モンゴルのいろいろ by нэг モンゴル人

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小学校から大学まで

2006-05-31 23:54:03 | モンゴルは今
  私の小学校から今までの学校生活を紹介します。地方のごく普通の学校の話ですので、モンゴル全体の状況が見られると思います。ただ、私が小中学校のころと今の小中学校とは違うから最新の情報にはなれないけど、歴史的背景も考えながら読んでいただきたいです。 

  9月1日。毎年ドキドキする日。私は小学校に入るとき7才でした。(日本式に数えれば7歳にもなっていなかったが、モンゴルでは年で数えます)本当は小学校入学年齢は8才だったが7才も許された。あ、小学校の前に幼稚園がありました!しかし私にとっては半年だけ。1才のときから保育園、幼稚園に行く子もいますが、家ではおばあちゃんがいて兄姉と私の面倒を見てくれたので、両親が共働きで忙しくても幼稚園には通わなかった。
 
 学校は家から近く歩いて10分ぐらいのとこでした。遠いところの子はバスで通いました。最初の1、2回ぐらいは親に連れて行ってもらったが、次からは自分で通うようになりました。私のアパートから同じ学校に通う子も沢山いたし、同じ校舎の中に小学校から高校まで全部入っていた(3階建てで、1階には小学生、2階は中学生、3階は高校生といった感じで)から、私の兄姉と一緒に行くこともできた。ただ姉兄達とシフトが違って一緒に通えなかった年もあります。
 シフトというのは、モンゴルでは校舎が足りず、教室を効率よく使うために午前中は1,3,5,7,9年生、午後は2,4,6,8,10年生が勉強するといった感じに2つに分けていました。同じ学校でずっと勉強するから、小学生、高校生というよりも1年生、7年生、10年生と言った呼び方をします。
 小学校では、当たり前のことですが、キリル文字、数学などを習います。小学校は3年間でした。
 
 中学校に進学し4年生になりました。中学入試なんてあったかな?言っちゃえば1階から2階に移動するだけのことですしね。多分3年間の成績で決まりました。留年する子がいなかったことは覚えています。
 授業は多分日本と変わらないと思います。私が一番嫌いだったのは体育の授業でした。できもしないバスケやバレーを毎回やらされたし(しかもクラスの子達はみんなバスケうまくて、特に男子は全国大会に出たぐらいです)、運動広場を何周も走らされたし、ただ短距離競争とたまにやるアエロビックスは好きでした。
 後、私の中学校時代、ちょうど社会主義から民主主義への変化過程で、「今まで強制的に排除した古い文化、習慣を復活させよう」と、その一つにモンゴル古来の縦文字を国民全員習い、公式文字をキリルから縦文字にしようとした時でした。その前も中学校のカリキュラムに入っていたが、半年で終わる程度でした。1993年ごろから中学校で力入れて勉強するようになりました。
 またその年小学1年生になった子達は最初からキリルじゃなくモンゴル縦文字を習いました。しかし、小学校はうまくいったのですが、中学校の教科書は縦文字で作ることができなかったため、あの子達は急にキリルを勉強しなくてはならなくなり大変な目に会いました。不安定な時代の実験動物になってしまったのです。
 
 中学校の5年が終わり、9年生/高校生になりました。今回は進学試験を受けたことを覚えています。しかし試験は易しく、そのために特別に勉強することもない。数学特別学高校のような特殊な学校は話が別でしょうけれど…
 文系に行くか理系に行くかで試験の内容が違いました。私は外国語クラスに入り、中学校入学とともに習い始めたロシア語を他のクラスより多く勉強するようになりました。(そのとき第一外国語は地方学校ではまだロシア語でした)語学が好きな私にとって至福の時でした 外国語クラスのほかに数学・物理、化学・生物学、モンゴル語・文学の3つのクラスがありました。

 高校の2年があっという間に過ぎ、いよいよ大学入試。モンゴルではkonkursコンクールと言い、人生初の大試験。しかし、日本ほどじゃないかも知りません。大学進学のための塾や予備校などもないし、準備は先生に頼んで余分に教えていただくか、自分で勉強するだけ。
 入試の形式はウランバートルと地方で違います。ウランバートルでは日本と同じように入りたい大学へ直接行って受けますが、地方では町の高校生が進みたい方向でグループに分かれ、みんな一斉に試験受けて、結果のいい人から大学を選びます。例えば、私は語学、文化研究に進みたかったので、ロシア語、モンゴル語、社会学の3つの試験を受け、幸いそのグループのトップでしたので、一番に選ぶことができて、モンゴル国立大学の日本日本語学を選びました。
 
 モンゴル国立大学国際関係学部日本研究科で4年間勉強し、卒業して大学院に進み、同じ研究室で修士をとりました。地方出身の私にとって大都会であるウランバートルで暮らし、勉強し、そしてさらに広い世界へ、〝さらに大都会”へ行ってみたいなと思いました。そして日本にきました。
 
 日本では大学院に進みたくてもモンゴルの修士は認めてもらえません。今までの話でお気付きになったと思いますが、モンゴルでの学年は小学校3、中学校5、高校2年(学校によっては4:4:2)の10年、大学、大学院を合わせても15.5年と短い。そこで1年間研究生として勉強をし、やっと学年が大学院入学条件を満たせます。
このようなずれがあったので、2005年からモンゴルは大学までを11年にしました。そして今年の5月にモンゴル初の11年生が卒業しました。おめでとうございます。 
 こんなふうにして、私は、まだまだ移動途中で揺れ動く母国と一緒に揺れ動きながら、ここまでに至り、日本で無事修士を修了し、今博士課程で勉強をしているところでございます。
 では、長くなりました、今日はこの辺で…
 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (KEI)
2006-06-01 08:32:43
よ~く、分かりました。今の日本人にとって社会体制が違ってくる中での教育を受ける側の様子は予想外ですが、70才代の人には同じような経験があります。2部式交替での校舎使用は経験しました。興味深い話題ありがとう。
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Unknown (yanzaga)
2006-06-01 11:00:29
ありがとうございます。やっぱり同じような歴史をみんな辿っていくんですね。
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モンゴルの田舎より! (SACHI)
2006-06-02 17:40:51
モンゴルは去年の9月から11年学校になりました。教育システムがだいぶ見直されているときです。でも!今年の3月になって急にやっぱり11年制にするのは2008年からって教育省が言い出しました。何じゃそりゃ?去年急に入学とともに2年生になった子達はまた9月からも2年生なん?というかんじの今のモンゴルの学校事情ですよ!
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最新情報ありがとうございます (yanzaga)
2006-06-04 13:50:48
 マジですか?! 本当に何じゃそれ!ですよね。モンゴルの政府ってそうやっていつも無責任のこと平気でする。国民はゲームの駒じゃないんだから!恥ずかしくも腹立ってきました
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