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義経黄金伝説●第4回

2004年12月30日 | SF小説と歴史小説
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■義経黄金伝説■第4回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/

第1章 一一八六年 
第1章6 一一八六年 京都・後白河法皇(ごしらかわ
ほうおう)の宮殿
 遠くに見える比叡山を背景に人々のざわめきや歌声が
響いていた。 後白河の宮殿である。この時期、法皇はよく宮殿を移動していた。部下の貴族の邸宅をそれにした。

後白河法皇は望みもせず、運命のいたずらでこうなってしま
った天皇であり、上皇であった。 若い頃より今様に打ち込み、政治のことなどはまったく知らぬ政治を治める天皇の器には程遠い、ほうけもの、不良少年、不適格者であると見なされていた。
 このあやまって天皇になってしまった男が、日本最大級の政治家になろうとは、京に住む公家の誰もが思わなかったに相
違ない。
「あの、ほうけの4つの宮(4人目の王子)が…」というのが、貴族の一般的な反応であった。

法皇はもの想いにふけっている。
法皇にとっては、頼朝は、単なる地方の反乱軍のひとつにすぎす。平家六波羅政権を打ち倒す方策にすぎなかった。それが坂東平家・北条にとりこまれ、このような大勢力になるとは、想像もつかなかったのではる。
法王が仕掛けた手紙(奉書)による爆弾は次々に効果を産み、日本全土を混乱のちまた。京都王朝始まっていらいの動乱へと導いていた。
「朕が悪いか?いやいや、そうではあるまい。崇徳(すとく)上皇じゃ。あの兄の怨霊が、戦乱・地震・飢餓を次々と呼び起こしているのだ」
法皇はこう考えている。
保元元年(1156年)兄の崇徳上皇を讃岐に流し、8年後に上皇は亡くなっていた。世に言う保元の乱である。

その頃、京都鴨川の河岸には、鳥べ野で処理できない死体の山がはみだし、川が氾濫する度に腐乱した人間であったもの腐乱した肉片が陸地におしもどされて腐臭を放ち、犬や烏が群れをなしてがそれをついばんでいる。
混乱の京都から、何人かの貴族が流れて行った。
「あの大江家のせがれがこれほどはまるとは、、」
法皇はため息をつく。「それに比べて朕の傍には、、、よほど才能というものが、この京あたりには枯渇しておるらしい」
いつも考えているのは坂東・奥州のポジションニングの問題なのである。征服王朝である京都王権にとっては、この両地方
のバランスが大切なのである。
「源頼朝はこの両地方を手にいれようとしている。それは許しがたい。何らかの方策が、、ひとつは西行。もう一つは義経
じゃ」
どう転ぶか。予断を許さない。ましてや、西行の計画は法王自身の精神問題にもつながっている。怨霊である。近頃崇徳の
のろいが、日々法皇を苦しめているのだ。憂さ晴らしとして、今様(いまよう)を歌ざるを得ない。騒がざるを得ない。

「しかし、時代は代わってしまったものよ」
後白河法皇は、京都政権を守らねばならなかった。
武士はとは、殺人をないわいとする職業集団。いみ嫌うその集団を、北面の武士といういわば、親衛隊をつくり自分を守ら
ねばならない。その矛盾はある。
26年前の事だ、源頼朝の事は覚えている。

彼の父を、この平安京始まって以来、殺人刑に処した。
「あの折の頼朝の表情は覚えている・たぶん、朕をうらんでいるであろう。文覚もあの折には、、、」 

それゆえ今、後白河法皇は、白拍子たちを集め、宴を開らこうとしているのである。白拍子は流行歌手であり、一種のアイドルである。今様は流行歌であった。

「殿下、もっと見目形のよい白拍子を呼ばれた方がよろしいのではごじゃりませんか…」
 関白九条兼実(かねひら)が、その甲高い声で言った。
「乙前(おとまえ)のことか。兼実殿は不思議に思うであろうな。あの八十才にも手が届く白拍子を俺が呼ぶのを。が、兼実殿、人の値打ちは見目形や身分や年ではないぞな」
「で、何でお決めになるとおもわれます」
「才じゃよ」
「はっ」
「才能じゃよ。あの乙前は、今様を数多く謡えることにかけては、当代並ぶものもあるまい。この才においては、兼実殿、藤
原氏の長者(代表)のお主ですら、及ばないであろうのう。
それに…」
 後白河法皇は、思わず言い捨ててしまいそうになる。
(氏(うじ)が何になろう。この現世の人間の世は才能よ。それも天賦の才に加えて、才を磨くことに長けたものが生き残ることができるじゃ。現に朕がそうじゃ。その才能という武器に、お前は気付かぬのかのう。兼実、所詮、お前は藤原の貴族よのう)。
「それに、何でごじゃりましょう」
 やや、惚けた顔で、兼実が尋ねた。
「よいか、今様は、民の心の現れだ。民の心知らずして、何ゆえにこの朕は頼朝や秀衡と比べても、民の心がわかっておらるだろよな。ましてや、この民の心の歌を、朕の手で、書物に纏めて、後の世に残して置こうと思うじゃ」
「ご立派なお心でおじゃります」
 (民のことを考えるじゃと、恐ろしいことを言う方じゃ。この法皇は、今までの院の方々とは少しばかり違うのう。考え方が桁外れじゃ。麻呂も考え方を変えねばなりますまい。いままでの院や天皇のように扱うことはできせぬのう)。
「よいか兼実殿、殿上人は申しているであろうぞ。朕、後白河法皇は、下々のこともとてもお好きじゃとのう。が、この世の中は殿上人や武家だけのものではあるまいの。世の中は民で成り立っておるのじゃろう。後の世に名が残るのは、、果たして、朕か、鎌倉の頼朝か奥州平泉の藤原秀衡か」
「それは法皇様でごじゃりましょうぞ」
 兼実は追従を打った。が、後白河はにやりと笑い、その大きな目を向け、大きな声で言った。
「いや、むしろ兼実殿、麻呂かもしれませんのう」
 法皇は笑みを兼実に返した。が兼実は心の奥底にこの冷たいものを感じている。
が、法皇はもうすでに、兼実の方を見てはいない。


