ミッドナイトヴァージン Production Note

WEBノベル『ミッドナイトヴァージン』の本条靖竹のブログです。

アイドルマスター如月千早SS小説「私は生きている」(後その1)

2008年05月16日 22時52分41秒 | SS小説
「わた生き」最終話です。すべてを賭けたステージの後に、千早が見いだすものとは……?
--------------------------------------------------------------

『私は生きている』(後)

 俺は千早を病院から家まで車で送り、中まで肩を貸すことにした。入院は一泊二日で済ませ、明日から再開されるリハに備えると千早は言ってきかなかった。

「ご家族は……」
「どうせ、誰もいないから……」

 照明のスイッチを手探りでつけ、リビングに辿り着く。一度緊張の糸が切れてしまった千早は、すぐにくったりとソファにへたりこんでしまった。点滴を入れた左手首に巻かれた包帯を見るのも辛かった。

 誰もいない、しんとしたリビング。そこには、この時間にそこら中で当たり前に行われているはずの、にぎやかな夕食の光景はない。千早に、昨日倒れたことは家族に伏せるように言われた。親が離婚したこと、家庭が冷え切っている事は聞いている。食卓には何も置かれていなかった。

 こんな寂しい環境で、千早は家族の協力もなく、たった一人で今までがんばってきたのだ。家族の不和も、弟さんの事故死から始まったと聞いている。

 ソファに背中を預けて、瞳をうつろにしてぼんやり宙を見つめている千早は、これまでになく消沈していて……見ていられなかった。

 弟さんの事故死を、千早はすでに過去のものとしていると俺は思っていた。千早の歌が好きだったという弟の死。坂本さんの事故死にそれを重ねているのかもしれない。いや、そう考えるのが自然だろう。……きっと千早にとって、『死』はいつもそこにある問題なのだ。死者をどう弔えるのか。歌うことは、大切な人の死に対して、どう立ち向かい、伝えることができるのか。それとも、結局は無力でちっぽけなものだと思い知るだけなのか……。

 千早にとって、それは人生を通したテーマなのかもしれない、と俺は思い至った。俺が思っているよりずっと前から、もしかしてデビューする前から。彼女の歌に対する過剰なまでの一途さは、ひょっとするとそこから来ているのかもしれない……。

 親指で目尻の涙を拭いた。俺が泣いていてどうする……。

「これ、弁当。ちゃんと食べてくれよな……」

 俺が机に置いた包みを、千早は無表情にぼんやりと眺めた。頬はこけ、目はきつく見える。ほんとに食べてくれるだろうか。とても関心を持ってくれているようには見えなかった。

「プロデューサー……」
「なんだ?」
「もし、納得できるライブができなかったら……」
「えっ?」

 俺は固まった。頼むから、今はその続きを言わないでくれ……。

「その時は、引退しようと思います」
「ほ、本気で言ってるのかよ……」

 あんなに歌に、トップアイドルへと駆け上がる事に執着していた、千早の口から発せられた言葉とはとても思えない。

「だって……このままじゃ、ぜんぜん自分の理想に近づけないから……私なんかが歌ってたって、しょうがないから!」

 千早は自分に苛立つように、語気を荒げた。どうやら静養と点滴のおかげで、それくらいの元気は回復したらしい。
 俺は千早の両肩をつかんで、揺するように言った。

「俺は、ちっともそうは思わないぞ。しょうがなくなんてないぞ」
「…………」

 私なんかが歌ってたって、しょうがないだって?
 本当にそう思っているのか?
 ライブ会場は五千人規模だぞ? それを5分で完売してるんだぞ!
 みんな、お前を待ってるんだ。

「ぜんぜん、しょうがなくなんて……ないんだ……」

 ちくしょう。なんで言葉が、出てこないんだ。
 彼女を救う一言を、くそったれの神様の野郎、このバカで無能な頭に、お願いだから。

「千早、これ以上考えるな。思い詰めるな。寝ろ! このままじゃ、千早が死んじまうよ……!」

 迂闊だった。
 少なくとも、その単語を、俺の口から発すべきではなかった。

『死』。

 その言葉を。
 千早は、きつい目つきで、下を向いて呟いた。

「死ぬ……そうね、いちど死んでみたほうが、坂本さんの領域に近づける……」

 いま、なにを?
 千早、お前は、今何を!

