お待たせしました、「わた生き」中編です。なんか色んな人が見に来てるようで嬉しいです。最近ちひゃーがどんどん好きに。やばい。
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『私は生きている』(中)
皇居周辺。そこは都心にありながら、信号待ちもなく走れる有名なジョギングコースでもある。朝から多くの人たちが走り込んでいた。
その中に、パーカーのフードを被り、小型のヘッドフォンをした、ジャージ姿の細身の少女の姿があった。話題のアイドルであることにも気付かれず、ぐんぐんと脇目もふらず、先行ランナーを追い越していく。皆がそのアイドルに気付かなかったのは、服装のせいではない。悲壮なまでに思い詰めた表情が、自分を限界まで追い込もうとする気迫が、重要な大会を控えた陸上選手かとでも思わせたのだろう。
(坂本さん……、歌いきってみせます、あなたの最後の曲……!)
■
俺は朝の10時前にスタジオ入りすると、もう千早はいて、柔軟体操をしていた。広い床に両脚を大きく開いて、ぺたっと胸をつけて。今日はスタジオリハの初日だ。
「……お早うございます」
「もう着いてたのか、早いな」
「……皇居をぐるっと一週、ランニングをしてきました」
「そうか……」
確か皇居一周は5Kmくらいだ。けっして短い距離ではない。もうスタジオミュージシャン達は来てもいいころだった。音楽業界人はおしなべて時間にルーズだ。しかし千早は苛立った様子もない。携帯プレーヤーから伸びたヘッドフォンから漏れ出す音は、発売前の坂本さんの遺作『sing alive』をずっとリピートしているようだった。
「千早、今日はスタジオリハの後、一件TV収録がある」
「!……ハイ」
TVと聞いて、千早の声色は明かに緊張した。それでも、ギュッ、ギュッと柔軟体操で、もも裏を延ばし続けていた。
「ライブのチケット販売についての宣伝映像だ。ネットCMにも使われる……。ライブ前の最後の情報発信になるだろうな」
「ハイ」
「……千早」
「ハイ?」
「メシ、ちゃんと喰えよ……」
「……ハイ。ちゃんと、食べてます」
張り詰めた千早の表情に、俺はかすかな不安を感じた。
■
「……おつかれ」
「ウィーす、おつかれ……」
防音扉を開けて、スタジオミュージシャン達が初日の練習を終えて出てきた。予定では今日は、ライブの音楽プロデューサーがあらかじめ決めた、ライブ用曲アレンジの確認にとどめるはずだった。それにしては、皆の顔が重苦しかった。
「ねぇ、あんた、あのコのマネージャー?」
「……プロデューサーっす。うちの千早が、何か失礼でも?」
高橋というドラム担当者が、俺に話しかけてきた。年は40くらいだろうか。他にも、ギターの渡辺、キーボードの矢野など、俺がガキの頃から名を馳せてきていた、皆知る人ぞ知る凄腕のミュージシャンたちだ。
「話が違うじゃねーかよ……あんなクレイジーなアイドルは初めてだぜ」
「……と、言いますと?」
「俺はラクして稼げるアイドルのバックバンドだって聞いて来てるんだよね」
……どういう意味だろうか?
手の平に汗がにじみ、緊張に身構えた。
キーボードの矢野さんが、年長にも関わらず紳士的な口ぶりで加わってきた。
「ああ、そうですね……。僕もいささか驚きました。何というんでしょう、あのナイフみたいな切れ味の声は。僕がちょっとアドリブで『遊び』を入れると、睨み付けてきましたからね……」
「……まるで、挑戦されてるみたいだった。昨日今日デビューしたような小娘が、キャリア二十年以上の俺たちにだよ?」
怒っただろうか? 生意気なアイドルにナメられたと思っただろうか?
いや、彼らは笑みを浮かべた。
「困りましたね、これじゃ、ラクしては稼げませんね。我々も少々シメていかないと」
「おい、あんた。あのコは今時珍しい、ホンモノかもしれないな……。なんつーか、『歌に命かけてる』って気迫が伝わってくるんだよ。……まいったまいった、あっちぃあっちぃ、これじゃ、ラクして稼げない……」
「……ええ、うちの千早は、そこらのラクできるアイドルとは違います!」
「ハハッ。せいぜい気をつけるよ」
俺はニッコリと笑いかけ、彼らも手で応答した。俺の心配は杞憂だった。
彼らはむしろ燃えてきている!