■■西行は、奥州に旅立つ前に、後白河法皇を訪れて何かを相談していた。
 その西行が出て行った後、京都公家政治の代表的人物である後白河法皇とその寵臣の関白、藤原兼実は、西行に頼んだ企
みを毎日のように話し合っていたのだ。

「どう思う兼実殿、あのはかりごとの可能性はどうじゃのう」
「あくまで平泉の秀衡殿の心次第でございましょう。秀衡殿の黄金と東北十七万騎、加えて義経殿のあの武勇、三つ揃いま
したなら、鎌倉の頼朝殿も危うござりましょうぞ」
「そちは義経びいきじゃからのう。が、安心はできまいのう」
「と申しされますと」
「鎌倉の頼朝には、大江広元という知恵袋がついているからのう。まあ、よい、いずれに転んでも、朕に腰を屈せねば、この日の本の政権は維持できまいぞ」
「誠にその通りでござります、法皇様」
「ふふう。さよう、頼朝ごときは、朕を(大天狗)とか呼んでおるようじゃが、朕は天狗どころではないのじゃぞ」
「が、法王様、天狗と申せば、あの弁慶はどうしておりましょうや」
「さよう、弁慶もくせ者じゃ。何しろ、あやつの背後には、全国の山伏の群れがついておるのう」
「あの弁慶はたしか、法皇さまの闇法師だったのでは……ごじゃりませんか」
「そうじゃ。昔はのう」
「あの弁慶は、どちらの味方をするか、決めかねておるのでござりますか」
「さよう、あやつら山伏も、古くは、持統帝の頃より情報網を、この日本中張りらしておるからのう、そら恐ろしい奴らじゃわ」
「彼らの唐より伝わる武術書・『六闘』からあみだした武闘術恐れねばなりますまい」
「そうじゃ。ともかくは、西行の報告をまとうかのう」
 法皇は院御所に植わっている桜の木を見て言う。

「ところで、兼実殿、桜がなかなかきれいじゃのう。一節(ふし)歌うてみるか。どうじゃ」
「はっ、これ、誰か白拍子をこれへ。ほんに法皇様は今様がお好きじゃ」
 白拍子の一団が、庭に入ってきた。
「兼実殿、これも我が書物、梁塵秘抄(りぃうじんひしょう)のためじゃ、書物のためじゃ。皆歌のじゃ」
 梁塵秘抄は、法皇がまとめている今様の歌集である。
 白拍子も、法皇も歌い始めた。めざとく年かさの白拍子に気づく。
「おお、これは乙前殿、朕が師匠殿、一節たのむぞのう」
 白拍子の乙前が、目の前にあらわれていたのである。
「乙前殿、今日はどんな新しき歌じゃのう。はよう謡って下され」
 乙前はろうろうと歌い上げた。年を感じさせない。
「おお、それはどんな者が謡っておのるじゃ。詳しく聞かせてくれぬかのう」
 法皇は今までの兼実に見せていた顔と、違う面を見せている。それが、兼実には恐ろしくもあった。この法皇は底知れぬ。
「ほほ、ほんに法皇様は歌がお好きですこと」
「乙前殿、この世の中で、今様が一番好きなのは、、この朕じゃ」
「ほほう、殿下はおもしろいことをいわれますなあ、、ふふ」
 乙前は、ほとんど歯の残っていない口をみせた。
 突然、乙前は歌を急にやめる。
「法皇さま、西行さまは、、、」
怪訝な顔つきである。
「そういえば、乙前殿と西行殿とは知り合いじゃったのう」
「さようでございます。西行殿の外祖父様、源清経殿は我が母を囲っておりました」
「そうじゃった。が源清経もわしの今様の師匠じゃ。悪ういうではないぞ」
 西行の外祖父源清経は、目井とその養女乙前を囲っていたのだ。

(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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