綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

ありがとう夢ハウス みんな元気で! 愛はいつもそばにいます。

2011年03月31日 | ゆめハウスの話題
今日は年度の最終日3月31日でした。

けやきの会(NPO法人夢ハウスけやきの家)としての障がい者施設「夢ハウスの最後の一日でした。

明日からは社会福祉法人中越福祉会の施設「みのわの里夢ハウスけやきの家」として新たな一日が刻まれます。

職員の皆様とたかちゃん、ボランティアの齊藤君、山崎君、そして長澤お父さんもお手伝いにかけつけてくれ、朝から施設の整理と清掃を行いました。

川崎に開設してから(その後江陽に引越)12年。
今日その歴史にひとつのピリオドがうたれました。


「夢ハウスけやきの家会報特集号」が26日に配布されました。

表紙の文書



青空の中に「けやきの家」は、毎日私たちを迎えてくれています。
「おはようございまーす。」「一、二、三、四・・・」のラジオ体操で始まった一日。
「さようなら。また明日笑顔で会いましょう。」と帰っていく利用者の笑顔。
長い年月、皆んなで皆んなを支え合った「けやきの家」。
いっぱい いっぱい 皆さんの思いをお伝えしたいのですが、紙面の関係で出来ません。
でも、私たちの思いをくんでください。
ありがとう。「けやきの家」のおかげです。
また今から明日に向かって一人ひとりが歩んでいきます。

私がけやきの会の財務を引き受けてから10年あまりが過ぎました。
次は私が寄稿した一文です。

長年フリマの首謀者として多くの皆様を苦しめてまいりました。
財務担当になった時には、繰越金が2百万くらいでした。
施設を維持するために安定収入を確保しながら、将来の移転拡張に備えてお金が必要でした。
ここから悪戦苦闘とアイデア勝負がはじまりました。
 
すずらん通りや大手通りへのフル出店に加えて、スーパーの店頭などで回数を増やしました。
綿飴、熱射病が恐怖だった長岡祭への連日出店や長岡会場を作り上げた24時間テレビなどで年間収益が100万円を超えたこともありました。
けやきのフリマは品揃えと安さと綿飴で多くの皆さんから注目され、「頑張っている姿に共感した」と言って寄付金が増加し、施設移転の年には378万円に上がりました。
NPO法人を設立し、地域活動支援センターとして認定され、補助金も増加しましたが、皆様のご協力も夢ハウスの永続的な運営を支えるまでには至りませんでした。
長年財務を預かった結果に対して責任を痛感し、お詫びを申し上げます。

さて、今日の話題に戻しましょう。

長年夢ハウスの資金を支え、多くの方からけやきの会の懸命な姿を見ていただいたフリーマーケット商品や多くの方からお買い上げいただき、使われてきた手作り作品の素材が大型トラック満載で夢ハウスから運び出されました。
作業室や事務室から、明日からは不要だと思われる開設以来の会議資料や一つ一つ思い出の詰まった品々もトラックに積み込まれていきました。



首までどっぷりと活動に漬かるきっかけとなった「愛をください」の歌詞を青木優先生が書いてくれて、川崎夢ハウスの時代からいつも壁に掲げてあったのも自らの手で畳みました。これが私の今日最大の仕事だったように感じました。






愛はいつも皆さんの傍らにありました。
明日からもいつも皆さんの胸の中に置いてください。

ありがとう夢ハウス、ありがとう利用者や職員の皆さん。
明日からもみんな元気で明るくへこたれないで一歩一歩歩いて行きましょう。

ぷーさんは泣かないから、みんなも泣かないで明日からまた前に向かって歩いていきましょう!








乗り越えよう! 44才 カズ 渾身のゴール

2011年03月29日 | アルビレックス!
Jリーガー再年長の三浦知良がGOAL!