千早の気迫が、時代を沸かせた昔を思い出させ、本来退屈なはずの仕事に活を入れたのだ。
数週間後に迫った千早と最高レベルのプレイヤーたちのライブを想像して、俺は胸が躍る思いだった。
ただ、スタジオ内に残ったままの千早の表情は暗いままで、歌詞を確認しながらぼそぼそと独り言をしていた。
(……ダメだ、こんなんじゃ、ぜんぜんダメだよね……坂本さん……)
■
その日に収録された宣伝映像は、坂本氏の葬儀以来はじめてTVに出演した事もあり、大きな波紋を呼ぶこととなった。
「坂本鷹雪さんにもらった最後の曲を、このライブではじめて、私は人前で歌います。私に投げかけられた数々の疑問に対する答えは全て、私は歌で答えます」
「衛星放送で放映されることも決まりました。皆さん、私の気持ちは、思いは、全て歌にこめようと思います」
「だから、どうか私の歌を、聞いてください!」
ああ、『氷の歌姫』如月千早の、なんたる傲慢、なんたる不敵さよ!
そこにはマスメディアや野次馬が期待した、一切の謝罪も妥協もなく、逃げも愛想笑いもなかった。
カメラをまっすぐに見つめた、千早の真摯な視線は不敵な挑発と受け取られ、翌日のワイドショーを賑わせ、ネット掲示板群に炎上のガソリンをぶちまけた。
そして、翌日から始まったネットと電話でのチケット予約受付は、5分で瞬殺され終了した――――
■
「あれ、どうしたの」
スタジオリハーサル2週目。そろそろ追い込みの時期に、春香と雪歩と美希がおにぎりやお菓子を持って、応援に駆けつけてきてくれた。
「えへへ、差し入れですー。ちょっと見学に。千早がんばってるかな、って」
「め、迷惑でしたか?」
「あふぅ。ミキはまだ眠いの……」
「ぜんぜん迷惑じゃないよ。でも、まぁ順調とは言えないかもな……」
俺はため息をついてから、ガラスの向こうを眺めて、通話回路のスイッチを押した。さっきからスピーカーから、ブース内の千早のきつい声が聞こえている。
「今のコーラス部分から再度お願いします」
「なぁ千早、ちょっと休んだほうがいいんじゃないか? 春香たち、差し入れ持ってきてくれてるぞー」
「私は大丈夫です! あと3回、いや2回だけでも!」
「いや、千早……。バックの皆さんも疲れてるしさ……」
「あ……、くっ、わかりました……」
苦笑いしながら、皆が休憩を取り始めるが、千早はガラスの向こうにいたままだった。じっと真剣に歌詞を眺めている。
音声を遮断する分厚いガラス越しに、春香たちが千早を見つめていた。
「なんか、千早、痩せた?」
「そ、そうかもしれないです~」
「えー? そっかな? ミキにはよく見えないの」
俺は防音扉を開けて、椅子やらアンプやらコードの束をかき分けて、体育座りの格好で座り込んでいる千早のもとに向かった。
「なぁ、千早……、なにが不満なんだ。みんないいと言っているじゃないか」
「こんなんじゃ、ダメなんです! ぜんぜんダメ!」
千早は顔を膝にうずめた。本当にこりゃ、ドツボにハマっちまってる……。
「なぁ千早、俺にだけ教えてくれ。どこがダメなんだ? CDの収録通りに歌えてるし、収録の時は坂本さんはOKしたじゃないか。俺にはちっともダメには聞こえないが」
床に穴があくんじゃないか、と思えるほどに、千早の視線は厳しいままだ。
「…………sing aliveって、どういう意味だと思いますか?」
「え? うーん、直訳すると、『生きている状態で、歌う』?」
『死者のように歌うことなかれ。生きるように歌えよ。歌っている時、私は生きている』
それは、坂本さんが作詞した『sing alive』の和訳。
「生きているように歌うって、どんな風にでしょうか?」
「え? あ、あぁ……どうだろうな……あまり深く考えなくても、フィーリングで……」
「適当に誤魔化すことは許されません」
千早は自らを責めるように、冷たく言い放った。ああ、君はなんて不器用で、自分に厳しいんだろう……。
「わたしは、そんな事を考えたことありませんでした。今思えば、これまでの私はただ上手に、音程を外さないように、声色を飾り付けて歌っていただけ。坂本さんは、この歌詞にどんな意味を込めたんでしょうか……」
そんな俺たちのやりとりを、スタッフたちや春香たちは真剣に聞いていた。我らが主役の歌姫さまは、天の岩戸にお隠れ中だ、と冷やかす声もたしなめられた。
