多文化共生のすすめ

Toward a Multicultural Japan

群馬大学

2005年07月25日 | Weblog
文部科学省は7月22日に、優れた大学教育を財政支援する「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」として、全国の国公私立の大学・短大の47の取組みを採択した。特色GPは2003年度に始まった制度で、今年で3年目となる。

その中で、今回初めて、多文化共生をテーマにした取り組みが採択された。群馬大学の「多文化共生社会の構築に貢献する人材の育成」である。外国人多住地域での課題を見いだす力の育成を図ることを目的に、群馬大学が群馬県と大泉町と連携し、学生はインターンシップから政策の立案までかかわり、それが単位として認定されるという。

群馬大学では、2001年3月に、筆者もパネリストとして参加した第1回多文化共生シンポジウム「大泉町における多文化共生社会のこれから」を開いて以来、学校教育の分野を中心に、地域との連携をめざした地道な活動を続けてきた。2002年度からは文科省地域貢献特別支援事業として群馬県と連携した「多文化共生研究プロジェクト」を始め、 2005年2月には5回めの多文化共生シンポジウムを開いている。そうした積み重ねがあって、今回の特色GPの採択に至ったといえよう。

群馬県には全国で一番外国人の比率が高い大泉町太田市があり、今年4月には全国に先駆けて、県庁に多文化共生支援室も設置された。群馬大学は2001年に地域連携推進室を設置して以来,地域との連携に力を入れてきたが、地域の特徴の一つとして多文化共生に注目し、ここまで地道な活動を積み上げてきたことを高く評価したい。他の大学や自治体にとっても大きな参考となろう。

文化外交と多文化共生

2005年07月18日 | Weblog
文化交流の外交への活用を目指す小泉純一郎首相の私的懇談会「文化外交の推進に関する懇談会」(座長・青木保法政大学教授)は、7月11日、最終報告書「『文化交流の平和国家』日本の創造を」をまとめ、首相に提出した。

同報告書によると、文化外交の3つの理念は、文化発信を通した「21世紀型クール」の提示(発信)、文化創造の場の育成につながる「創造的受容」(受容)、「多様な文化や価値の間の架け橋」としての貢献(共生)である。

多文化共生の観点から特に重要なのは、「創造的受容」である。「創造的受容」とは、「知識や技術、文物等をとり入れるという一方通行の『受容』ではなく、文化が自由に交流することのできる公共空間を生み出し、交流を通して価値の共有や一体感の醸成を図り、また地域社会の変化や活性化を促すなど、創造的方向性をめざして人や文化の『受容』を図る」ことを意味するという。この定義の後段は、多文化共生の理念に重なる。

しかし、同報告書では、具体的取り組みとして、「留学生の積極的な受け入れ」「(文化人、芸術家、スポーツ関係者等の)レジデンス型プログラムの推進」「(メディア関係者等重要人物の)人材交流の推進」「(研究機関等の)知的交流の推進」を挙げるのみで、在日外国人の存在は見落とされている。

国内で暮らす200万人以上の外国人の多くは定住者として、地域社会や日本社会全体に大きな貢献を果たし、多様な文化の発信も行っている。在日コリアンや中国人は、以前から芸術やスポーツ分野で多くの日本を代表する人材を輩出しているし、ニューカマーと呼ばれるブラジル人やフィリピン人等も「地域社会の変化や活性化を促す」活躍が始まっている。こうした国内の外国人コミュニティの活性化を支援することも、「創造的受容」の促進につながるに違いない。

また、報告書では、日本が「多様な文化や価値の間の架け橋」になることも唱えているが、文化外交を進めていく上で、国内における多文化共生社会づくりも同時に力を入れなければ、説得力が弱いといえよう。

政府は今秋をめどに、官民からなる「文化外交推進会議(仮称)」を設置し、具体的施策の検討を始めるようだが、その際には、ぜひ在日外国人の存在も視野に入れ、総合的観点から「文化交流の平和国家」を目指してもらいたいものである。

