織みたいな、怠けるためのわがままは許さないからな」
千早は俺の顔を見つめて、にこにこしていた。すっかり人が変わったみたいだ。
「ま、まぁ、お前が怠けたことなんて、一度もないけどさ……」
「帰り道、まなみちゃんの事、考えていたんです」
「あぁ、坂本さんの娘さん……かわいかったよな」
「ああ、これがそうなのか、と思いました。坂本さんが私に遺したものが、まなみちゃんに、みんなに届いた」
「千早……」
「今は、それでじゅうぶんだと思えるから……。あ、プロデューサーのお弁当は、また食べたいです。食欲も、ちょっとでてきたし……」
「それは、何よりだ……おいしかった?」
「……正直、あまり。はじめは味が濃くてむせちゃった」
彼女はくすくすっ、と笑った。努力するよ、と俺は苦笑いした。
「’でも、ちゃんとわかりました……プロデューサーの思いやりが。ちゃんとわたしの好み、栄養も考えていて……」
「そ、そんなに見つめるなよ……ついに俺に惚れたか?」
照れ隠しに冗談を言ってみた。そしたら、千早は頬を赤らめていて……。
「……私のこと、お持ち帰っちゃいますか?」
え!?
「ふふっ、冗談です。私に冗談なんて、似合いませんよね」
……まったくだ、心臓に悪い。
「……でも、ちょっとつかれたから。もったいない気もしますけれど、今は、これだけで」
頬に、柔らかい何かが触れた。
慌てて振り向くと、もう彼女は目を閉じていて。
歌姫はしばしの眠りについた――。
また、新たなステージに向けて。
■
天国の坂本さんへ。
ようやく、あなたにさようならを言えます。素晴らしい曲をありがとう。
最後の日に、あなたに出会えた喜びを、神様の贈り物に感謝を。
私のうた、あなたに届きましたよね? きっと……。
[終]
--------------------------------------------------------------
SSにしては長くなってしまいました。1万字の文字数制限をオーバーしてしまい、二つに分けることに……。でも書いていて楽しかったです。
文章だけど、皆思い思いの「音」を感じてくれたらいいな、と。
ブログ小説ってはやんないかな? ケータイ小説みたいに。
■
バックバンドの前に現れた千早の姿に、ファン達はざわめいた。
「あれ、千早ちゃん……痩せた……よね?」
どよめく観衆。バッシング渦中の千早の心中を察して目を潤ませるファンもいた。
確かに痩せている。
でも、ずっとそばで見ている俺にはわかる。最悪期に比べて、ずいぶん顔色がいい。
心身ともに充実している。お前ら、うちの千早を見て驚くなよ。
客に背中を見せて、千早はバックのみんなに軽く礼をした。
高橋、矢野、渡辺、細野。皆海外公演の経験も豊富な凄腕ミュージシャンたちだ。
千早は、熟練のメンバーたちに目配せだけで意志疎通をした。
(私のわがままにつきあってくださって、ありがとう、みんな)
(いいよ、今夜はあんたに合わせてやるからさ、思いっきりやんなよ)
(うん、じゃあ、いくね)
そして、観客へのMCの一言もなく。
千早の左手のカウントを合図として、ドラムとギターが、スピーカーから音の奔流を送り出す!
『!!』
すごい声量!
音が圧力となって、客席がびりびりと痺れているようだった。
1曲目。『目が逢う瞬間(とき)』
千早の狂おしいまでの、これまで封じられていた『歌いたい』という欲求が露わになった。
その迫真の凄みは、お祭りムードだった観客達を怯ませた。
「すご……! なんか……千早ちゃん、怖いよ!」
「CDと、今までのステージと全然違う?」
その怖いくらい研ぎ澄まされた迫力に、アリーナ席のファンクラブ連中でさえコールをやめて息を呑んだ。
2曲目、カバー曲『Inside of mind』。
最も激しい曲。圧倒的な舞いと叫ぶような歌声。全存在をかけた熱さ。
歌いたくって、仕方がないの!
だってだってだって! 私は、歌うために生まれてきたんだから!