「私がこんなに未熟だったなんて……。未熟すぎるのに、TVであんな言葉を吐いて……。歌詞の意味がわからないんじゃ、歌いようがありませんね。音程を外さないように、リズムを合わせて、ビブラートをきかせて……それでもダメ……わからない!」
「…………」
「黒人音楽のリズムも研究した。ありとあらゆるブレスも試した。オペラの歌唱法も試した。でもわからない! わからないんです!」
「ち、千早……」
千早は俺の両袖を引っ張る。その力はとても強く、ふがいない自分へ怒りを込めていて。
「教えてください、プロデューサー! 坂本さんは、この歌詞に何を……?」
「…………歌詞の意味を解釈するのは、君だよ、千早。君の答えが正解なんだ。君なりの解釈を、歌って伝える。それでいいじゃないか?」
「…………」
千早は納得していないようだった。そして俺に背を向けた。
「お願いです。ライブの構成を、五曲だけにしてください」
「えっ!?」
「昨晩じっくり考えて出した結論です。今の私には、五曲で限界……」
しかし……それではライブの構成が大幅に狂ってしまうし、お客さんが納得しないだろう……。
遠巻きに眺めていた雪歩は、おずおずと声を出した。
「そ、それはただのわがままなのでは……」
「ソロライブがたった五曲~? おカネ返せー!って言われちゃうよ?」
「千早…………」
春香達が心配そうに見つめる中、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「千早、ちゃんとメシ、喰ってるか?」
「……食べてます」
「昨日、俺の買ってきたお持ち帰り弁当、ゴミ袋に捨ててあったぞ」
「…………もったいないことをして、すいません……」
「カロリーメイトの包装のゴミもあった。それも半分だけ口をつけて。……それだけで足りるわけないだろ? 毎日リハして、トレーニングして、いくらカロリー消費してると思ってるんだ?」
「だって、お腹になにか入ってると声が重たくなるし……食べても吐いちゃうし……」
「ち、千早……そんなんじゃ、お前……」
「休憩はもう終わりです。再開しましょう!」
ライブの曲構成はあとで検討することにして、千早は振り付きのライブ練習を再開した。シャープなダンスをこなしながら歌う。踊りは速く正確で、振り付け師の先生と寸分違わぬ再現ぶりで……。
「わー、千早さん、上手です……」
「す、すごい動きのキレだね。あれでカロリーメイトしか食べてないなんて……。わー、私なんていっぱい食べてるのに~!」
それはまさに、オリンピックのシンクロの選手のように研ぎ澄まされた、無駄のない動き。声は一点のよどみもなく、隙のないブレスに正確な発音で美しく……。触れると切れるようで。
「春香さん? どうしました?」
「うん、さっきの歌詞のこと、気になっちゃって……」
「生きるように歌う、ですか。どういう意味なんでしょう~……」
「確かにうまいけど、でも、なんか……ミキ的には……」
「美希、どうしたの?」
妙に真面目そうな顔で、美希はガラス越しに華麗に舞う千早を見つめていた。
「なんだか千早さん……お人形さんみたいなの」
そう美希が言うのを聞いたとき、録音ブース内で、わっと騒ぎが起きた。
千早が……。まさに、色を切られた人形のように、床に崩れ落ちて気を失ってしまったのだ……。
それから、また大変な騒動になってしまって。
目立たないよう、タクシーで病院に運ばれた千早は過労と拒食症の兆候を宣告された。
判明した体重はなんと36キロ……。平常時より5キロも落ちてしまっていた。異常値だ。
医者は、10日後のライブ出演を積極的に支持できない、と言った。
完全に、プロデューサーである俺のミスだ。千早の行き詰まりに、危機に、うっすら気付いていながら何もしてやれなかった……。
■
千早はブドウ糖溶液の点滴を受けながら、薬で眠らされていた。
最近はせいぜい3時間程度しか眠れず、トレーニングできないときは他のライブやミュージカルのDVDを見続け、ずっとイメトレをしていたという。
張り詰めていた緊張の糸が、引っ張られすぎてぷっつり切れてしまった状態。操る者を失った人形。そのなれの果てが、ベッドに寝かされた、千早の、痩せこけた身体だった。
俺はずっと付き添って、冷やしたタオルで千早の頭や関節を冷やしていた。
俺は……。俺は、どうしたらいいんだろう……。
