多文化共生のすすめ

Toward a Multicultural Japan

外国人集住都市会議は「お国自慢」?

2004年12月27日 | Weblog
2004年12月27日の朝日新聞朝刊の地方版(静岡県)に、「外国人集住都市会議 先導役を期待」という「記者ノート」が掲載されていることを、朝日新聞のデータベースでみつけた。浜松市の働きかけに応じて、静岡県が全国に先駆けて各種学校の認可条件を緩和したことを重視する記者は、静岡県や浜松市がリーダーシップをさらに発揮することを求めている。

記者は、2004年10月に豊田市で開催された外国人集住都市会議の教育部会に浜松市が参加せず、教育部会で静岡県の規制緩和について議論されなかったことを間接的に批判している。そして、「進行役の大学教授は『出席者の首長の顔を立てるため、発言を優先した』と話した」と述べている。

また、部会の中身では、「自分の市の国際交流の実態などを首長が紹介しただけ」で、「『外国人問題にこれまで認識が足りなかった』と反省する首長もいるなど、都市間の温度差が露呈した」と指摘している。「この会議をいわゆる地方サミットのように参加都市の『お国自慢』だけに終わるようなマンネリ化をさせてはなるまい」とも述べている。

静岡県や浜松市の外国人学校の各種学校との認可に向けた取り組みを評価することに異論はないが、「進行役の大学教授」(私のことである)は、「出席者の首長の顔を立てるため、発言を優先した」とは言っていない。私は、記者から、どうして外国人学校の話が出なかったのかと聞かれたので、パネリストの関心にそって議事を進行したので、そうなったと答えたまでである。

また、今回の教育部会では、課題を日本の公立学校における外国人児童生徒の受け入れ、外国人学校への支援、不就学への対応と三つに整理しており、外国人学校の問題を軽視したわけではない。

参加首長の間で「温度差」があったのは事実であるが、部会の中身が「自分の市の国際交流の実態など」を紹介しただけでもない。議論の中では、清水太田市長と文科省担当者の間で興味深いやり取りもあった。そもそも、紹介された各市の取り組みは多文化共生をめざしたものであって、「国際交流の実態」ではない。

今回の集住都市会議で、国への政策提言をまとめるだけでなく、参加都市の取り組みを紹介したのは、国に要求を出し、すべて国任せにするのではなく、自主的にできることは、国の支援を待たずに自治体が率先して行う姿勢を示すためである。これらの取り組みは、外国人住民が増えつつある他の自治体にとっても参考になるはずだ。「地方サミットのように参加都市の『お国自慢』だけに終わるようなマンネリ化」を心配するのは的外れというものだろう。

国際交流の呪縛

2004年12月20日 | Weblog
旧自治省が1980年代後半に、国際交流に関する指針を幾つもつくり、「地域の国際化」を推進して以来、全国の自治体が新しい行政課題として国際交流の推進に取組み始めた。具体的には、全国の都道府県や政令指定都市、そしてその他の多くの都市も国際交流課や国際交流協会を設置した。特に、姉妹都市交流に力をいれるところが多かった。

一方、旧自治省の指針は外国人が暮らしやすいまちづくりを国際交流施策の一貫に位置づけたため、多くの自治体において、外国人を住民として捉える発想は乏しく、外国人施策の優先順位は低いまま、今日にいたっている。これを私は「国際交流の呪縛」と呼んでいる。現在、国際交流協会がその存在意義を問われているのも、当然といえば当然である。

旧自治省は、95年に国際化の第2の柱として国際協力を掲げ、以来、国際化=国際交流+国際協力と位置づけている。私は以前から国際交流・協力と多文化共生とは関連があるが、異なった概念として分け、国際化の第3の柱として多文化共生を掲げることを提起してきた。

総務省が来年度の重点施策に多文化共生を挙げ、取り組みに本腰を入れることは、自治体の外国人施策の展開に大きな影響をもたらすだろう。2005年は、多文化共生が地方行政において市民権を得ることを期待したい。

報告:みのかもフォーラム

2004年12月15日 | Weblog
2004年5月に岐阜県美濃加茂市で開催されたみのかも多文化共生フォーラム「美濃加茂市における多文化共生の学校づくりと地域づくり」についてご報告します。(美濃加茂市の報告書もご覧ください。)

日時: 2004年5月9日(日)
場所: 美濃加茂市中央公民館
主催: 「市民と行政の協働による多文化共生推進のための政策フォーラム」実行委員会

■基調報告「21世紀の学校-横浜市立いちょう小学校の挑戦」
・服部信雄(横浜市教育センター教育課程開発課長・前横浜市立いちょう小学校長)
・金子正人(横浜市立いちょう小学校教諭、国際教室担当)