その一糸乱れぬ舞いは、会場を駆けめぐる音の奔流を制御しているかのごとく。
悲鳴のようなギターと、心臓の鼓動音のようなベースが、透き通る圧倒的な歌声に有機的に結合していく。
熟練の演奏者も、観客の熱狂も、そこにいる全ての人々の感情も、ただ千早が一手に支配していた。
神をも畏れぬ、ステージの傲慢なる支配者。それが『氷の歌姫』如月千早の正体だった。
3曲目、『蒼い鳥』。怖いくらいの、暗黒への恐怖と絶望の深さ。
そこに笑顔はなかった。
ただ、祈りにも似た、音楽への対峙のみがあった。
ワイドショーが言っているように、愛想は確かに決定的に欠けているかもしれない。テレビ向きじゃないかもしれない。
でも、ただただ真摯に歌に対峙するというその一点に於いて、千早は本物だった。
4曲目、『鳥の歌』。ただただ千早は、さらなる高みを目指しているだけだ。
自由と孤独を両翼として、天翔る鳥のように。
少しずつ、表情に楽しそうな片鱗が見えてきていた。それは、かすかな希望だ――。
君にだけは、歌を嫌いになってほしくない。
ずっと、君の歌を聴いていたい。
俺は仕事上の立場を超えて、ただそう祈っていた。
そしてラスト。
千早は沸き立つ場内の喧噪を制して、はじめてMCをした。
「皆さんご存じの通り、これから歌う曲は、坂本さんに最後にいただいた曲です」
「私にとって彼は……、憧れであり、音楽に仕える者たちの先輩であり……崇高な存在でした」
「でも、もう逢うことはできない……歌は、何かを伝えることができるのでしょうか?」
ゆっくりと紡ぎ出される千早の言葉は、誰をも無口にさせた。
「ずっと考えていたけれど、私にも、まだ答えは見つかっていません……」
下を向いて、つらそうな顔をした。今にも倒れそうな表情に、女の子のファンが『千早、がんばって!』と声をかけた。そして踏みとどまり、マイクに最後の言葉を吹き込んだ。
「私は、この歌に全てをかけます。届いてほしい、私のうたが」
『sing alive』
メロディアスな前奏が流れ、何百と練習で繰り返された最高のタイミングで声を重ねていく。千早の集中は今、臨界点に達しようとしていた。
■
まだ!
まだだ!
まだ足りない!
もっと高みへ。もっと鳥のように。
千早の一糸乱れぬ舞いは、天に届こうとする歌声は、そこにいる全員を震わせた。
伊織はゴクリと息を呑んだ。
雪歩ははらはらし、今この瞬間を全て瞳に収めようとしていた。
春香は両目からとめどなく涙を零していた。
美希は……。彼女の背中を見つめ、
「すごい……」
とだけ、呟いた。
まだ……まだだ!
リズムと一体になって。
歌詞を体現して。
もっと!
雑音なんか吹き飛ばして。
哀しい思い出も、寂しさも、欲も迷いも、自意識さえない、真っ白な世界へ……!
もう何も考えなくても、同じように舞い、歌うことができる。自動的に身体を動かし、喉を鳴らすことができた。
その時、何百回と飽くなき反復練習によって染みついた舞いが、自身の存在と一体化した歌声が、そして熟練のミュージシャンたちの呼吸を合わせた演奏が、観衆達の熱狂が、千早の寂しくも孤高の魂が、奇跡的な化学反応を起こした。俺には、そう思えた。
■
それは、まるで静止した時の中で――
なんにも聞こえなくなって。雑念も気負いも何もない、真っ白な瞬間だった――
あ。
なにも、聞こえなくなった。
真っ白で何も見えない。
死ぬって、こういう感じなのかな?
でも……。
違う。何かが、聞こえる。
体中を、血がめぐってる音だけが、する。
そうね。バカだな、わたし。
今、生きてるんだ。
そうか。
私にとって、生きることが歌うこと。息を吸って、ご飯を食べて、眠ることと同じ。
最初から『生きるように歌って』いたんだ。だから、坂本さんは、この曲を私にくれたんだ。
生きている私を、一生懸命歌っている私を見てくれるだけで、きっと喜んでくれる。
今はそう思える。
sing alive.
私は、生きている――
■
千早が気がつくと、会場がわっと沸きたっていて、目を見開いて驚いてしまった。
(あ、あれ? 終わってる?)
後ろを振り向いてきょろきょろすると、いつの間にか演奏は終わっていた。バックのみんなは汗だらけで、満足げな笑みをこぼしていた。
観客席では、女の子のファンが顔を覆って泣きじゃくっていて、顔を見知ったファンクラブのみんなは天井を向いて号泣していた。
遠くのほうからも、讃える拍手が聞こえていた。
自分がどんなパフォーマンスをしたのか、まったく具体的な記憶がなかった。
よくわからないまま、客席に戸惑ったような笑顔で手をふって、舞台袖に戻ると、千早はバランスを崩して力尽きた。
俺は慌てて崩れ落ちる千早の細い身体を支え、ゆっくりと楽屋に連れて行く。
春香たちが、バックバンドの皆が、スタッフのみなが囲む中、千早はへたりこんだままだった。
客席からはアンコールを望む声がしていた。俺は春香に目で合図をした。
伊織が仕方ないなぁ、という顔でステージに向かっていき、他のみんなも追従していってくれた。
ステージに春香達が現れると会場が沸く。しかし、それはお目当ての歌姫の姿ではない。
「みんな、ゴメン! うちの千早、力出し切っちゃってもう寝ちゃってます~」
春香が両手を合わせて『ごめんなさい』すると、どっと笑いが起きて、大きな拍手や口笛が追随した。