■
待合いの談笑室には、千早を心配したアイドルたちが集ってきていた。
「千早さん、無理してます。もう止めないといけないと思います、あずささん……」
「そうね、無理……してるかもしれないわね。でも、もしかして無理じゃないのかもしれない」
「え? どういうことですか?」
雪歩にあずさが不思議な事を言ったので、春香は真意を尋ねた。
「千早ちゃんは、脱皮しようとしてるのかもしれない……って思ったの」
「脱皮~? へんな事言わないでよあずさー! ヘビみたいで気持ちわるい!」
伊織が舌を出して、うえ~と顔をしかめる。
「フフフ、蛇の事じゃなくて。本当の『一流』の世界に行くための、生みの苦しみを今味わってるのかもしれない、ってことよ、伊織ちゃん。自分の今のレベルを超えるには、高いハードルが必要だと思うの。千早ちゃんは、自分でそれを見つけたのかもしれない」
「本当の、一流……。あずささんにはわかるんですか?」
「ううん、私にもわからないわ……」
あずさはそれだけ言って、窓の外を眺めた。
(それは、私が臆病で、まだ一歩を踏み出せない領域。本当の『一流』の世界に……千早、あなたは一人ぼっちで進もうとしているというの?)
あずさはとうとう自分のレベルに追いつき、追い越そうとしている五歳も年下の千早に、尊敬にも似た感情を抱き始めていた。
皆あずさの言ったことを考えていた。自分ならどうしただろう。常により厳しい道へ行こうとする千早にくらべて、自分はどうなのだろうか。そして、あんな風に必死になれるだろうか?
その重苦しい沈黙を破ったのは、春香だった。
「なにか、できないかな?」
「え~? なに言い出すのよ、春香?」
「見ているだけじゃなくって、応援したいよ! 千早のこと、手伝ってあげたい。あたしなんて平凡だから、千早みたいなスゴい子の悩みってよくわかんないけど……なにかしたいよ。見てるだけなんてイヤだよ!」
「……でも、何かしたいって、ミキ達に何ができるの?」
「あっ。春香さん、五曲です、五曲!」
雪歩はいいことを思いついたように、五本指を開いてひらひらさせた。
「きっと千早さん、体力もかなり低下してますから、やっぱり5曲しか歌えないのかもなのです。私たちの中で、スケジュールが空いてるアイドルが、参加して埋めてあげればいいんです。友情出演ですぅ!」
「はぁ~? 雪歩は黙ってて! それって千早の『前座』ってことじゃない。イヤよそんなの」
「……ミキはいいよ。どうせオフだもん、その日」
「はぁ~? アンタみたいな怠け者が、急に何言っちゃってるワケ~?」
「あたしもやる。千早にだけ戦わせて、見てるだけなんてできないから」
「わ、わたしも、なんとかしますぅ~」
「残念ね、私はラジオの収録があるけど……。伊織ちゃんはオフだったわよね?」
「~~~! あずさぁ~!」
にこにこと無言の笑顔で、皆で伊織を見つめた。何空気つくってんのよ~、とでも言わんとばかりにおでこが光り、そして大袈裟にため息をついた。
「…………ま、まぁ仕方ないわね。あの妙に熱血風吹かせてるバカ千早のために、このスーパーアイドル・伊織ちゃんが一肌脱いであげなくもないわっ」
伊織の顔は少し赤らんでいた。なんだかんだいって、伊織はいちばん扱いやすいと雪歩は思うのであった。
[つづく]
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後編に続くっ。ついにライブ当日!
金曜日あたりに更新予定っす。
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『私は生きている』(中)
皇居周辺。そこは都心にありながら、信号待ちもなく走れる有名なジョギングコースでもある。朝から多くの人たちが走り込んでいた。
その中に、パーカーのフードを被り、小型のヘッドフォンをした、ジャージ姿の細身の少女の姿があった。話題のアイドルであることにも気付かれず、ぐんぐんと脇目もふらず、先行ランナーを追い越していく。皆がそのアイドルに気付かなかったのは、服装のせいではない。悲壮なまでに思い詰めた表情が、自分を限界まで追い込もうとする気迫が、重要な大会を控えた陸上選手かとでも思わせたのだろう。
(坂本さん……、歌いきってみせます、あなたの最後の曲……!)
