浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

帝王マーク・リッチ

2012-07-26 15:24:35 | 資料

マーク・リッチMarc Rich 1934年12月18日生まれ )はベルギー出身の企業家、相場師。スイスの商品取引大手であるグレンコア社の創設者として知られる。

ベルギーのアントウェルペンにてユダヤ人の家庭に生まれる。出生名は Marc David Reich。1941年にナチを避けて一家で渡米。高校卒業後、ニューヨーク大学へ進むが一学期で退学。すぐにディーラーとして働き始め、貴金属取引の分野で頭角を現す。

1970年代のオイルショックの際には巧妙な原油取引により巨億の富を手にした。しかし、パートナーのピンカス・グリーン(Pincus Green)と共謀して脱税やイランとの不正な石油取引を行った疑いで、1983年にアメリカの検察当局から起訴される。当時、リッチはスイスにいたが、FBIの「10大重要指名手配犯リスト」に名前が載ったためにアメリカに帰ることは事実上不可能になった。1984年には欠席裁判で有罪判決を受けた。

2001年、任期終了数時間前のクリントン大統領から恩赦が与えられた。しかし、これに先立ってリッチの元妻が民主党に総額100万ドル以上の献金を行っていたため、一部のメディアで「金で恩赦を買ったのではないか」と物議をかもした。クリントンの決定の裏側には、イスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた名誉毀損防止同盟からの圧力も存在したと伝えられている。

1979年、イランの米国大使館がゲリラに占拠され、米国人大使館職員が人質になる事件が発生した。

長年、イラン産原油の取引に従事してきた、国際麻薬マフィア=マーク・リッチは、イランのカリスマ指導者アヤトラ・ホメイニの自宅に電話をし、即座にイランに飛び、ホメイニと直接会議を開き、裏取引での人質救出に乗り出した。

マーク・リッチには電話一本でイランの最高指導者を呼び出す事が出来た。これは米国政府の誰もが出来ない事であった。

イランを訪問したリッチには、世界最強と呼ばれるイスラエルの諜報機関モサドの工作員ズブィ・ラフィアと、アブネル・アズレイがボディガードとして随行した。世界最強の諜報機関モサドなど、リッチの私的な警備員=「弾よけ」に過ぎなかった。

この出来事が原因となり、イランを敵視し経済封鎖を行ってきた米国にとって、リッチがイラン石油の密輸商人であり、イランを影から支えている「黒幕」である事が明らかとなった。

この事件以降、FBIは、マーク・リッチの身辺調査に乗り出し始めた。

彼の邸宅(通称"La villa rose")はルツェルン湖の湖畔にあり、その周辺では厳重にプライバシーが守られている。スイスのほか、スペインにもスキーリゾートを所有している。また、絵画収集を趣味としており、モネ、ルノワール、ピカソの作品に囲まれて生活している。

メディアに素顔をあらわすことは滅多にないが、一度だけ米国のテレビクルーに捕まってインタビューに応じたことがある。また、リッチの半生を描いたノンフィクションとして『メタル・トレーダー 地球を売買する男たち』(新潮文庫)がある。

 マークリッチは彼一代で世界を動かす人物となった。
しかし世界は数百年以上前から、一部の人間に操られてきた。
マークリッチは大きな存在だが、世界支配者たちの歴史の中の一部である。

地球上で産出されるあらゆる金属を売買し、数千万ドル単位の金を一度に動かすメタル・トレーダー。
大手商社の見習いトレーダーとして出発したマーク・リッチはたちまち頭角をあらわし、腕と度胸でのしあがって、年商百億ドルに達するリッチ帝国を築き上げた…。

 1934年、ベルギーのアントワープに生まれたリッチは、貴金属への投機によって40歳足らずの若年で莫大な財産を築く。その財産を手にリッチは70年代初頭、ソ連(ロシア)に乗り込む。リッチはウクライナ、カザフスタンで大々的に麻薬の生産を開始し、74年には麻薬販売企業マーク・リッチ株式会社をソ連国内に創立する。この企業は、創立当初からソ連全域に麻薬販売ネットワークを持つ巨大企業であった。