「東日本大震災復興チャリティーマッチ、日本代表2-1Jリーグ選抜」(29日、長居)

 被災地に届けとばかりにカズ(三浦知良)が舞った。後半37分、闘莉王がヘッドで落としたボールに素早く反応。GKの動きを読み、右足を振り抜くと、ゴール右隅にボールは吸い込まれた。歓喜のスタンドに応えるようゴール脇で、伝説のカズ・ダンスが繰り広げられた。
◇◇
 Jリーグ選抜・カズ「本当にみんなの気持ちがひとつになったゲームだった。全員で力を合わせたチャリティーゲーム。東北の皆さんに気持ちが届くことを祈る。届いたと思う」
(2011年3月29日 デイリースポーツオンライン)

まったく頭から消えてましたが、仕事終わって、車に乗ってから、試合が今日だったことを思いました。

帰宅して後半からテレビ観戦。

微妙な位置でGKの東口(アルビレックス:今回代表で初のマウス)と1対1になったカズが技ありシュートでした。

がんばろうニッポン!

けいいちさんの日記にすばらしい記事が出てました。

話変わって
今日十日町のシルクモールショッピングセンター(原信)で見つけた、茨城産の白菜。



原信ナルス その4 (納豆)

2011年03月28日 | ぷーさんのつぶやき
今日我が家の冷蔵庫に変わった納豆がありました。



はるばると和歌山から新潟までやってきた納豆です。

きっと産地の茨城県から入らないから、遠くのメーカーから苦心して集めた納豆なのでしょう。
明日の朝、心して食べさせていただきます。

話が変わりますが、我が家も中越地震の時には2年近く避難していました。

幸いに地震直後はともかく、一週間後には衣食住に困ることはありませんでした。

住めなくなったものの、家はまだ立ってましたし、思い出の詰まったアルバムなどはそのまま残っており、気軽に取りにいける距離でした。



長岡に避難されている南相馬市の方々や、まったく家が跡形もなく流されて、家族が亡くなった方々のお気持ちを思うと、毎日朝夕のテレビを見ながら涙がこぼれます。




さよならパーティー

2011年03月27日 | ゆめハウスの話題
26日に夢ハウスのさよならパーティーを開催しました。

この時期にどうしようかと悩みましたが、3月末で今の夢ハウスとはさよならするのに、4月に入ってからでは、どうにも間が悪いので予定通りに行いました。

1分間の黙祷から会がはじまりました。

NPO法人の棚村理事長の挨拶は利用者と職員に対して、施設経営が立ち行かなくなったことへのお詫びが主体でした。
まさに力足りずに申し訳なかったと思います。


その後の乾杯のご発声を長岡市立養護学校の永井校長にお願いしました。

10年を超えるメンバーが集まっていただきましたが、それぞれ年代がオーバーラップしていますので、にぎやかな会話があちこちで始まりました。









中島元けやきの会会長や、初代施設長の丸山さん、歴代のPTA会長も3人ご参加くださいました。現役の校長と元PTA会長も歓談されてました。


一方、去年、今年から会員になっていただいた方々も多くご参加いただきました。

ご家族で参加いただいた方々も何人もいらっしゃり、久しぶりにお会いする顔もありました。






1時間くらいで職員(8名全員)と利用者(6人中3名参加)への花束贈呈を行いました。
ここからしばらく涙の時間帯。






利用者では最長の陽子さんが一番悲しそうでした。



今日ボランティアでバザーをお手伝いいただいた、齊藤、山崎両君もパーティーに参加していただきました。



食べ盛りなんで楽しんでくれたように思います。
どんな団体であったかが少しでも理解してもらえて、障害者福祉の困難さがおぼろげでもわかってくれればいいと思います。

最後は12年前に夢ハウスが開設されたときの中島元会長と丸山元施設長の挨拶で中締めでした。



一度涙流した後は、最後はみんなが笑顔で写真に写ってましたから、良いお別れパーティーになったと思います。



追伸
力足りずに経営を移管するわけですが、一方では養護学校卒業後の行き場がなくなる子供たちに最後の砦を提供してこれたことも事実ですし、経営よりも暖かな場所を提供できた十年間余りだったと自負しています。
時代が変わって、外部環境が変化し、卒業後の多くのサービスが選択できる時代が実現した以上、立ち行かない夢ハウスを無理に継続することは利用者や職員に最終的に大きな迷惑をかける危険があると私は考えています。