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俺は朝の10時前にスタジオ入りすると、もう千早はいて、柔軟体操をしていた。広い床に両脚を大きく開いて、ぺたっと胸をつけて。今日はスタジオリハの初日だ。
「……お早うございます」
「もう着いてたのか、早いな」
「……皇居をぐるっと一週、ランニングをしてきました」
「そうか……」
確か皇居一周は5Kmくらいだ。けっして短い距離ではない。もうスタジオミュージシャン達は来てもいいころだった。音楽業界人はおしなべて時間にルーズだ。しかし千早は苛立った様子もない。携帯プレーヤーから伸びたヘッドフォンから漏れ出す音は、発売前の坂本さんの遺作『sing alive』をずっとリピートしているようだった。
「千早、今日はスタジオリハの後、一件TV収録がある」
「!……ハイ」
TVと聞いて、千早の声色は明かに緊張した。それでも、ギュッ、ギュッと柔軟体操で、もも裏を延ばし続けていた。
「ライブのチケット販売についての宣伝映像だ。ネットCMにも使われる……。ライブ前の最後の情報発信になるだろうな」
「ハイ」
「……千早」
「ハイ?」
「メシ、ちゃんと喰えよ……」
「……ハイ。ちゃんと、食べてます」
張り詰めた千早の表情に、俺はかすかな不安を感じた。
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「……おつかれ」
「ウィーす、おつかれ……」
防音扉を開けて、スタジオミュージシャン達が初日の練習を終えて出てきた。予定では今日は、ライブの音楽プロデューサーがあらかじめ決めた、ライブ用曲アレンジの確認にとどめるはずだった。それにしては、皆の顔が重苦しかった。
「ねぇ、あんた、あのコのマネージャー?」
「……プロデューサーっす。うちの千早が、何か失礼でも?」
高橋というドラム担当者が、俺に話しかけてきた。年は40くらいだろうか。他にも、ギターの渡辺、キーボードの矢野など、俺がガキの頃から名を馳せてきていた、皆知る人ぞ知る凄腕のミュージシャンたちだ。
「話が違うじゃねーかよ……あんなクレイジーなアイドルは初めてだぜ」
「……と、言いますと?」
「俺はラクして稼げるアイドルのバックバンドだって聞いて来てるんだよね」
……どういう意味だろうか?
手の平に汗がにじみ、緊張に身構えた。
キーボードの矢野さんが、年長にも関わらず紳士的な口ぶりで加わってきた。
「ああ、そうですね……。僕もいささか驚きました。何というんでしょう、あのナイフみたいな切れ味の声は。僕がちょっとアドリブで『遊び』を入れると、睨み付けてきましたからね……」
「……まるで、挑戦されてるみたいだった。昨日今日デビューしたような小娘が、キャリア二十年以上の俺たちにだよ?」
怒っただろうか? 生意気なアイドルにナメられたと思っただろうか?
いや、彼らは笑みを浮かべた。
「困りましたね、これじゃ、ラクしては稼げませんね。我々も少々シメていかないと」
「おい、あんた。あのコは今時珍しい、ホンモノかもしれないな……。なんつーか、『歌に命かけてる』って気迫が伝わってくるんだよ。……まいったまいった、あっちぃあっちぃ、これじゃ、ラクして稼げない……」
「……ええ、うちの千早は、そこらのラクできるアイドルとは違います!」
「ハハッ。せいぜい気をつけるよ」
俺はニッコリと笑いかけ、彼らも手で応答した。俺の心配は杞憂だった。
彼らはむしろ燃えてきている!