「国際理解教育」を超えて

2005年07月11日 | Weblog
ゆとり教育の象徴とされる「総合的な学習の時間(総合学習)」の見直しが話題になっている。総合学習がカリキュラムとして正式に導入されたのは、新学習指導要領が小中学校に導入された2002年度のことだった(高校は2003年度)。その総合学習の具体例として例示されたのが、「国際理解、情報、環境、福祉・健康などの教科横断的・総合的な課題」であり、「国際理解教育」は学校教育の中で市民権を得たといえる。

国際理解教育は、「国際化」が唱えられた1980年代に、「国際化への対応のための教育」(臨時教育審議会最終答申、1987年)として大きく広がった。学校教育だけでなく、社会教育としても主要なテーマとなり、1990年代になると、全国にできた国際交流協会が「国際理解教育」を活動の主要な柱の一つにすえた。

国際理解教育の内容としては、70年代は「海外子女教育」が、そして80年代になると「帰国子女教育」に関心が集まった。さらに90年代には「外国人教育」が含まれるようになり、多文化共生の視点が重視されるようになった。1996年の中教審第1次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方」でも、「広い視野を持ち、異文化を理解するとともに、これを尊重する態度や異なる文化を持った人々と共に生きていく資質や能力の育成を図る」とし、初めて「共生」が教育目標に掲げられた。

こうして、社会的認知を得た国際理解教育であるが、一方で、大きな批判の声もある。小中学校での国際理解教育が、留学生とのその場限りの交流に終わったり、英語学習にすぎない場合も少なくないという。筆者が懸念しているのは、多文化共生の視点を重視するといいながら、国際理解教育=外国理解教育ととらえられがちなことである。また、「国際」という概念は、国民国家を前提に、「日本」と「外国」、「日本人」と「外国人」という二分法的な発想に基づいている。しかし、グローバル化の進展によって、こうした概念は現実を説明する力を失いつつある。もちろん、国際理解教育をグローバルな課題の学習、あるいは「開発教育」ととらえる考え方も広がっている。しかし、それゆえに、「国際理解教育」という概念があまりに拡張して、混乱をもたらしているのが現状であるといえよう。

今後、グローバル化のさらなる進展により、地球規模での相互依存は深化し、地球的課題の解決の重要性が増すとともに、日本で暮らす外国人も増加し、定住化がいっそう進んでいくに違いない。そこで、筆者は、これまで国際理解教育と呼ばれてきた活動について、主に地球社会に焦点を合わせ、地球的課題の解決をめざした教育を「地球市民教育」と呼び、主に地域社会に焦点を合わせ、多文化共生の社会づくりをめざした教育を「多文化共生教育」と呼ぶことを提唱したい。

ただし、「地球市民教育」と「多文化共生教育」は、どちらもグローバル化に対応した教育であり、コインの裏表ともいえる。地域社会に焦点をあわせて「地球市民教育」をおこなうことも可能だし、逆もしかりである。従って、両者は重点の置き方による違いと理解するのがよいだろう。

多文化共生は「多文化の共生」?

2005年07月04日 | Weblog
多文化共生を「多文化の共生」ととらえる人が多い。しかし、共生するのはあくまで人間のはずであり、文化と文化が共に生きるというのは奇妙である。

「多文化の共生」というと、それぞれの集団には固有で不変の文化があるという前提に立ちやすいが、文化というのは決して固定的なものでなく、常に変わりうるものだ。例えば、移民は出身国の文化をまもるべきということが言われるが、移民が受け入れ国の文化の影響を受け、次第に出身国とも受入国とも異なる独自の文化を築くのはよくあることである。また、移民を受け入れた国の文化も、次第に移民の文化の影響を受け、変容していくことが多い。

一方、集団の構成員の中にも、文化的多様性が存在する。もし、これが日本文化であると定義し、日本人は決まった日本文化をもっていると言えば、少しでもそれにあてはまらない日本人は、生きにくいに違いない。

従って、多文化共生は「多文化(複数の文化)の共生」と理解しないほうがよいだろう。私の多文化共生の定義は、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、共に生きること」である。