 気がついたら、俺はビンタを張っていた。

「…………」

 千早はうつむいて、左頬を抑えた。
 言葉が出なくて、……病人のアイドルの顔に手をかけるなんて、最低最悪な気分だった。
 そして、俺は叫んだ。めいいっぱい。近所迷惑も考えずに。

『みんな、生きている千早を楽しみに、見に来んだよ!』

 だから、そんな事を言うなよ、お願いだから……。

「もう、今日は帰ってください。だいじょうぶ、私、逃げませんから」
「弁当……少しずつでいいから、喰ってくれよ」

 腕で涙を拭きながら、退出した。
 キーを射し込み、エンジンを回転させながら、俺は頭をくしゃっと押さえ付けて、ハンドルに顔をこすりつけた。

 みっともないな。大の大人が。
 俺の言葉が、どうして届かないんだよ……!


 一人、静かなリビングに残された千早は、何分、何十分、そこでそのままでいたのだろう。
 少しずつ頬の痛みが、じんじんと熱くなってきているのを感じた。

 動くのもとても億劫で、身体も芯から冷え切っていて。
 それでも、顔が腫れているかどうか確認しようと思って、重たい足取りで洗面台の鏡の前に立った。

(……ひどい顔…………)

 目はどぎつく睨むようで、くまができて窪んだように見えた。頬はやせこけ、唇にはあまり色がついていなかった。頬は腫れてはいなかった。というより顔全体が青白く、色付きというものがなかった。
 千早はYシャツとタンクトップと、小さなブラを脱ぎ去り、鏡に自分の裸をさらしてみる。
 元々ぺったんこな胸はさらにやせ衰え、脇腹にはあばら骨が浮き出ていた。肌は油分を失いがさがさと荒れている。

 これではまるで、難民キャンプの飢えた子供だ。死者の亡霊に取り憑かれた、憐れな病人だ……。

(こんな姿、坂本さんに見せられないな)

 ただ、自分の弱さゆえの、みっともない醜態が情けなかった。
 服を着て食卓に戻ると、プロデューサーが残した弁当箱が目に入った。

『みんな、生きている千早を楽しみに、見に来んだよ!』

 あの言葉が妙に、千早の頭に焼き付いていた。
 包みを開けてみて、千早はピク、と反応した。
 いつもと、どこか違う。
 765プロ近くの、いつものお持ち帰り弁当じゃなかった。
 ふたを開けてみると、簡素な弁当箱に不器用に詰められた、手製らしきおかずたち。
 鶏もも肉の香草焼き。
 はんぺんとちくわ。
 ミートボールの甘酢がけ。
 トマトとブロッコリー。
 食欲増進のための、ご飯に埋め込まれたくずした梅と醤油漬けのおかか。
 千早がいつも口にしない揚げ物は入っていなかった。

(これは、あの人が……?)

 添えられた割り箸を割り、鶏肉に口をつけてみる。

「! ゴホ、ゴホッ!」

 突然の異物に喉が反応してむせてしまうが、構わず胃に詰め込んだ。
 血流が胃に向かっていくのがわかる。

「!」

 突然口を押さえて、トイレに駆け込んだ。

「オエッ、ウェッ!」

 便器に突っ伏して、嗚咽を繰り返して戻してしまった。胃がひっくり返るようだった。
 涙が出てきた。情けなかった。
 しかし袖で口元の唾液をぬぐい、吐瀉物を水に流してから、すぐさまテーブルに戻り、まだぴくぴくと拒絶反応を示す胃に、ご飯とおかずを詰め込んでいく。

(食べなきゃ、食べなきゃ! こんなことで、私が負けるか! 負けてたまるか!)

