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この年になると、53だったか54 だったかも |
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忘れてしまうくらい、誕生日には関心が無いが |
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以前、今年で52歳かぁ・・・・・と本気で思っていて |
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じつは51歳だった時は、素直に嬉しかった・・・・(笑) |
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ところで、誕生日に関心はないが、40歳を過ぎてから |
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誕生日が近付くと、胸の奥に何か引っかかるものを感じるようになった。 |
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それは遠い昔、子供の頃の記憶に起因しているのだが |
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その記憶の中身すら、事実かどうかが今となっては定かではない。 |
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その記憶とはこんな内容である・・・・・
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小学生の私は、自分の境遇を恨めしく思っていた。 |
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粗暴で母親や自分に手を挙げる父親・・・・ |
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文句を言えず耐えるだけの母親・・・・ |
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そして、母親が着物を質屋に入れて食費を工面するような日々・・・・ |
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ずっとあと・・・・大人になってから思えば |
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父親が粗暴に見えたのも、色んなものにイラついて家の中で |
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それを発散していたのも、母親がそれを我慢していた事も |
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すべて背景が理解でき、納得できる範疇の事なのだが |
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小学生の自分には、到底 理解できるはずもなく |
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ただただ、わが境遇を呪っていたような気がする・・・・
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特に、経済的な問題はけっこう切実で |
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毎日の食事に困るという事はなかったものの |
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考えてみれば、それは近所のよろずや(個人経営のスーパーのようなもの)が |
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月締めの「つけ」で肉や魚や野菜などの食材を提供してくれていたからで |
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給料日後に、その「つけ」を払うと、たちまち母親の財布の中は |
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空っぽだったんだろうと思う。 |
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住んでいた「ボロ屋」は一応、父親の努める建設会社の社宅とかで |
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家賃が免除だった為、なんとか月々の生活が成り立っていた。 |
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父親の給料がいくらで、食費にいくら使い、借金返済がいくらあり |
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月賦(今でいうローン)で買った、テレビや冷蔵庫の支払いがいくらある・・・・ |
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なんて事情も、小学生の自分にはサッパリわからず |
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友人にボーリングに誘われて、母親にそのお金をねだった時など |
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「うちにはそんな余裕はないの、わかってるやろ!」と怒鳴られ |
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友人たちとの約束も果たせず、押し入れにこもって一人泣きじゃくりながら |
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我が家にはお金がないんや・・・・・と自分自身に言い聞かせていた。 |
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そんなシチュエーションの中で、それは不意に現れた!
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「願いかなえたろか・・・・・?」 えっ? |
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「貧乏嫌なんやろ?ボーリング行きたいんやろ?願いかなえたろか?」 |
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・・・・・・・・・・ |
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「その代わり お前の寿命をわけてもらうで・・・・」 |
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それが、どんな姿をしていて どこで どんな風に話しかけられてるのかが |
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ハッキリとしない・・・・・今となっては覚えてないのはもちろんだが |
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そもそも、遭遇した時点で、実態があるものかどうかだったのかさえ怪しい・・・・ |
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それでも、小学生の僕にとっては願ったり叶ったりの提案だったわけで |
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「ホンマにかなえてくれるんやったら・・・・寿命あげるで」と即答していた・・・・と思う。 |
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「何歳まで生きたい?」 |
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10歳そこそこの子供が、そんな質問においそれと返答できるものではない。 |
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それを見透かしてるように、それはこう言った。 |
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「50そこそこでええやろ?」 |
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当時、10歳になるまでの10年間・・・・本当に長く生きてきたように感じていた僕はほくそ笑んだ! |
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それは「ジャネーの法則」により、残りの人生を多く残している者が感じる時間の長さと |
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有る程度限定されている者(いわゆるオトナ)が感じる時間の長さは反比例している・・・と |
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今となっては分かっている事だけれど、小学生の自分にとっては |
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この退屈で苦痛まみれの永い永い時間の繰り返しが、あと40年も有れば充分過ぎると思ったから。 |
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「それで ええよ」 と答えるのに、考える時間など必要なかった。 |
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「よっしゃ、契約成立やな・・・・・ 50過ぎたら迎えに来るで・・・・・・」 |
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そう言い残して、それは姿を消した!・・・・・・ように思えた。 |
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その後、中学生になり我が家の経済状況が、劇的に良くなったわけではなかった。 |
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それでも、両親は子供3人をキチンと育て上げてくれ |
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私は私立高校~私立大学へと進ませてもらった。 |
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色々とやりくりで大変だったと思うし、今でも本当に感謝しているが |
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少しだけ・・・・・俺があの契約したからな・・・・・と言う思いが脳裏をよぎる事もあった。
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やがて 父親もすっかり角が取れて丸くなり、いいオヤジになっていったが |
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最後の最後にう闇金に数百万の借金を残して亡くなり、その肩代わりを残った家族に押し付けた。 |
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そういう難関も何とかクリアし、自分自身も妻や子供を持つ身になって |
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何かの拍子に、ふっと そう言えばあの契約って有効だっけ?と思いだしたりはしたが |
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いやいや・・・・まさかなぁ・・・とそれを記憶の片隅に無理やり追いやって忘れようとした・・・・・ |
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それでもさすがに、50歳の誕生日を迎えた時には真面目に考え、真剣に遺書を書くべきか!とも思った。 |
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けれども、50歳を過ぎても自身に何の変化も起きなかった・・・・・ |
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51歳の時は、のど元過ぎれば・・・・・でその事をあまり深く考えずにやり過ごした。 |
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52歳の去年は、少し考えたが急がしさにかまけてやっぱりやり過ごした・・・・ |
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そして、私はもうすぐ53歳になろうとしている。 |
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「50過ぎたらむかえにくるで」が50歳から何歳までを指すのかを考えた時 |
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54.55歳なら50半ば・・・・・と言えるだろうし、そうなると53歳がリミットか!? |
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さすがに体力の衰えを感じてきて、今年の梅雨明けからは |
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体を鍛える事に注力してきたが、それも無駄になるのだろうか・・・・ |
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でも、今なら生命保険がけっこうな金額降りて、家族は喜ぶかもなぁ・・・・ |
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いや、まてよ・・・・・そもそもそんな契約なんて存在したのだろうか? |
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押し入れの中で悔しさと悲しさで泣きつかれた小学生が、そのまま眠ってしまい |
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悪い夢を見ただけなのではなかったか・・・・・? |
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こういうのはどうだろう? |
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小学生は想像の中で「それ」を作り出し |
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「それ」と契約はしたが、そもそも「それ」は自分自身であり |
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彼は自分自身と将来の契約を締結した、。 |
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それが一番理にかなっているような気がする。 |
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もしかしたら・・・・・この数十年間 |
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自分で自分を励ましながら、駆け抜けてきた・・・・・ |
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と言うのはカッコよすぎるだろうか(笑) |
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最後にわがままをひとつ言うとしたら・・・ |
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もし、自分が死んだあとに 息子が辛い思いや悲しい思いをしていたら |
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彼に絶対こう言って声をかけてやりたい・・・・ |
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「願いかなえたろか?」 |
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