千早の気迫が、時代を沸かせた昔を思い出させ、本来退屈なはずの仕事に活を入れたのだ。
数週間後に迫った千早と最高レベルのプレイヤーたちのライブを想像して、俺は胸が躍る思いだった。
ただ、スタジオ内に残ったままの千早の表情は暗いままで、歌詞を確認しながらぼそぼそと独り言をしていた。
(……ダメだ、こんなんじゃ、ぜんぜんダメだよね……坂本さん……)
■
その日に収録された宣伝映像は、坂本氏の葬儀以来はじめてTVに出演した事もあり、大きな波紋を呼ぶこととなった。
「坂本鷹雪さんにもらった最後の曲を、このライブではじめて、私は人前で歌います。私に投げかけられた数々の疑問に対する答えは全て、私は歌で答えます」
「衛星放送で放映されることも決まりました。皆さん、私の気持ちは、思いは、全て歌にこめようと思います」
「だから、どうか私の歌を、聞いてください!」
ああ、『氷の歌姫』如月千早の、なんたる傲慢、なんたる不敵さよ!
そこにはマスメディアや野次馬が期待した、一切の謝罪も妥協もなく、逃げも愛想笑いもなかった。
カメラをまっすぐに見つめた、千早の真摯な視線は不敵な挑発と受け取られ、翌日のワイドショーを賑わせ、ネット掲示板群に炎上のガソリンをぶちまけた。
そして、翌日から始まったネットと電話でのチケット予約受付は、5分で瞬殺され終了した――――
■
「あれ、どうしたの」
スタジオリハーサル2週目。そろそろ追い込みの時期に、春香と雪歩と美希がおにぎりやお菓子を持って、応援に駆けつけてきてくれた。
「えへへ、差し入れですー。ちょっと見学に。千早がんばってるかな、って」
「め、迷惑でしたか?」
「あふぅ。ミキはまだ眠いの……」
「ぜんぜん迷惑じゃないよ。でも、まぁ順調とは言えないかもな……」
俺はため息をついてから、ガラスの向こうを眺めて、通話回路のスイッチを押した。さっきからスピーカーから、ブース内の千早のきつい声が聞こえている。
「今のコーラス部分から再度お願いします」
「なぁ千早、ちょっと休んだほうがいいんじゃないか? 春香たち、差し入れ持ってきてくれてるぞー」
「私は大丈夫です! あと3回、いや2回だけでも!」
「いや、千早……。バックの皆さんも疲れてるしさ……」
「あ……、くっ、わかりました……」
苦笑いしながら、皆が休憩を取り始めるが、千早はガラスの向こうにいたままだった。じっと真剣に歌詞を眺めている。
音声を遮断する分厚いガラス越しに、春香たちが千早を見つめていた。
「なんか、千早、痩せた?」
「そ、そうかもしれないです~」
「えー? そっかな? ミキにはよく見えないの」
俺は防音扉を開けて、椅子やらアンプやらコードの束をかき分けて、体育座りの格好で座り込んでいる千早のもとに向かった。
「なぁ、千早……、なにが不満なんだ。みんないいと言っているじゃないか」
「こんなんじゃ、ダメなんです! ぜんぜんダメ!」
千早は顔を膝にうずめた。本当にこりゃ、ドツボにハマっちまってる……。
「なぁ千早、俺にだけ教えてくれ。どこがダメなんだ? CDの収録通りに歌えてるし、収録の時は坂本さんはOKしたじゃないか。俺にはちっともダメには聞こえないが」
床に穴があくんじゃないか、と思えるほどに、千早の視線は厳しいままだ。
「…………sing aliveって、どういう意味だと思いますか?」
「え? うーん、直訳すると、『生きている状態で、歌う』?」
『死者のように歌うことなかれ。生きるように歌えよ。歌っている時、私は生きている』
それは、坂本さんが作詞した『sing alive』の和訳。
「生きているように歌うって、どんな風にでしょうか?」
「え? あ、あぁ……どうだろうな……あまり深く考えなくても、フィーリングで……」
「適当に誤魔化すことは許されません」
千早は自らを責めるように、冷たく言い放った。ああ、君はなんて不器用で、自分に厳しいんだろう……。
「わたしは、そんな事を考えたことありませんでした。今思えば、これまでの私はただ上手に、音程を外さないように、声色を飾り付けて歌っていただけ。坂本さんは、この歌詞にどんな意味を込めたんでしょうか……」
そんな俺たちのやりとりを、スタッフたちや春香たちは真剣に聞いていた。我らが主役の歌姫さまは、天の岩戸にお隠れ中だ、と冷やかす声もたしなめられた。
「私がこんなに未熟だったなんて……。未熟すぎるのに、TVであんな言葉を吐いて……。歌詞の意味がわからないんじゃ、歌いようがありませんね。音程を外さないように、リズムを合わせて、ビブラートをきかせて……それでもダメ……わからない!」
「…………」
「黒人音楽のリズムも研究した。ありとあらゆるブレスも試した。オペラの歌唱法も試した。でもわからない! わからないんです!」
「ち、千早……」
千早は俺の両袖を引っ張る。その力はとても強く、ふがいない自分へ怒りを込めていて。
「教えてください、プロデューサー! 坂本さんは、この歌詞に何を……?」
「…………歌詞の意味を解釈するのは、君だよ、千早。君の答えが正解なんだ。君なりの解釈を、歌って伝える。それでいいじゃないか?」