 味わう余裕もなく、一心不乱に呑み込んでいった。
 千早には、頬の痛みが徐々に引いていくのが、なんだかやけに哀しく感じられた。


 翌日から、少しずつ千早の体力は回復に向かっていった。
 相変わらず激しすぎるリハと、他者を寄せ付けぬ寡黙さは変わらなかったが、顔色も心なしか良くなっていったようにも見える。俺が毎日持参する弁当にも、箸をつけてくれているようだった。

 バックのメンバーとも次第にうち解け、激しいやりとりも熱がこもったものになった。
 それに……。
 春香。雪歩。伊織。そして美希。
 ゲスト参加を進言してくれた4人のリハへの参加も、華やかさ、賑やかさを加えていってくれた。
 一人あたり1~2曲の前座という形にはなるが、彼女たちにも思うところがあったのだろう。忙しいスケジュールの隙間をぬって練習してくれた。
 この調子なら、全員がライブ当日をいい状態で迎えられるかもしれない……。


 そしてライブ当日。ついにその日がやってきた。

 満員の客席。衛星放送用の中継TVカメラ。そして音楽関係者たちも多くつめかけていた。
 いつものアイドルファン達のお祭り騒ぎではない、異様な雰囲気がそこにあった。
 大言壮語を吐いた小娘をあざ笑うつもりだろうか。
 それとも、もしかして。
 なんらかの『奇跡』を見たいのだろうか……。

 アリーナ席には、坂本氏がプロデュースしていたPerfectの女の子たち、そして坂本氏の遺族も見えた。
 まるで坂本鷹雪追悼コンサートのような雰囲気だ。

 そして……。
 会場が真っ暗になり、衛星放送で生中継開始!
 漆黒の闇から、意外な人物の大声がスピーカーを震わせた。

『いえー! みんな、そこにひざまづけぇー!』

 口火をきったのは春香だった。元気いっぱいに飛び出し、骨太ロックな持ち歌『I Want』を熱唱しはじめる。
 ファン達が予想もしなかったサプライズに『閣下』コールが起こる。千早を心配しているファンの気持ちを察して、会場を沸かせるのがうまいコだ。最高のスタートだった。

 続いて登場したのは雪歩。『Kosmos, Cosmos』で美しいメロディを楽しませてくれた。
 伊織は『ガーネット』をしっとりと情感たっぷりと歌い上げた。
 最後に春香、雪歩、伊織のトリオで『もってけ!セーラー服』で会場をトランス状態に盛り上げる!

 前座のトリは美希だった。華やかなルックスと愛嬌に優れた美希は、その豊かな才能の片鱗を、切なくパワフルな『relations』で見せつける、そして歌い終わると、大観衆にメインの登場を予告した。

「みんな、お待たせなの! 次はようやく『あの人』の登場だよ!」


 楽屋で千早は、誰にも近寄らせず、ひとり目をつむっていた。
 歓声が、遠くのステージから聞こえてくる。

 あ、……音が、聞こえる。歓声。手拍子。コール。
 あれは、……私の歌を待っている音なのだろうか?

 ファンの皆さん、春香たちみんな、そして、あの人が待ってるから。

 千早はゆっくりと、立ち上がった。


 俺は千早を呼びに行こうとすると、自分からドアを開いて、千早は出てきた。
 春香も、雪歩も伊織も、ステージ衣裳のまま声をかけようと駆けつけてきた。

「みんな、これまで私のわがままにつきあわせて、ごめんなさい」
「千早……ううん、私らは、力になれて嬉しいんだよ?」
「千早さん、しっかり……」
「ちゃんとやりきってくるのよっ」

 春香は微笑み、雪歩は心配そうに、伊織は仕方ないわね、と悪態をついていた。
 そして、千早は俺を見つめた。やせこけた頬は戻らなかったけど、目には強い力があった。

「いってきます」
「ああ……」

 千早はステージへと歩いていった。
 ……本当に、君のステージはこれで最後になってしまうのか?

「どうしたんですか、プロデューサー?」
「ああ、実は……」

 千早の家で聞いた、このライブに納得できなかったら引退する、という話をした。
 ええー!? と騒ぐ輪の中に、ステージを終えてタオルで汗を拭っていた美希が、ひょっこり首を突っ込んだ。

「なになに、なんのハナシ?」
「美希ちゃん、千早が……」
「引退? ミキにはぜんぜん、そんな感じしなかったけどな?」
「美希……」
「さっきすれ違った時、ミキにはわかったよ。千早さんの顔、『はやく歌いたい』ってウズウズしてた!」


(ブログ文字数制限のため、その2に続きます)


最新の画像もっと見る