★今年もこの季節がやってきた・・・・・
広島、長崎の原爆記念日があり終戦記念日がある・・・・
そしてなにより、あの悲惨な日航ジャンボ機墜落事故がおきた日がまたくる・・・・・
1985年8月12日 真夏の暑い一日が暮れようとしている時刻だった。
500余名を乗せた日航ジャンボ機が東京-大阪間で消息を絶つ・・・・・
錯綜する情報、つのる関係者の不安・・・・そして最悪の結末。
奇跡的に助かった4人の女性を除く全員が死亡(即死)と言う
航空史上最悪の墜落事故となった。
当時26歳だった私もこのニュースに凍りついた。
仕事も一人前にこなせるようになり、彼女とのデートや遊びにも忙しく
寝る間を惜しんで毎日夢中になって青春を謳歌していたと頃と記憶している。
彼女の出身高校の在学生が犠牲になった事や
国民的歌手の坂本九さんや阪神タイガースの社長など
著名人や間接的な知人が犠牲になった事もあり
この大惨事は当時の浮ついていた私の心に重くのしかかってきた。
飛行機は安全・・・・生まれてこの年までリアルな航空事故を
ほとんど知らない自分にとって、その定説が覆った意味は大きい。
この事故以来 飛行機に乗るのが怖くて怖くて仕方なくなり
その後のアメリカ~カナダ旅行や、出張での鹿児島行きなどの際には
本気で遺書を書いていたくらい・・・・・
フライト中も両足を異常なくらいに力が入り、心拍数も急上昇する始末。
何より東京-大阪間は絶対に乗るまいと心に誓い、出張やレジャーで
東京に行くときは新幹線と決めていたにもかかわらず
今の会社の社長が飛行機利用派ということもあり
東京への同行出張の際には、ついにフライトするはめに・・・・・
毎回、その前夜は家族にこっそりと別れを告げて眠れぬ夜を過ごす。
これほどの飛行機嫌いになったのは、やはりあの事故以来・・・・・
それまでは飛行機旅行は楽しくてウキウキだったのだから・・・・
日航機事故については、その原因について様々な憶測が語られていると
同時に、事故後に回収されたボイスレコーダーの記録によって
機長らの墜落回避への懸命の努力の様子が生々しく再現されている。
当時の自分の心境や、この事故に対する思いなど
色々と語りたい事はあるが、それよりも一読していただければ
その詳細がよくわかるサイトがあったので紹介しておきたいと思う。
http://kyoto.cool.ne.jp/makuzu/jal123.txt 事故当時のボイスレコーダー再現
http://www.fims.co.jp/fumitaka/osutaka.pdf 日航機墜落事故の真相
何よりも、今回言いたかったのは
この事故を絶対に風化させてはならないということ・・・・・
我々当事者ではない国民の胸の中で、犠牲者の追悼の気持ちを
いつまでも持ちつづけたいということ・・・・・
もちろん、阪神淡路大震災をはじめとする自然災害の犠牲者や
JR尼崎脱線事故のような数知れぬ人為的事故の犠牲者のみなさんの
ご冥福も含めて・・・・・
そして、あの戦争で散った多くの尊い命に対して・・・・
広島、長崎・・・・沖縄・・・・・たくさんの人々の命に対して
そして今も起きつづける、凄惨で理不尽な殺人事件の犠牲者の方に対して・・・・・
レジャーにうかれるだけのお盆ではなくて
無念の死、非業の死を遂げた人々に
少しでも思いをはせられるお盆にしたいものだと
切に願う・・・・・・