黄麻布の取引業者だった父親のもとで働いた。1966年に作詞家で富裕なアイゼンバーグ家の相続者デニーズ・アイゼンバーグ氏と結婚し、3人の子供をもうけたが、1996年に離婚した。

商品取引のトレーダーとして独立する前に、「フィリップ・ブラザーズ ( Philipp Brothers ) 」で取引のコツを学んだ。
イスラエルとスペインの国籍を所有している。「フォーブス誌 ( Forbes ) 」によると2006年の個人資産所有額は約15億ドル ( 約1335億円 ) 。

何年間もの間、マーク・リッチは、イスラエルにある秘密のパイプラインにイラン産の石油を必要量極秘に供給していた。
リッチは、イスラエルの情報部モサドの活動を財政面で支え、自身もイランとイスラエルの間の非公式仲介者として活動した。
アメリカ政府は、リッチをスイスから「拉致」するための要員2人を送り込んだこともあった。
リッチは、イラン、シリア、ロシアの主要人物の機密情報をアメリカ政府に定期的に提供していた。

前妻デニーズ・リッチとの離婚は難航し、大きく報道され、総額3億6500万ドル ( 約324億2000万円 ) の慰謝料を支払った。

リッチは国際的な制裁を破り、人種差別政策を実施していた南アフリカへ総額20億ドル ( 約1780億円 ) 相当の石油を販売した。

マーク・リッチは、ジョージ・ソロスの資金源であった投資家であり、国際的な鉱物業者であり、武器・麻薬商人であり、ユダヤ・マフィア“パープル・ギャング”の支配者。

ロシアン・マフィアは凶暴さで知られる。広大なロシア、ウクライナ、カザフスタン、東ヨーロッパの麻薬、石油、天然ガス、鉄鉱石、チタン、ダイヤモンド等、豊富な資源を暴力を使い、次々に支配下に置いたロシアン・マフィアは、邪魔をするソ連共産党幹部、ロシア警察幹部、KGB幹部を、次々と残虐な殺し方で殺害して行った。
すさまじい虐殺の連続で、ロシアン・マフィアはロシア警察とKGBを黙らせ、ソ連共産党独裁を崩壊させた。

ロシア統一を果たしたマフィアのボス、マーク・リッチはジャクソン・バーニック法により海外に進出するチャンスを得た。

マーク・リッチがロシア全土に張り巡らせた麻薬密売網の集金の拠点になったのが、サンクトペテルグブルク市であった。

大量の麻薬と現金を持ったリッチの部下は、ここからイスラエルに向けて飛び立った。麻薬マフィア=リッチの部下として、またサンクトペテルグブルク市の副市長として、さらにKGB幹部として、リッチの部下達のロシア出入国許可証にサインしていたのが、現在のロシア大統領プーチンである。

大量の現金と麻薬を持とうと、どんな犯罪歴があり裁判所から逮捕状が出ていようと、リッチの部下であればフリーの出入国許可証を発行するプーチンは、リッチにとって最大の「功労者」であった。
その功労賞として、リッチはロシア大統領のイスをプーチンに「褒美」として与えた。

プーチンが自分の「あやつり人形」として、後継者に任命したメドベージェフは、ロシア国営ガス会社=ガスブロム経営陣出身であり、プーチン支配権力の実態が、ロシアン・エネルギー・マフィアである事が分かる。 



プーチン=メドベージェフ政権の、唯一・最大の資金源である原油・天然ガスの利権。
その、ロシア最大の石油会社ルークオイルの事実上の経営権は、マーク・リッチのコノコ・フィリップ・オイルが握っている。 

米国に「敵視」されるイランの石油を闇取引する、国際麻薬マフィアのマーク・リッチ。

原油は、「どの油田で何月に生産された原油何万バレル」という形で、事前に売買契約が行われてから生産が行われるのが通常であり、生産された後に買い手が不明で、改めて買い手を探し出さなければならない、いわゆるスポット取引等、元々存在しなかった。

この買い手が不明な「身元の怪しい原油」取引は、長らく米国から敵視され経済制裁を受けて来たイラン、イラク等の原油の闇取引がその実態であった。

原油のスポット市場とは、実は公然とした「経済制裁逃れ」のための闇取引市場であった。この原油スポット市場を創立したマーク・リッチは、イラン原油の闇取引市場を創立した事になる。