ラストバザー終わりました。

2011年03月26日 | ゆめハウスの話題
今日は夢ハウスけやきの家でのラストバザーでした。

4月から夢ハウスけやきの家は、けやきの会とNPO法人夢ハウスけやきの家から離れて、中越福祉会の「みのわの里夢ハウスけやきの家」としてスタートいたします。

今日は今まで10年以上にわたって継続してきたフリマ商品や手作り品の材料を処分するためのラストバザーを開催しました。




茨城県日立市から避難してきた斉藤君、山崎君もボランティアで参加。
(斉藤君はsoigaオヤジの息子で長岡出身)



事前にあまりPRできなかったのですが、多くの関係者の皆様からご来場いただきました。

丸山ボランティアや花ちゃんも来てくれました。



坂爪親子もかけつけてくれました。



夕方からは慰労会を開催。

この話題は明日の夜にアップします。(予定です)

とりあえず被災者の方々への支援を優先でがんばらねば!




ラストバザー

2011年03月25日 | ゆめハウスの話題
明日(26日)最後のバザーを開催します。

いつもの夢ハウスで
11時~14時くらいの予定です。



4月から施設を中越福祉会様に引き継いでいただくので、
フリマ販売品が不要になるため、今回は在庫処分が目的です。

そのため、売価は設定せずに、お客様から価格をつけていただきます。

気持ちを置いていっていただこうと思っています。

たとえばセーターが1円とかキャンプの時の炭が1箱1円とかもアリです。

ひょっとすると東北関東大震災の義援金に回すことになるかもしれません。
夕方から慰労会を開催しますので、そこで相談しようと思います。


原信ナルス その3 (農産物出荷停止への対応)

2011年03月24日 | ぷーさんのつぶやき
朝日新聞(asahi.com 2011年03月23日)

 政府が規制値を超える放射性物質が検出された農産物の出荷停止を指示したことを受け、県内のスーパーでも、対象の農産物を店頭から撤去する動きが広がっている。


 県内最大手の原信ナルスホールディングス(長岡市)は、21日に群馬県産ホウレンソウとかき菜、栃木県産のホウレンソウ、千葉県産のシュンギクを撤去した。代わりに、新潟、埼玉、九州地方からホウレンソウなどを確保し22日に店頭に並べたという。


 「政府発表があれば店頭から下げざるを得ない。ただ、対象以外の野菜は福島県産でも置いている。産地は被災地でもあり、対応は最低限に抑える」(同社)という。


 ウオロク(新潟市)も群馬県産ホウレンソウを店頭から下げ、県内産を確保して店頭に並べたほか、ほかの地域に注文しているという。


 政府から出荷停止指示を受けた福島、群馬、茨城、栃木4県のホウレンソウの全国出荷シェア(2009年産)は17・4%と高い。政府は今回の措置を「当分の間」としており、長期化した場合はホウレンソウなどの野菜が手に入りにくくなる可能性もある。

長岡東ロータリークラブ様から支援金

2011年03月24日 | 夢ハウスの運営母体について
23日に長岡東ロータリークラブ様から夢ハウスへの支援金を頂戴しました。

夢ハウスは4月1日から社会福祉法人中越福祉会様に引き継いでいただくことになりますので、今回が最後の寄贈式になります。

今までの長年にわたるご支援に御礼を申し上げ、経過をご説明してまいりました。



長岡東ロータリークラブ様HP

以下はロータリークラブ会員の皆様へお配りした文書の内容です。

平成7年に結成された長岡市立養護学校けやきの会では、障がいのある子どもたちが卒業後の行き場に困ることがないように願い、平成11年、長岡市内川崎に障がい者施設「夢ハウスけやきの家」を開所しました。
     