「…………」
千早は納得していないようだった。そして俺に背を向けた。
「お願いです。ライブの構成を、五曲だけにしてください」
「えっ!?」
「昨晩じっくり考えて出した結論です。今の私には、五曲で限界……」
しかし……それではライブの構成が大幅に狂ってしまうし、お客さんが納得しないだろう……。
遠巻きに眺めていた雪歩は、おずおずと声を出した。
「そ、それはただのわがままなのでは……」
「ソロライブがたった五曲~? おカネ返せー!って言われちゃうよ?」
「千早…………」
春香達が心配そうに見つめる中、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「千早、ちゃんとメシ、喰ってるか?」
「……食べてます」
「昨日、俺の買ってきたお持ち帰り弁当、ゴミ袋に捨ててあったぞ」
「…………もったいないことをして、すいません……」
「カロリーメイトの包装のゴミもあった。それも半分だけ口をつけて。……それだけで足りるわけないだろ? 毎日リハして、トレーニングして、いくらカロリー消費してると思ってるんだ?」
「だって、お腹になにか入ってると声が重たくなるし……食べても吐いちゃうし……」
「ち、千早……そんなんじゃ、お前……」
「休憩はもう終わりです。再開しましょう!」
ライブの曲構成はあとで検討することにして、千早は振り付きのライブ練習を再開した。シャープなダンスをこなしながら歌う。踊りは速く正確で、振り付け師の先生と寸分違わぬ再現ぶりで……。
「わー、千早さん、上手です……」
「す、すごい動きのキレだね。あれでカロリーメイトしか食べてないなんて……。わー、私なんていっぱい食べてるのに~!」
それはまさに、オリンピックのシンクロの選手のように研ぎ澄まされた、無駄のない動き。声は一点のよどみもなく、隙のないブレスに正確な発音で美しく……。触れると切れるようで。
「春香さん? どうしました?」
「うん、さっきの歌詞のこと、気になっちゃって……」
「生きるように歌う、ですか。どういう意味なんでしょう~……」
「確かにうまいけど、でも、なんか……ミキ的には……」
「美希、どうしたの?」
妙に真面目そうな顔で、美希はガラス越しに華麗に舞う千早を見つめていた。
「なんだか千早さん……お人形さんみたいなの」
そう美希が言うのを聞いたとき、録音ブース内で、わっと騒ぎが起きた。
千早が……。まさに、色を切られた人形のように、床に崩れ落ちて気を失ってしまったのだ……。
それから、また大変な騒動になってしまって。
目立たないよう、タクシーで病院に運ばれた千早は過労と拒食症の兆候を宣告された。
判明した体重はなんと36キロ……。平常時より5キロも落ちてしまっていた。異常値だ。
医者は、10日後のライブ出演を積極的に支持できない、と言った。
完全に、プロデューサーである俺のミスだ。千早の行き詰まりに、危機に、うっすら気付いていながら何もしてやれなかった……。
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千早はブドウ糖溶液の点滴を受けながら、薬で眠らされていた。
最近はせいぜい3時間程度しか眠れず、トレーニングできないときは他のライブやミュージカルのDVDを見続け、ずっとイメトレをしていたという。
張り詰めていた緊張の糸が、引っ張られすぎてぷっつり切れてしまった状態。操る者を失った人形。そのなれの果てが、ベッドに寝かされた、千早の、痩せこけた身体だった。
俺はずっと付き添って、冷やしたタオルで千早の頭や関節を冷やしていた。
俺は……。俺は、どうしたらいいんだろう……。
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待合いの談笑室には、千早を心配したアイドルたちが集ってきていた。
「千早さん、無理してます。もう止めないといけないと思います、あずささん……」
「そうね、無理……してるかもしれないわね。でも、もしかして無理じゃないのかもしれない」
「え? どういうことですか?」
雪歩にあずさが不思議な事を言ったので、春香は真意を尋ねた。
「千早ちゃんは、脱皮しようとしてるのかもしれない……って思ったの」
「脱皮~? へんな事言わないでよあずさー! ヘビみたいで気持ちわるい!」
伊織が舌を出して、うえ~と顔をしかめる。
「フフフ、蛇の事じゃなくて。本当の『一流』の世界に行くための、生みの苦しみを今味わってるのかもしれない、ってことよ、伊織ちゃん。自分の今のレベルを超えるには、高いハードルが必要だと思うの。千早ちゃんは、自分でそれを見つけたのかもしれない」
「本当の、一流……。あずささんにはわかるんですか?」
「ううん、私にもわからないわ……」
あずさはそれだけ言って、窓の外を眺めた。
(それは、私が臆病で、まだ一歩を踏み出せない領域。本当の『一流』の世界に……千早、あなたは一人ぼっちで進もうとしているというの?)