■パネルディスカッション1「学校から始める多文化共生」
パネリスト
・井戸康子(美濃加茂市立古井小学校教諭、日本語教室担当)
・金城エジウソン(みのかもブラジル友の会会長)
・高井厚(美濃加茂市教育委員会学校教育課長)
コーディネーター
・山脇啓造(明治大学教授)

■パネルディスカッション2「外国籍生徒による発信」
パネリスト
・ブラジル籍中学生・ブラジル籍高校生
・渡辺マルセロ(岐阜県国際交流センター派遣外国人相談員)
コーディネーター
・服部信雄

■まとめと質疑
・渡辺俊幸(美濃加茂市教育長)
・服部信雄
・山脇啓造

美濃加茂市は人口約5万人で、その9%が外国人です。外国人集住都市会議のメンバーで、2004年度は教育部会の座長都市を務め、私は部会コーディネータとして、美濃加茂市の部会運営のお手伝いをしました。2003年11月に美濃加茂市で初めて多文化共生をテーマに開かれたシンポジウムにも、講師として参加しました。

美濃加茂市の担当者が、2004年2月の名古屋国際センター主催「国際化セミナー」でのいちょう小学校の服部校長(当時)の報告を聞き、学校が積極的に地域の多文化共生の拠点の役割を果たそうとしていることに感銘を受け、このフォーラムが実現しました。参加者は120名ほどでした。

以下、「日本語教育新聞」に掲載された拙稿を引用します。

「フォーラムは、川合良樹美濃加茂市長の挨拶に始まった。第一部で服部信雄いちょう小学校前校長(現横浜市教育センター教育課程開発課長)と金子正人同校教諭の講演「21世紀の学校―横浜市立いちょう小学校の挑戦」と第二部で二つのパネルディスカッションがあり、第三部で渡辺俊幸美濃加茂市教育長と服部氏の対談を私がコーディネートした。

第一部では、いちょう小学校の全職員による協力指導体制について、また、同校がいかにして、外国人保護者と信頼関係を築き、二代続けて外国出身者がPTA代表を務めるに至ったか、自治会やボランティア団体など地域との連携を深めていったかという実践的な学校運営の話があった。

第二部では、第一パネルのパネリストに美濃加茂市内で最も外国人の多い古井小学校の日本語教室担当教諭、ブラジル友の会代表、美濃加茂市教委学校教育課長が、また、第二パネルでは、市内の学校に通うブラジル人中高校生と市内の小中高校を経て岐阜大学を卒業後、県の外国人相談員として、市内の小中学校を巡回しているブラジル青年の渡辺マルセロさんが迎えられた。コーディネータは第一パネルで私が第二パネルで服部氏が務めた。

第三部では、全体のまとめとフロアからの質問や意見交換を経て、最後まで熱心に耳を傾けていた川合市長のコメント後、実行委員長による「みのかも宣言」の発表によって幕を閉じた。

今回のフォーラムのハイライトは、第二部の第二パネルだった。中一と高一のブラジル人女子生徒は、これまで日本人同級生によるいじめを受け、友だちのいない孤立した学校生活を送っていた。二人はその体験を語ることがつらくて、何度も重苦しい沈黙が会場を支配した。そんな二人を横から励ましたのが、二人にとってよき先輩であるマルセロさんであり、コーディネータの服部氏だった。最後に、三人それぞれが将来の夢を語った後、中一の生徒がもう一度マイクを握りしめ、『今日は母の日なので、会場に来ているすべてのお母さんやおばあちゃんにありがとうと言いたい』と話した時には、会場の誰もが大きな拍手を送った。」(「日本語教育新聞」第22号、2004年7月)

多文化共生10大ニュース

2004年12月13日 | Weblog
2004年に起きた出来事の中で、日本における多文化共生のゆくえに大きな影響を及ぼすであろう10大ニュースを選んでみた。

1) 経団連が「外国人受け入れに関する提言」を発表(4月)

*提言内容に批判すべき点がないわけではないが、何といっても経団連がこのような包括的な政策提言をまとめたことの意味は重い。今までに出された自治体や市民団体、研究者などの提言と比べて、その影響力は圧倒的に大きいと思われる。

2) 政府がフィリピンと看護師、介護士の受け入れで合意(11月)

*おそらく、当初の受け入れ数はかなり限定的なものとなるだろうが、そうだとしても、日本政府が初めて外国政府と外国人労働者受け入れに関する合意に達したことの意義は小さくない。これが前例となり、今後、他の国々との取り決めが続く可能性がある。

3) 総務省が「多文化共生社会を目指した取組」の推進を、2005年度重点施策の一つに掲げる(8月)