その後施設は、皆様からのご支援をいただきながら、施設職員の努力とそれを支えるけやきの会会員の奮闘で少しずつ体制を整えてまいりました。

そして、けやきの会は平成18年にNPO法人夢ハウスけやきの家を設立し、障害者自立支援法の地域活動支援センターとしても認定され、平成20年に現在の江陽に移転して、夏休みの高等部生徒の受入れや送迎サービスなども開始することができました。

補助金も増額され、比較的安定した経営が可能になるかと思われましたが、一方で外部環境の変化も急速でした。経営基盤が確立した社会福祉法人による障がい者施設やサービスが拡充され、子どもたちの卒業後の心配が軽減されるにつれて、養護学校保護者のけやきの会への加入減少が顕著になる中で、施設拡大に伴う運営経費増加などの問題を解決できないまま時間が経過してまいりました。
     
これら問題への対処を話し合った結果、夢ハウスけやきの家の運営を、私たちの力が残っているうちに安定的に運営していただける他の団体に引き継いでいただこうという結論に達しました。

そして社会福祉法人中越福祉会様が、引き受けてくださることになりました。

この3月31日をもって、障がい者施設「夢ハウスけやきの家」は、けやきの会とNPO法人夢ハウスけやきの家の手から離れることになります。

皆様から長年にわたり頂戴したご支援に心から御礼を申し上げます。
皆様のご支援で一定の責任を果せたと思っています。

私たちはこの一年、夢ハウスけやきの家を円滑に引き継ぐことに全力を注いでまいりましたが、今後は、けやきの会が結成当時から掲げてきた「障がいを持った子どもたちも健常者と一緒に安心して生きていける社会」を目指して、新たな活動を模索してまいりたいと思います。

何卒事情をご賢察いただき、今後もけやきの会ならびにNPO法人夢ハウスけやきの家にご支援下さいますようお願い申し上げます。

原信ナルス その2

2011年03月22日 | ぷーさんのつぶやき
今日から原信ナルスの長岡市内の店舗で支援物資の受付がはじまりました。

早速お店へ行って気持ちだけ、少しだけ応援してきました。

アクロスプラザの店舗(美沢店)では、きっちり設置されてました。



すでに雑貨品は満杯状態でした。

ついでに茨城産の野菜は?・・・と探したら、しっかり品揃えされてました。



白菜、もやし、小松菜(だったと?)もありました。

よかったです。

被災地ですし、野菜の大産地ですから、復興に大きな影響が出るのを心配していましたので、一安心です。

さらに足を伸ばして、長岡シビックコアのボランティアセンターを覗いてきました。



ドームの中で、たくさんの物資が仕分けされていました。
全部手作業で、20人くらいのボランティアが活動されていました。

ご苦労様です。

おまけ

ボランティアセンターですが、床に直置きしていました。
これだと、場所の移動やその後の出荷時に大変だと思いました。

できれば、台車が手配できて、種類ごとにそれに乗せて整理できれば、作業が楽にスムーズに進むのですが・・・。

多少お金はかかりますが、行政のバックアップが欲しいところです。
(せいぜい20万もあれば十分なはずです)








原信ナルス

2011年03月21日 | ぷーさんのつぶやき
アメリカで東北関東大震災を知りました。
向こうにいてショッキングな報道を見ながら心が痛みました。


さて、19日、長岡市にも南相馬市から500人を超える方々が避難されてきました。

その翌日の20日早朝、避難先のひとつである南部体育館に原信ナルスのロゴマークのついた車両が着いて、荷物を下ろしていました。



食品の供給が始まっているようです。

中越地震の時も中越沖地震のときにも原信ナルスは救援物資や三度の食事を供給していました。

同社のホームページでは連日のように東北への避難物資提供の報告がアップされています。
また、明日からは長岡市内の全店で、救援物資の受け入れを開始するとのことです。

ミネラルウォーター飲まなくても、カップ麺を食べなくても、納豆が無くても、被災していない私たちは渇きを癒すことができ、お腹を満たし、暖かいお布団で眠ることができます。

少し我慢をして、地元企業が被災地、被災した方に支援していることを応援したいと思います。