ホワイトハウスを事実上運営していた、チェイニー副大統領が自分に逆らわないように、リッチは自分の顧問弁護士ルイス・リビーをチェイニーの主席補佐官とし、24時間体制でチェイニーを監視してきた。
「力関係」の上下は明らかであり、リッチが原油スポット市場を創立し、米国の経済制裁を事実上無意味化しても、米国政府の誰もリッチを非難はしなかった。もちろん、スポット市場でイラン原油が取引きされている事も、誰も問題化しなかった。ホワイトハウスの住人の誰もが自分の命は惜しかった。

米国とイランの政治的対立が激化し、さらに国際武器密輸商人でもあるマーク・リッチの「武器販売促進」としてイランと米国が戦争を始めたとしても、そうした事とは無関係に、米国とイランの経済的友好関係はリッチ等を通じて継続する。


ダボス会議は毎年、新年になると世界中の政府首脳、財界トップが集まる世界経済フォーラム。
これは、世界の麻薬王マーク・リッチが「自分の地元」であるスイス のダボスに、世界各国の首脳・財務大臣を呼び付け、「今年の経済運営 についての命令を行うために」始められたために、ダボス会議の別称が付けられている。

この会議の主催者は、麻薬マフィア であると同時に、国際核兵器密輸マフィアである、マーク・リッチである。
世界中の政府首脳、財界トップは、この世界最高の「権力者」である核兵器の密売人に「新年のアイサツ」に行き、「ごきげんを、うかがう」。

2010年のダボス会議
当時の仙谷行政刷新相は世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、世界経済に関する公開討論に参加し、2008年9月のリーマン・ショックを教訓として世界は、「(短期的に)売り抜く資本主義から育てる資本主義に変わらなければならない」と主張した。

しかし、本当のダボス会議とは、この総会の陰で開かれる「秘密会議」のことである。

イスラエル=米国VSレバノン=イラン=ロシアという代換戦争の様相になって来ている。
ロシアのプーチンを支配しているロシアン・マフィアのマーク・リッチは武器密売人であり、ブッシュ政権を支配していたチェイニー副大統領のボスもマーク・リッチであり、米国=イスラエル側も、ロシア=イラン側も、両方リッチの武器販売促進のために戦争を起こそうとしている。 



ソ連が崩壊した時、その政治・経済の実権を握ったのは、ロシアン・マフィアであった。
ソ連が健在であった当時から、麻薬、石油密輸等の地下経済を握ってきたマフィアが国家崩壊後の実権を握った。

どのようにしてマフィアが国家崩壊後の実権を握ったのか?

1983年5月、アンドロポフ時代のソ連で、まだ無名であったゴルバチョフは政治局員としてカナダを訪問する。
ゴルバチョフは、「たまたま」入ったカナダのレストランで、カナダに亡命していたウクライナ独立運動の闘士アレクサンドル・ヤコブレフに出会い、親友となる。この「偶然の出会い」は、ウクライナ・マフィアが「周到に準備」したものであった。ヤコブレフは、後にゴルバチョフ大統領の主席顧問として、グラスノスチ、ペレストロイカの「発案者」となる。



アレクサンドル・ヤコブレフは、ソビエト連邦およびロシアの政治家、歴史学者。ゴルバチョフ政権時代のナンバー2として、ペレストロイカを推進した。重厚な風貌と歴史に対する真摯な姿勢で知られる。ボリス・エリツィンは、著書『告白』で、ヤコブレフについて「きわめて賢明で、健全で、誰よりも先見の明がある政治家」と評価している。

ヤコブレフの背後に居たエドモントンのウクライナ独立運動、ウクライナ・マフィアを資金面で援助していたのは、ローマ・カトリック教会のフランシス・スペルマン枢機卿、メリー・テルヴァル枢機卿であった。
1920年代米国の禁酒法時代に、スペルマン枢機卿は、ミネラル・ウォーターで有名なボルビックを販売するカナダのマフィア、ブランフマン一族と共にウィスキーを密売していた。スペルマンはカナディアン・マフィアのメンバーである。


