昨年末に発足した安倍政権は、デフレ対策を最優先課題に掲げ、量的緩和やインフレターゲットを日銀に迫り、一か月余りで1ドルは78円から92円、ユーロは120円台まで値上がりし、一挙に大幅な円安に転じた。 円高是正の効果が早くも輸出産業の業績にも表れ、株価も1万1000円台まで上昇した。 アメリカ市場の回復、ユーロ金融危機の小康状態が、円安の環境を既に用意していたとはいえ、「マラソンを100m走のペースで走っている」と霞が関が評するというその果敢な行動、情報発信が成果を生んだことは評価してよいだろう。 金融緩和、財政出動、成長戦略の三本の矢を強力に推し進める安倍首相には、信頼するブレーン集団がついているようであり、その筆頭が、「アメリカは日本経済復活を知っている」(講談社)を上梓したイェール大学の浜田幸一教授であることは、同氏が内閣官房参与に就任したことでも明らかだ。
既にゼロ金利に近いのだから、これ以上の金融緩和は効果がない、という「流動性の罠」を持ち出して、ゼロ金利政策や量的緩和を否定的に見る向きもあったが、浜田氏の指摘するように、FRBやECBがリーマンショック後、バランスシートを3倍以上に膨らませてきたことを考えると、金融危機は起きなかったとして量的緩和に踏み切らなかった日銀の方針が、過剰な円高を招いたという指摘は正しかったと思わざるを得ない。
円安は自動車など輸出企業の収益を直ちに改善に向かわせたが、一方で、原油高や食糧価格など、円安でデメリットを受ける産品も多く、一般庶民にはどれほどメリットがあるのか。まら、10兆円に上る2012年度補正予算の使い道など、不透明さが残ることも否めない。 そうした中で、今朝の日経新聞が報じているように、政府が企業に賃金アップを要請し始めたというのは、消費の底上げに向けてさらに一歩踏み込んだと言えそうだ。 来年4月に控える消費税の8%への引き上げを本当に実施するのか、安倍政権が景気回復とインフレ誘導を本気で実行する気があるなら、増税の時期の見直しも含めて検討してもらいたいものだ。
経済以外では、2030年代脱原発方針の事実上の撤回やサウジへの原発輸出協議の開始、日米安保強化に向けて普天間基地の辺野古への移転の沖縄との再折衝なども着手しているが、国防軍や憲法改正など、国家主義的な言動が多い安倍首相だけに、その真意と目指すべき国の形がどういうものなのか、まだ明確でないのも事実である。 本人の言動は、TVで見ても、経済団体の会合においても、いずれも用意された数フレーズのステートメントの繰り返してであり、本人の言葉で議論を深めるような場面がほとんど見られないのは残念である。
こうした中、J.スティングリッツの近著、「世界の99%を貧困にする経済(The Price of Inequality)」は、リーマンショック後のアメリカの在り方、特に是正されない不平等の拡大を厳しく断崖している。 AIGやシティなどの金融業界の巨人が、莫大な国費を投じて救済されながら、経営者や株主は罰を免れるどころか引き続き巨額のボーナスを手にし、99%の納税者がその尻拭いをさせられたが、サブプライムローンの破綻で、自宅を失ったり失業した多くの中下層には、債務減免や債務再編による救済が与えられなかったことに、著者は強い憤りを表明している。
政府と政府に影響力を行使して自らに有利な枠組みを飲ませる1%の富裕層(強者)のレントシーキング(rent seeking)が常態化したアメリカは、とても機会均等な社会とは言えず、「1%の、1%による、1%のための政治」が行われている。 公平さや平等といった接着材となる社会資本を欠いたアメリカは、更なる階層分化と二重経済の道を進み、不平等による非効率という高コストを払う結果、経済は長期に低迷すると警鐘を鳴らす。 金融業界への追及を中途半端に終わらせたオバマ政権にも厳しく、また雇用や経済成長に一応の目配せはするものの、銀行業界に有利なインフレ対策中心の金融政策を実施するバーナンキのFRBにも容赦がない。
インディアナ州の片隅の工場に囲まれた町に生まれ、MITの博士論文で、不平等の経済について論じた著者は、資本主義は不完全なものであり、情報の非対称性がひずみを生み平等な機会を阻害するために、政府による規制やコントロールが不可避であるという立場だ。 前著「世界を不幸にするグローバル経済の正体」でも、グローバル資本主義の問題点を指摘したが、2008年のリーマンショックとその後の欧州危機によって、資本主義、とりわけミルトン フリードマンに発する市場主義、金融至上主義に異を唱え、政府や政治の果たすべき役割を強調し、人々の間の信頼と社会契約を基盤にする民主主義の回復の必要性を強く論じている。 市場万能主義やグローバル化の問題点が、いろんな場所で表面化し、世界で格差が拡大している現在、Occupy Wall Streetの思想的支柱として、現場で拡声器を持って若者に語りかけ、オバマ政権にも遠慮なく発言するノーベル経済学賞の碩学の声が、これまでにない説得力持って響く。
日本においても、安倍政権が、かつての自民党のような経済界優遇、既得権益の保護者ではなく、首相が言うように「頑張っている普通の人が報われる国」を実現するためには、デフレ脱却だけでなく、若者や教育への投資、社会のセーフティネットの保障を通して、他者や政府に対する信頼という社会資本の再構築が必要なことを本書は明示する。 集団的自衛権や憲法改正よりも、そうした国民が安心して生活できる基盤をまず整備してもらいたい。