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■義経黄金伝説■第60回■最終回
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(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
■ 終章
正治元年(一一九九)、源頼朝、落馬の怪我がもとで死亡と、鎌倉幕府正史
「吾妻鏡」には記されている。
印地打ちの石には、鉱山で使われる丹毒が、塗られていて、ゆっくりとした
死を頼朝に与えたらしい。
頼朝の死は平家滅亡より、十四年後である。
義経の存在が、日本の統一を可能にした。
頼朝は、義経のおかげで、追捕師として、日本全国に守護地頭を置くことを可能と
した。これが律法の世、貴族の世である日本を、革命においこんだ。
黄金大仏の再建は、平安黄金国家の終わりを意味し、新しい征夷大将軍が続いて
いく。
西行法師は文覚に、黄金のありかをつげ、
さでに先に運び込んだ黄金を頼朝の名前で、勧進を行った。その代わりに
義経をこれ以上追いかける事を約束させたといわれている。
西行の残りの黄金は、結縁衆、山伏たちによって、蝦夷・恵庭岳の山林中に隠
されてるという伝説が存在する。
宝物を埋めた目印として、笹竜胆の家紋が浮き出る、義経石が配されている。
笹竜胆は、西行えにしの藤原北家の家紋である。
当時、満州、東蒙古、華北地方を領有していた、女真族の国は金である。
義行も、母静ともともに吉次の手づるにより、金に渡っていると伝えられた。
義経は、その子、義行とともに、金朝に仕え、功績は抜群で、父子相次いで
範車大将軍に任じられたと「金史別伝」にある。
文覚は生き残り、鎌倉幕府により再び佐渡に配流された。1199年3月の事である
。
夢見、明恵は文覚の跡目となり、京都神護寺の事跡をつぐ。この後、承久の変の後北
条泰時が、明恵に深く帰依し、「御成敗式目」という法律をつくる。この中に明恵の
あるがごとくの思想は反映され、民間の知恵(あるがまま)を、条例化する
手助けをした。式目は明治時代まで日本人のこころのよりどころとなる。
40年間書き綴られた「夢記」が今に残る。
東大寺勧進職は、栄西に受け継がれる。法然は鎌倉仏教を立ち上げていく。
鬼一法眼は伝説の人物となった。
紀州田仲庄は後、源頼朝の預所となり、高野山との土地争いは解決された。
藤原定家編纂の歌集「新古今和歌集」には西行の歌が94首が治められ、入選歌集筆
頭である。
歌の聖人、西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。
■明治元年(一一六八) 白峯神社(京都)
京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。
祭神は崇徳上皇。日本の大魔王といわれている。
幼き明治帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。
「さあ。御君、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。
これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ
うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。
代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師殿との約束を使え下させ」
幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。
「崇徳上皇様、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年
かかってしまいました。今にいたり、大江広元が縁の2家、島津。毛利両家をもって
、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。
この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。
そして、陰都でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わり
に江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といたしま
す。
が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもって
皇居といたす事をおゆるしくだされ」
御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が讃
岐から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとげている。
「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそう
としております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげ
ます」
帝は、再び深々と、頭を垂れた。
崇徳上皇は、保元の乱の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのち
でなくなり、白峰山に葬られた。
讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門であり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる
丑寅の方角である。
空から荒々しき声が落ちてきて響き渡った。
「長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その
陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東京幕府、所詮は、荒夷ども街じゃ。
朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬ。見ておれ」
(完結)20050215版原稿
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■ 終章
正治元年(一一九九)、源頼朝、落馬の怪我がもとで死亡と、鎌倉幕府正史
「吾妻鏡」には記されている。
印地打ちの石には、鉱山で使われる丹毒が、塗られていて、ゆっくりとした
死を頼朝に与えたらしい。
頼朝の死は平家滅亡より、十四年後である。
義経の存在が、日本の統一を可能にした。
頼朝は、義経のおかげで、追捕師として、日本全国に守護地頭を置くことを可能と
した。これが律法の世、貴族の世である日本を、革命においこんだ。
黄金大仏の再建は、平安黄金国家の終わりを意味し、新しい征夷大将軍が続いて
いく。
西行法師は文覚に、黄金のありかをつげ、
さでに先に運び込んだ黄金を頼朝の名前で、勧進を行った。その代わりに
義経をこれ以上追いかける事を約束させたといわれている。
西行の残りの黄金は、結縁衆、山伏たちによって、蝦夷・恵庭岳の山林中に隠
されてるという伝説が存在する。
宝物を埋めた目印として、笹竜胆の家紋が浮き出る、義経石が配されている。
笹竜胆は、西行えにしの藤原北家の家紋である。
当時、満州、東蒙古、華北地方を領有していた、女真族の国は金である。
義行も、母静ともともに吉次の手づるにより、金に渡っていると伝えられた。
義経は、その子、義行とともに、金朝に仕え、功績は抜群で、父子相次いで
範車大将軍に任じられたと「金史別伝」にある。
文覚は生き残り、鎌倉幕府により再び佐渡に配流された。1199年3月の事である
。
夢見、明恵は文覚の跡目となり、京都神護寺の事跡をつぐ。この後、承久の変の後北
条泰時が、明恵に深く帰依し、「御成敗式目」という法律をつくる。この中に明恵の
あるがごとくの思想は反映され、民間の知恵(あるがまま)を、条例化する
手助けをした。式目は明治時代まで日本人のこころのよりどころとなる。
40年間書き綴られた「夢記」が今に残る。
東大寺勧進職は、栄西に受け継がれる。法然は鎌倉仏教を立ち上げていく。
鬼一法眼は伝説の人物となった。
紀州田仲庄は後、源頼朝の預所となり、高野山との土地争いは解決された。
藤原定家編纂の歌集「新古今和歌集」には西行の歌が94首が治められ、入選歌集筆
頭である。
歌の聖人、西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。
■明治元年(一一六八) 白峯神社(京都)
京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。
祭神は崇徳上皇。日本の大魔王といわれている。
幼き明治帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。
「さあ。御君、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。
これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ
うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。
代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師殿との約束を使え下させ」
幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。
「崇徳上皇様、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年
かかってしまいました。今にいたり、大江広元が縁の2家、島津。毛利両家をもって
、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。
この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。
そして、陰都でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わり
に江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といたしま
す。
が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもって
皇居といたす事をおゆるしくだされ」
御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が讃
岐から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとげている。
「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそう
としております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげ
ます」
帝は、再び深々と、頭を垂れた。
崇徳上皇は、保元の乱の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのち
でなくなり、白峰山に葬られた。
讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門であり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる
丑寅の方角である。
空から荒々しき声が落ちてきて響き渡った。
「長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その
陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東京幕府、所詮は、荒夷ども街じゃ。
朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬ。見ておれ」
(完結)20050215版原稿
(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/