帷坂

場所・人物・生き物への考察

74. 岡山見聞録 岡山県民が知らない岡山県産品 そしてジーンズ王国の由来 J

2016年07月25日 | Weblog
岡山は生産量では山梨などには及ばないが、フルーツ王国である。そして、そのフルーツ王国岡山は意外にも丹波黒大豆が全国2位の生産量を誇り、岡山の名産品であり、県内有数の産地である吉備中央町では、高品質の黒大豆が生産されている。

さらには小豆と言うと、赤い小豆しかないと思っている人もいるかもしれないが岡山では「備中白小豆」と呼ばれる超高級ブランド小豆がある。岡山で売っているのを見たこともほとんどない。京都の錦市場でブランド品として売られてる。京都の高級和菓子で使われているのだろう。



茶器などの伝統工芸品を入れる桐箱の装飾結び紐として「真田紐」は使用される。岡山県でも児島で、真田紐が寛政年間に製造されはじめた。児島の「由加山」と讃岐国の「金刀比羅宮」の両方に参拝する「両参り」という風習が流行しており、由加の参道には「真田紐」を扱う商店があった。

香川・徳島方面は和三盆に代表される砂糖の名産地であり、岡山は隠れた名産、白小豆などの生産地であるが、讃岐の砂糖と岡山の小豆が合流する。人の移動は文化と産業を産む。

高瀬舟が伊勢・金毘羅・西大寺会陽に参拝する人や様々な物資を運んでいた。やがて、真田紐の技術は児島を日本一の制服、ジーンズの生産地へと変えていく。




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71. 鳥取見聞録 砂の美術館 E

2016年07月11日 | Weblog
The sand sculptures in this art museum are really great and the details are amazing. The themes change every year. I will recommend visiting this if you are visiting the sand dunes.

鳥取市の鳥取砂丘は有名で、砂丘も海も美しく周辺の素晴らしい景色が広がっている。さらに、2000年になって鳥取砂丘のそばには「砂の美術館」ができた。砂像で世界漫遊できる。鳴き砂の名産地の島根県のサンドミュージアムとはまったく趣旨が異なっている、アートの世界が広がっている。シルクドソレイユはただのサーカスではなく「コルテム」「キダム」「トーテム」などシリーズがあり、物語がありテーマがある。この砂の美術館もシリーズがあり、総監督、指揮者がいるようだ。シルクドソレイユが動の芸術ならば、砂の美術館が静の芸術である。

今回は南米の旅編である。しかも夜の8時まで開館している。世界中に砂像製作家がいるらしく、その道の達人が制作している。チリの「サンティアゴ大聖堂」「インカ道」とくにコルコバードの丘の「キリスト像」の配置は見事であった。そして上の階から見るマチュピチュにはため息が出るほどに素晴らしかった。次回は北米の旅である。
























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69. 学校見聞録 異形の私立スパルタ校 岡山白陵高校 J

2016年07月08日 | 学校記録

いわゆるスパルタ私学がある。白陵、岡山白陵、西大和学園など、灘校は逆に校則がない学校とも言われ、自由な校風でスパルタではない。灘を落ちた生徒を、大阪の進学塾「伸学社」塾頭入江伸氏が白陵に送り、9名東大に合格者を出した。この時から白陵が超進学校へ変わるきっかけになった。京都市立堀川高校の時にも考えてみたが、突然の進学校が出現するには、教員の努力だけではないきっかけがある。

現在は岡山白陵も男女共学である。生徒寮には教員3名が常駐し、英数の教員が入るという。寮監長は体育の先生で、天理大学卒の柔道の先生であり、伝統的に柔道に力を入れている。加納治五郎ゆかりの開成高校と同じく、質実剛健である。寮生徒は男子100名、女子40名ほどで、入学当初の数日間は規律、礼法に重点をおいている。教員は体育と数学が6カ年持ち上がりのようである。灘はほぼ全教科6ヶ年持ち上がりである。

ちなみに、ラサール石井氏は大阪の出身で、お兄さんは住吉でそば屋さんをやっている。彼も「入江塾」で受験勉強をして、ラ・サール高等学校に入学し鹿児島へ行った。池端真之介(ピーター)がラ・サール中学校に入学したが、寮生活に耐えられずに、中学2年で家出をしてしまったが、彼の才能は大きく開花した。岡山白陵では中学時代に楽天社長の三木谷浩史もスパルタに耐えられずに、脱落を余儀なくされている。確かに当時の岡山白陵をはじめとするスパルタ校は激しかった。体罰は日常的だった。また、生徒達も親もそれを理不尽だと思ったことすらなかった。今の日本にスパルタ教育は確かに馴染まない?しかし、スパルタ教育の中国に完全に抜かれてしまった。

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67. 鳥取見聞録 鳥取日赤・樗谿公園 E

2016年07月05日 | Weblog
I noticed the clump of blue, bulging veins developing in my both legs. They were varicose veins. And I decided to go under the knife.
bulge 膨れ上がる、膨れる

下肢静脈瘤 鳥取日赤病院で日帰り手術を受けることにした。逆流を止めるために悪くなった静脈の本幹を閉鎖する。特殊な局所麻酔をする。麻酔注射された後も、どこかしびれるということもなく、麻酔をされているという実感はない、脚を触られて、管を挿入されているのも全て感触があった。ただ、管を挿入し抜いていきながらレーザー照射されているときに、麻酔が弱いと「熱い!」って感じることが後半には(管を抜く直前くらいには)あった。以前は静脈摘出したり結索していたが、現在は焼却閉鎖が日帰り手術でできる。手術室で仰向けになったり、うつぶせになったりで、総勢6名ほどに囲まれ、2時間くらいはかかった。主要な深部静脈は残るので問題はないらしい。3割負担で4万6千円、ストッキング代金は6千円、翌日の硬化療法が7千円かかった。(執刀医:谷口巌先生)





この病気は術後も30分はしっかりとあるくようにといわれていたので、近くの樗谿公園に行ってみた。





















園内は自然が深い。熊やイノシシに注意の看板があちこちにある。「鳥取東照宮」がある。もちろんお祭りするのは「東照大権現」だろうが、鳥取藩初代藩主池田光仲は、鳥取城下への東照宮勧進を幕府に願い出た。光仲自身は家康の曾孫であり、曾祖父・家康を追慕しての東照宮勧進でもあったという。

翌日も鳥取に日赤にいったが、静脈の硬化注射を三本打った。
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