ミハイル・ゴルバチョフがロシア社会民主党の初代党首。
ロシア社会民主党現党首はワシリー・シェスタコフ
ミハイル・ゴルバチョフ=ワシリー・シェスタコフ

マーク・リッチの部下がロシア社会民主党現党首でロシア柔道連盟会長のシェスタコフ。



プーチンは、実は長い間、対日工作を行うスパイであり、東京に住んでいた。
だからプーチンは日本語がペラペラであり、寿司が大好物である。
東京に、スパイとして潜伏していた当時のプーチンは柔道を習い、山下に近づいた。そして親友となり酒飲み友達となった。

山下とプーチンとシェスタコフは柔道仲間、酒飲み仲間の親友である。

プーチンは、「柔道のやり方について」という著書を書き出版している。この書物の共同の著者、ロシア社会民主党・党首シェスタコフは、プーチンの柔道仲間、スポーツ仲間である。スポーツ仲間という事は、麻薬密売のマフィア仲間という事である。

シェスタコフはプーチンの側近として、ロシア全土の漁業の輸出、原油天然ガスの輸出許可権を持っている。

シェスタコフの命令下にある彼等スポーツマンがロシア政府要人のボディガードであり、ロシア版シークレット・サービスである。
シークレット・サービスが警戒を意図的に緩めた所で、仲間のロシアン・マフィアが反抗的な政治家を殺害する。
これがシェスタコフに逆らう政治家の末路であり、原油を握り経済を把握した者シェスタコフが、また政治家達をも支配下に置く。
もし、このシークレット・サービスを断れば、それはプーチン=シェスタコフに反旗を掲げた事を意味し、殺害のターゲットになる。

 リッチは麻薬をソ連国内だけでなく米国へも輸出した。米国内でリッチの麻薬販売を請負ったのは、マフィア組織パープル・ギャングと呼ばれる組織のボス、 マックス・フィシャーであった。
リッチはフィシャーに対し、「敵国」であるソ連から米国へ自由に出入りし、ソ連・ロシア製の麻薬、武器を販売出来るルートを開拓するよう強く要請し続けた。

リッチの強い要請を受けたフィシャーは、自分の代理人として米国議会で活動するリチャード・パールを動かす。パールは後に子ブッシュの国防政策会議議長として、イラク戦争を開始する人物であり、当時は核兵器メーカーのウェスティングハウス社の代理人として、イスラエルに対しミサイルの売り込みを行っていた。後に「ミスター・ミサイル」として、パトリオット・迎撃ミサイルの原型を作り出すパールの政治家としての活動費は、全額フィシャーが出していた。

フィシャーの命令に従い、頭の良いパールはソ連国内のユダヤ人をイスラエルに脱出させる法律を作り、しかも「ユダヤ人かどうかの審査を極めて緩くする」事で、事実上誰でも自由にソ連・ロシア製の武器と麻薬をイスラエルに持ち出せるように考えた。そしてイスラエルと米国との武器密輸ルートは、イスラエル建国時にイスラエルに大量に米国が武器を供給していた事から既に確立されていた。

リッチは自分の顧問弁護士ルイス・リビーをチェイニーの顧問弁護士にし、さらにチェイニー副大統領の主席補佐官にした。チェイニー副大統領は24時間、リッチによって監視される事になった。チェイニー副大統領の仕事の「裏方」を支え、仕事の細部を全て「仕切る」主席補佐官リビーが、リッチとパープル・ギャングからの「出向」なのである。

ブッシュ政権の内情は全てリッチの耳に入り、私的にもチェイニーは、顧問弁護士をリッチとさらにパープル・ギャングと「共有」する事になった。

私的にも公的にもチェイニーを支配し、ブッシュ政権を支配する「実力者」は武器密輸商リッチとなった。

もしもリッチが新聞社に電話をかけ、北朝鮮の核兵器開発を支援するアイゼンベルグ社の大株主がチェイニーであると言えば、即座にチェイニーは失脚し、政界から追放され、場合によっては刑務所に入る結果になる。
米国の「支配者」が誰かを、これは明確に示している。・・・

