いわゆるスパルタ私学がある。白陵、岡山白陵、西大和学園など、灘校は逆に校則がない学校とも言われ、自由な校風でスパルタではない。灘を落ちた生徒を、大阪の進学塾「伸学社」塾頭入江伸氏が白陵に送り、9名東大に合格者を出した。この時から白陵が超進学校へ変わるきっかけになった。京都市立堀川高校の時にも考えてみたが、突然の進学校が出現するには、教員の努力だけではないきっかけがある。
白陵は生徒寮には教員3名が常駐し、英数の教員が入るという。寮監長は体育の先生で、天理大学卒の柔道の先生であり、伝統的に柔道に力を入れている。加納治五郎ゆかりの開成高校と同じく、質実剛健である。寮生徒は男子100名、女子40名ほどで、入学当初の数日間は規律、礼法に重点をおいている。教員は体育と数学が6カ年持ち上がりのようである。灘はほぼ全教科6ヶ年持ち上がりである。
ちなみに、ラサール石井氏は大阪の出身で、お兄さんは住吉でそば屋さんをやっている。彼も「入江塾」で受験勉強をして、ラ・サール高等学校に入学し鹿児島へ行った。