惜しむ声はあったが、誰もが納得し、新たな伝説の目撃者になったことに興奮していた。
皆一言ずつ挨拶していく中で、最後の美希の一言が印象に残っている。
「……今日の千早さんを見ていて、ミキ、思ったの」
「ミキは、なんとなくこの世界に入って、ずっとこのまま、みんなと楽しくやっていればいいって思ってた」
「でも、千早さんはすでに自分よりも……ずっと上の世界にいるってことがわかって」
「どこがどう上かうまく言えないんだけど、自分もそれを目指したくなったの」
意外な言葉だった。あのいつもマイペースな美希が……。
「よく才能あるって言われて、そのおかげでここまできて、でも自分がそれより上に行けないのは、才能が違うせい、と諦める事はできなくて」
「いろんなイミで、なんかやる気が出ちゃったの!」
■
千早の身体を揺さぶって起こし、シャワーで汗を流させ、関係者出入り口に出ると、わっ、と『出待ち』のファンたちの歓声が上がった。
彼らは千早の弱々しい足取りを見て、ささやかに手を振られるだけで満足していた。
その中に、葬儀で会った坂本さんの奥さんと娘さんの姿があった。
「チケット送ってくれてありがとう。千早さんの歌、とても素敵だった。この子、すっかりファンになっちゃって」
「千早お姉ちゃんスゴイスゴイ!」
少女は興奮して、ほっぺを赤くしていた。
「私もアイドルになりたい!」
千早は少しはっとして、そしてにっこりと笑った。
そして屈んで、少女の手を取って握手し、名前を聞いた。少女はまなみと名乗った。
千早は心底嬉しそうだった。彼女のこんな顔を見るのは何週間ぶりだろう。
■
自宅へと送る車を、俺は途中で路肩に止めた。
しばしの沈黙があった。
「プロデューサー?」
俺は、本当は聞きたくもない事を、聞いた。もしそうなら、ここで思いとどまらせないといけないと感じたからだった。
「…………まだ、歌いたいと思えるか?」
「え?」
「お前はどう考えようと、お、俺は!」
俺が声を荒げようとすると、それを制止するように、千早の頭が左肩に寄りかかってきた。
そっと寄りそいながら、シャワー上がりの濡れた髪が頬に当たって。
「知っているでしょう? 私、歌には欲深いんです」
「…………」
「まだまだ歌い足りないなって、思い知りました。まだまだ未熟ですから、私」
「そ、そうか……!」
「私がアイドルじゃなくなっても、……おばあちゃんになっても、歌っていたいの。今はそう思える」
目頭が熱くなった。
千早がそう思ってくれるだけで、俺は……!
彼女は肩に頭をすり寄せて甘えてきた。もう俺は顔全体まで熱いよ。
「…………ありがとう、ございました。最後まで、わがままを許してくれて。味方でいてくれて」
「俺は千早を一流にするって言ったからな。一流になるためのわがままだったら、俺は許すよ。最後まで味方になるよ。あ、でも美希や伊織みたいな、怠けるためのわがままは許さないからな」
千早は俺の顔を見つめて、にこにこしていた。すっかり人が変わったみたいだ。
「ま、まぁ、お前が怠けたことなんて、一度もないけどさ……」
「帰り道、まなみちゃんの事、考えていたんです」
「あぁ、坂本さんの娘さん……かわいかったよな」
「ああ、これがそうなのか、と思いました。坂本さんが私に遺したものが、まなみちゃんに、みんなに届いた」
「千早……」
「今は、それでじゅうぶんだと思えるから……。あ、プロデューサーのお弁当は、また食べたいです。食欲も、ちょっとでてきたし……」
「それは、何よりだ……おいしかった?」
「……正直、あまり。はじめは味が濃くてむせちゃった」
彼女はくすくすっ、と笑った。努力するよ、と俺は苦笑いした。
「’でも、ちゃんとわかりました……プロデューサーの思いやりが。ちゃんとわたしの好み、栄養も考えていて……」
「そ、そんなに見つめるなよ……ついに俺に惚れたか?」
照れ隠しに冗談を言ってみた。そしたら、千早は頬を赤らめていて……。
「……私のこと、お持ち帰っちゃいますか?」
え!?
「ふふっ、冗談です。私に冗談なんて、似合いませんよね」
……まったくだ、心臓に悪い。
「……でも、ちょっとつかれたから。もったいない気もしますけれど、今は、これだけで」
頬に、柔らかい何かが触れた。
慌てて振り向くと、もう彼女は目を閉じていて。
歌姫はしばしの眠りについた――。
また、新たなステージに向けて。
■
天国の坂本さんへ。
ようやく、あなたにさようならを言えます。素晴らしい曲をありがとう。
最後の日に、あなたに出会えた喜びを、神様の贈り物に感謝を。
私のうた、あなたに届きましたよね? きっと……。
[終]
--------------------------------------------------------------
SSにしては長くなってしまいました。1万字の文字数制限をオーバーしてしまい、二つに分けることに……。でも書いていて楽しかったです。
文章だけど、皆思い思いの「音」を感じてくれたらいいな、と。
ブログ小説ってはやんないかな? ケータイ小説みたいに。
靖竹さんの千早への愛がヒシヒシと伝わってきます。
素晴らしい作品をどうもありがとうございました。
SS系はもっとたまったら、
いずれ独立したページにまとめたいですね。
ノンストップ♪チキンスキン!!
超 G J です!!!!!