1969年12月、マンハッタン5番街にあるカハネの事務所に、サミュエル・パープルという人物が訪ねて来た。2007年現在のブッシュ政権を、事実上運営するチェイニー副大統領を「指導」する事になる、パープル・ギャングのボスであった。

後にパトリオット迎撃ミサイルの原型を作る「ミスター・ミサイル」、リチャード・パールは、当時ソ連(ロシア)国内のユダヤ人をイスラエルに亡命させる、「ジャクソン・バーニック修正法」を国会で作ろうとしていた。

 パールの活動資金を出していた、武器密輸商マーク・リッチの実働部隊として、麻薬と武器の密輸を担っていたのがパープルであった。

カハネを訪問したパープルは、「ソ連のユダヤ人をイスラエルに亡命させよう」という大衆運動、デモの組織や街宣車による演説の「仕事」を、カハネに依頼に来たのだった。
これはカハネにとって、黒人を襲撃する事とは別の「2つ目の大きな仕事」となる。

・・・当時、米国マフィアの中でも最強の「殺人株式会社」という、金銭で殺人を請負う組織が全米のマフィアを「統一」し終わり、「NCS全米犯罪シンジケート」という組織が結成されていた。
このシンジケートは、銃と麻薬の密売という「裏の仕事」から、ニューヨークのスターリング・ナショナル銀行の経営のような「表の世界の仕事」に乗り出していた。
 さらにこの「殺人株式会社」は、全米を統一し終わり海外に活動を拡大させようとしていた。米国にとって未開拓の市場であるソ連(ロシア)を、麻薬、兵器の密輸という形で新たに開拓する目的がマフィアにはあった。

 ソ連には「赤い貴族」と呼ばれる富裕層のユダヤ人が多数居た。官僚や政治家である「赤い貴族」は、武器の横流し、麻薬売買で不正資金を蓄えていた。この法律によって、その不正資金をイスラエルに持ち出させ、イスラエルに蓄積させる目的がマフィアにはあった。

 そして、米国でこの「殺人株式会社」が長年蓄積してきた富を無税のイスラエルに持ち出し、イスラエルにおいて「赤い貴族」の資金と、米国マフィアの資金 を「合併」させる目的があった。
税金を逃れたい世界中の資産家の資金と、出所の怪しい不正資金をイスラエルに集め、イスラエルを世界の金融コントロール・センターにする目的がこの法律にはあった。

・・・アイゼンベルグの全活動を無税にするという、「アイゼンベルグ法」という法律がイスラエルにはあった。アイゼンベルグにだけ適用される、アイゼンベルグのためだけの法律であった。世界中の富裕層がイスラエルの「無税」を利用し、イスラエルに資金を持ち込むという事は、このアイゼンベルグの金融機関あるいはビジネスに資金を投資する事を、事実上意味した。

このアイゼンベルグ社は、「殺人株式会社」の軍事部門として創立されていた。こうして世界中の富裕層の富と不正資金が、「殺人株式会社」の手中に収まる事になった。・・・ 
・・・米国を「指揮」するイスラエル。そのイスラエルを「指揮」する「殺人株式会社」。この「殺人株式会社」が世界を支配する最も優秀な企業である。

  ショール・アイゼンベルグ

アイゼンベルグの経営者、ショール・アイゼンベルグは、1940年に八幡製鉄(現在の新日鉄)の会長であった永野重雄の娘と結婚した。現在のアイゼンベルグ社の当主の母親である。

 建国間もないイスラエルでは、建設、金融、造船、自動車、機械、軍事、航空、食糧、化学等のあらゆる産業は、アイゼンベルグ社が創立し、事業が軌道に乗ると民間に払い下げるという形で産業復興が行われていた。その企業体系は当時の八幡製鉄がモデルとなっている。


 アイゼンベルグに集まった、世界中の富裕層の富と不正資金は「投資」され、利益を上げ、当然高い配当金を支払わなくてはならない。最も高い配当金を生み出すのは、他人の財産を「盗む」略奪ビジネスである。米国の西部開拓、鉄道事業がインディオの土地の略奪による、高配当の投資ビジネスであったように、
アラブ人の土地を略奪し「無料」で入手し、再開発し、高額な住宅、商業地として売り抜ける。
アイゼンベルグ社のこの金融ビジネスが、ガザ西岸へのイスラエルの軍事侵攻、レバノンへの軍事侵攻、土地略奪となって現れる。