*国レベルで初めて、「多文化共生」を重要な政策課題として認知するもので、国の外国人受け入れ政策の転機をもたらす可能性がある。

4) 外国人集住都市会議が「多文化共生の地域社会づくり」「多文化共生をめざした教育体制づくり」などのテーマを掲げ、豊田宣言を発表(10月)

5) 政府が2003年の合計特殊出生率が過去最低を更新し、1.29となったことを公表(6月)

6) 外務省の海外交流審議会が「変化する世界における領事改革と外国人問題への新たな取組み」を答申(10月)

7) 愛知県・岐阜県・三重県・名古屋市が「多文化共生社会づくり共同宣言」を発表(11月)

8) 日弁連が「多民族・多文化の共生する社会の構築と外国人・民族的少数者の人権基本法の制定を求める宣言」を採択(10月)

9) 政府が「規制改革・民間開放推進3か年計画」において「国境を越えた『ヒト』の円滑な移動のための条件整備」と「我が国で暮らす外国人の生活環境の整備」を掲げる(3月)

10) 新潟県中越地震が発生、外国人被災者に対する支援活動が展開される(10月)

報告:あいちフォーラム

2004年12月10日 | Weblog
2004年10月に開催されたあいち多文化共生フォーラムについてご報告したいと思います。

日  時: 2004年10月30日(土)
場  所: 愛知芸術文化センター アートスペースA
主  催: 愛知県、愛知県国際交流協会
       多文化共生に関する基本法制研究会
基調講演: 山脇啓造(明治大学教授)
     「多文化共生社会に向けて-宣言・条例・基本法-」
パネルディスカッション:
     「国および愛知県における多文化共生の推進体制について」
     パネリスト
      井上洋氏(経団連総務本部次長)
      佐藤久美氏(アベニューズ編集長)
      山本かほり氏(愛知県立大学助教授)
      木村博和氏(愛知県国際交流監)
     コーディネーター
      山脇啓造

愛知県が岐阜県、三重県、名古屋市と一緒に、多文化共生の共同宣言を策定するのにあわせて、国や地方自治体の推進体制について議論するために、このフォーラムを開催しました。

(財)愛知県国際交流協会と(財)名古屋国際センターが創立20周年を記念して開かれた「ワールドコラボフェスタ」の一環として開かれました。ただし、土曜の午前10時からという時間設定もあり、当日は、5、60人の参加にとどまりました。参加者の三分の一は、前日に豊田市で開かれた外国人集住都市会議にも参加していたようで、自治体関係者が多かったようです。

私の講演では、国と自治体の最近の動向を紹介し、基本方針の策定と担当部門の設置が国レベルでも自治体レベルでも問われていることを論じました。また、パネルディスカッションでは、井上氏が経団連の提言をもとに国の推進体制について問題提起し、木村氏が県の施策について報告をした後、佐藤氏はNPOから見た行政、特に愛知県の施策の評価を行い、山本氏は、在住ブラジル人と在日コリアンの状況の比較を行いました。フロアからは、多文化共生の推進における企業の役割や災害時の多言語対応などについての質問が出ました。

フォーラムから9日後の11月8日には、3県1市の多文化共生社会づくり推進共同宣言が発表されました。

2005年は多文化共生元年?

2004年12月06日 | Weblog
私は「多文化共生社会の構想」というホームページをもっているが、ブログでも発信を試みることにする。

来年1月に出る『地域づくり』(月刊誌、地域活性化センター発行)と『NPOジャーナル』(季刊誌、関西国際交流団体協議会発行)がどちらも多文化共生の特集を組むことになり、同じようなテーマ(「多文化共生社会に向けて-国と地方自治体の施策を中心に」「多文化共生の推進に関する政府の動向」)で原稿依頼を受けた。

地域活性化センターは、地域振興の推進に寄与することを目的として、1985年に全地方公共団体と民間企業が会員となって設立された、総務省系の財団法人である。関西国際交流団体協議会は、関西の国際交流・国際協力関係の市民団体や自治体設置の国際交流協会などのネットワークづくりをめざして1984年に設立された組織で、2001年にNPO法人となっている。『NPOジャーナル』は2003年創刊のNPO界初のオピニオン誌である。

自治体とNPOという、これまで多文化共生に最も強い関心を示してきた2つのセクターを対象とする雑誌が同時に特集を組むというのは、興味深い。私は2000年頃から「多文化共生」をキーワードに講演をしたり、原稿を書いてきたが、この1年の間に「多文化共生」への社会の関心が一気に高まってきたように感じる。2005年は多文化共生元年となるだろうか?

実際には、2005年は戦後60周年でもあり、中国や韓国などとの関係が緊張する可能性もある。一方で、マレーシアで初めての東アジア首脳会議の開催も予定されている。こうした東アジアにおける国際関係の動向が、国内の外国人に対するイメージ、ひいては多文化共生の進展にも影響を及ぼすだろう。