あずさはとうとう自分のレベルに追いつき、追い越そうとしている五歳も年下の千早に、尊敬にも似た感情を抱き始めていた。
皆あずさの言ったことを考えていた。自分ならどうしただろう。常により厳しい道へ行こうとする千早にくらべて、自分はどうなのだろうか。そして、あんな風に必死になれるだろうか?
その重苦しい沈黙を破ったのは、春香だった。
「なにか、できないかな?」
「え~? なに言い出すのよ、春香?」
「見ているだけじゃなくって、応援したいよ! 千早のこと、手伝ってあげたい。あたしなんて平凡だから、千早みたいなスゴい子の悩みってよくわかんないけど……なにかしたいよ。見てるだけなんてイヤだよ!」
「……でも、何かしたいって、ミキ達に何ができるの?」
「あっ。春香さん、五曲です、五曲!」
雪歩はいいことを思いついたように、五本指を開いてひらひらさせた。
「きっと千早さん、体力もかなり低下してますから、やっぱり5曲しか歌えないのかもなのです。私たちの中で、スケジュールが空いてるアイドルが、参加して埋めてあげればいいんです。友情出演ですぅ!」
「はぁ~? 雪歩は黙ってて! それって千早の『前座』ってことじゃない。イヤよそんなの」
「……ミキはいいよ。どうせオフだもん、その日」
「はぁ~? アンタみたいな怠け者が、急に何言っちゃってるワケ~?」
「あたしもやる。千早にだけ戦わせて、見てるだけなんてできないから」
「わ、わたしも、なんとかしますぅ~」
「残念ね、私はラジオの収録があるけど……。伊織ちゃんはオフだったわよね?」
「~~~! あずさぁ~!」
にこにこと無言の笑顔で、皆で伊織を見つめた。何空気つくってんのよ~、とでも言わんとばかりにおでこが光り、そして大袈裟にため息をついた。
「…………ま、まぁ仕方ないわね。あの妙に熱血風吹かせてるバカ千早のために、このスーパーアイドル・伊織ちゃんが一肌脱いであげなくもないわっ」
伊織の顔は少し赤らんでいた。なんだかんだいって、伊織はいちばん扱いやすいと雪歩は思うのであった。
[つづく]
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後編に続くっ。ついにライブ当日!
金曜日あたりに更新予定っす。
ついに雪歩と美希も出てきたようで、完結編が楽しみです。
くだらないことなのですが、
坂本さんってニコチャン動画でブレイクしたPerfectの音楽プロデュースをしている人なんですよね。
ニコチャン動画でブレイクする感じの曲と千早が歌いたい!と思う曲は大分毛色が違うような…
いや、優れた作曲家なら色々なジャンルの曲をかけるはずですよね。
脳内補完しておきます。
くだらないこと言ってすみません。
パフュームかな?
ニコマスって連想で。
>ついに雪歩と美希も出てきたようで、完結編が楽しみです。
意地で全員出しました。
むしろ二人はおいしい役どころでしたね。
>ニコチャン動画でブレイクする感じの曲と千早が歌いたい!と思う曲は大分毛色が違うような…
そう言われればそうかもしれないな、と思いました。
実は千早はネタ・電波系が好きだったりして?w
>ドムドムさん
半分当たりです。