パレスチナ問題とは、「殺人株式会社」の投資ビジネス問題であった。

  暗殺されたケネディ大統領の財産は、アンドレ・マイヤーという男が自由に使っている。

 マイヤーは、イスラエル最大の軍事産業アイゼンベルグ社のメンバーであり、創立者の息子である。アイゼンベルグは元々、全米を統一した米国最強のマフィア「殺人株式会社」であり、マイヤーはその顧問弁護士である。「金をもらい、殺人を請け負う」事を「仕事」としている「殺人株式会社」のメンバーが、殺害されたケネディの財産を横領し、使用しながら、「俺は犯人ではない」と言っても誰も信用はしない。「殺人」だけが日常業務の企業である。

現在ケネディ家は、アンドレ・マイヤーのサインがないかぎり、ボールペン1本とて買えない状態にある。

 パレスチナ戦争は金が儲かる。兵器さえ用意すれば、パレスチナ人の土地、家屋、畑、財産の全てを軍事力で奪い取る事が出来る。30万円でピストルを5丁程購入し、パレスチナ人の農家に行き、農民家族全員を殺害すれば、それで5000万円程の価値のある家屋、農地、貯蓄されていたパレスチナ人の貴金属が手に入る。これがイスラエル建国以来、イスラエルがパレスチナで行って来た略奪の真相である。30万円が一夜で5000万円になる。極めて高配当の投資ビジネス、それがパレスチナ戦争である。

 このパレスチナ戦争における兵器購入=パレスチナ人の財産略奪というビジネス・・つまり「投資と利益の回収」を行って来た「戦争マシーン」企業が、イスラエルのローズ・コーポレーションである。

 ローズ社は、イスラエルのあらゆる企業の創立に資金を与えた「株式会社イスラエル銀行」とも呼ばれ、その経営者である戦争マフィア=ティボー・ローゼンバウムは、イスラエルのゴッド・ファーザーと呼ばれる。一方、ローゼンバウムは自分の気に入らない人間を即座に殺してしまうため、別名「血のローザ」と呼ばれている。

 このローズ社の行う投資ビジネス=パレスチナ戦争という、極めて高配当のビジネスには、世界中の銀行が多額の投資を行っている。「誰でも一晩で30万円が5000万円になり、3000万円が50億円になるビジネスには投資したい」。誰でもパレスチナ戦争でアラブ人を殺害するイスラエル・ビジネスには「投資したい」のだ。

 ローズ社は米国で、この高配当ビジネスに投資する投資サークルを作っている。この投資サークルに加入した者だけが、戦争という高配当ビジネスに投資出来る。

ローズ社のニューヨーク支部であるこの投資サークルは、通称「ニューヨーク億万長者クラブ」と呼ばれ、その座長がアラン・グリーンスパンである。米国中央銀行FRBの総裁の地位に長く座り、世界の金融の中枢を支配して来たグリーンスパンの「権力の源泉」は、ローズ社にあった。

世界中の銀行が、何が何でも投資したいと望む、ローズ社のパレスチナ戦争ビジネスをニューヨークで仕切り、窓口を支配していたからこそ、グリーンスパンは世界中の銀行に「睨み」を効かせ、命令に従わせる権力を持っていた。世界の金融王グリーンスパンは、イスラエルのゴッドファーザー、ローゼンバウムの部下であった。

  アラン・グリーンスパン

 グリーンスパンの創立した世界最強の企業乗っ取り屋集団KKRコールバーク・クロービス・ロバーツは、ローズ社の企業乗っ取り部門である。

 このKKRのお抱え弁護士組織、スカデン・アーブス法律事務所には、ケネディ暗殺犯アンドレ・マイヤー、チェイニー副大統領の主席補佐官で、世界の麻薬売買を仕切るロシア・マフィア=マーク・リッチの顧問弁護士ルイス・リビー、イスラエルのアイゼンベルグ社の顧問弁護士ケネス・ビアルキンが顔を並べている。ビアルキンは、ライブドア堀江が逮捕されるまでは、その脱税指南役の顧問弁護士であった。

 このローズ社のニューヨーク支部、事実上の世界の金融中枢の重要なメンバーが、ノーザントラスト銀行のロハティンであり、ロハティンはローズ社から資金提供を受け「事業活動」を行っていた。ロハティンがその事業活動の利益を「上納」する相手が誰であるかを、これは示している。繰り返しになるが、ロハティンはスエズ金融=東インド会社の経営者である。東インド会社が、かつて行った数億人の虐殺と、その利益が長い歴史を経てどこに蓄積されて来たかを、これは示している。

 クリントンの国防長官ペリーがCBS・TVを創立したのも、戦争マフィア・ローズ社が資金源であった。

 ペリーは見返りに、自分の経営する銀行ディロン社の経営をロハティンとローズ社の指示通りに行い、イスラエルのローズ社の系列銀行にした。マフィアから資金提供を受けた以上、その企業経営はマフィアの命令に従わなくてはならない。マフィアは「タダで資金提供した」訳ではない。相手は殺人株式会社である。

 この「ローズ社の」ディロン銀行が、日本に米軍を常駐させ、日本に自衛隊を作る=日米安保条約を起草し、自衛隊への武器納入窓口となった。また、ディロンが中国に核兵器ミサイル技術を提供し、それが北朝鮮に流れた事も既報の通りである。そして北朝鮮の核兵器技術の精錬を行っているのがアイゼンベルグ社である。ディロンは戦争ビジネス企業ローズ社の代理人として、日本、中国に兵器を売り、その販売利益をローズ社に上納し、「恩返し」した事になる。

 このディロン社の子会社が軍事産業専門投資会社カーライルであり、その経営者がブッシュ大統領親子である。戦争マフィア、ローズ社の最下部のメンバー=「最下部の暴力団組員」が、ブッシュである事が分かる。そしてクリントンとブッシュが同じローズ社の末端・組員である事が分かる。

現在の世界経済を牛耳るマフィア、マークリッチ・ローズ社・アイゼンベルグ社はこうしてイスラエルで一体化し、アメリカを自由に動かし世界を顧客として君臨している。

アメリカ民主党政権=クリントン大統領、アル・ゴア副大統領がマーク・リッチの「命令」に従い動いてきた背景には、アメリカ民主党の最大政治資金源と言われるDLC・民主党指導者会議の存在がある。

DLCの政治資金集めにおいて最も長年、多大な貢献を行って来たのがマーク・リッチであり、その麻薬・武器密売の収益であった。

リッチの「口添い」によって、米軍へのトップクラスの銃弾の納入メーカーであるオリン社、銃弾と銃のメーカーとして世界的に名高いウィンチェスター社も、民主党への巨額献金を継続してきた。

米軍が戦争を開始すれば、「当然」、銃弾メーカーへの発注も急増する。銃弾メーカーは好況に活気付く。

「リベラル=穏健派」と見なされてきた民主党。第二次世界大戦への本格的参入を行ったF・D・ルーズベルト大統領は民主党政権であり、ベトナム戦争への泥沼的介入を始めたジョンソン大統領も民主党政権であった。クリントン民主党政権はソマリアへの軍事介入、スーダンへのミサイル攻撃、ユーゴスラビアへの空爆と好戦性を発揮し続けた。オバマ民主党政権は長らくアフガニスタン戦争を継続してきた。

戦争が始まれば銃弾メーカーは好景気に沸き、戦争を開始してくれた民主党・DLCへの政治献金も急増する。

オリン社、ウィンチェスター社が某国の政府軍に銃弾を供給すれば、反政府軍にはマーク・リッチが銃器・銃弾を密売する。

死体の数だけ利益が増加し、アメリカ民主党への政治資金が増加する。

これが「世界の支配者=アメリカ」政界の実態であり、アメリカの、どの政権も戦争を止める事が出来ない「アメリカ=戦争国家」の実情である。

その要に座るマーク・リッチが、クリントン政権に「命令」を下し、毎年、ダボス会議において世界中の首脳達が「土下座外交」のためにマーク・リッチを訪問する。


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