綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

2位キープ(名古屋戦)

2009年06月29日 | アルビレックス!
久々のホームリーグ戦でした。
今日はレギュラーのはち&ともがお休みで、最年少タカが初参戦。
丁度「三宝サンクスデー」で金子社長やアルビレックス山本さんの好意でスタジアムツアーに参加させていただきました。


タカからは「今日をアルビ記念日にしました」とのメーをもらって「またバカサポ1名誕生するかも」と思ったのは、多分ヒロも同じだと・・・。


さて、試合は2-1でアルビ勝ち点3で2位キープ


今日かよネエからメールが来てびっくり。
しっかりTV出演してたそうな。


伊藤敏博さん参加(けやき祭り)

2009年06月26日 | けやきの会のこと
夢ハウスのテーマソング「愛を下さい」を作ってくれた伊藤敏博さんがけやき祭りに参加します。

1956年8月26日生まれで西頸城郡青海町(現・糸魚川市)出身のシンガーソングライター
新潟県立糸魚川高等学校卒業でぷーさんの同級生です。

国鉄在職中に作った「サヨナラ模様」で1981年にポプコンでグランプリ獲得。
代表曲として、青春18(1982年)、景子(1983年)、旅の途中で(1985年)などがあります。

http://w3222.nsk.ne.jp/~i-toshi/

***彼のHPでは14時となってますが、現在調整中です。



愛 を 下 さ い

ぼくに愛を下さい
願った わけじゃないけれど
おにいちゃんより ゆっくり
ゆっくり 大人になります
それまでぼくに 愛を
ちょっぴりたくさん ね
ぼくに 分けて下さい

わたしに夢を託して
おしゃべりは できないけれど
おねえちゃんより うまく
うまくは 歩けないけど
それでも 夢は
ずっとなくさないで
大事に 育てて下さい

心開いて下さい
みんなと 少しちがうけど
できないことも たくさん
たくさんあるけど 心で
それでも みんなと 
おなじように暮らして
生きて 生きて行きたい

生きて 生きて行きたい

ぼくに愛を下さい

1998年12月8日



KOKIA参加!(けやき祭り)

2009年06月25日 | けやきの会のこと
今日からぷーさんは7月11日に養護学校で開催する「けやき祭り」モードです。
けやき祭りホットほっとニュース

オグさん経由でお願いしていたKOKIAさんですが、ベルギーから帰国されて、7月11日のけやき祭りに参加下さることになりました。

KOKIAさんのブログです。
http://www.kokia.com/blog/


KOKIAさんとの関係は、新潟県中越沖地震の災害を受け、柏崎コミュニティ放送FMピッカラへ「私にできること」を提供されました。
この曲が放送局で流れるまでのいきさつは、テレビや新聞等でも採り上げられました。その後、自衛隊からの招待を受け、柏崎市民プラザにて2007年8月6日に「未来へはばたけ柏崎コンサート」で、3,000人の観客を前にして、陸上自衛隊東部方面音楽隊の伴奏で、応援ライブを行われました。また24時間テレビにも参加いただきました。自主制作版を作る段階でぷーさんも少しだけ応援させていただきました。

もし、「私にできること」の在庫があれば当日サインをお願いして販売したいと思っています。


ついでに・・・打ち上げにも参加される予定です。




田舎の4日間+α

2009年06月23日 | ぷーさんのつぶやき
19日に新潟県の北のはじの村上に早朝から行ってて、帰ってきたら、父の弟Mさんが事故で危篤との報告があり、自宅で着替えだけして糸魚川(西のはじ)に向かいました。脳挫傷で意識はないものの、容態安定してたので20日深夜に帰宅しました。
一日で500Kmを超えてました。

実はMさんのお宅はぷーさんが昔から入りびたりでした。
Mさんには男の子がいなくて、ぷーさんをわが子のようにかわいがってくれて、ぷーさんが大人になってからは、お盆やお正月には朝早くからお邪魔して、ビールをお茶代りにして、池から虹鱒や岩魚をあげてきては世間話などしていました。

Mさんの家にご不幸があればいつも我が家の仕事でしたが、10年くらい前から、父に代わってぷーさんが担当していました。
7年前、Mさんの長女が40台の若さで病気で無くなった時、ぷーさんが始めて葬儀全体を取り仕切りました。葬儀委員長としてのデビューでした。

さて、20日の早朝、病院からMさんの次女から電話があり、亡くなったとのことで、急遽礼服や必要な資材一式を車に積んで出かけました。

今日無事にお葬式を終わり先ほど帰宅しましたが、一つだけ感動したことを・・・
斎場のご担当の方(この方もぷーさん葬式の仕切りが多いので、顔見知りになった人ですが)が、7年前の葬儀を覚えていてくれました。
7年前の従妹の葬儀は、従妹が私の1歳下で、兄妹のように育ったので、
告別式終わるまでは気が張っていたのですが、火葬のときに裏手に行って大泣きしてたのが記憶に留まったのかもしれません。

「同じ室で同じ時刻に点火する段取りをつけておいたからね」と言われました。
また泣けました。

叔父のご冥福と、改めて従妹のご冥福をお祈りします。



弟をなくした父でした。こんな寂びしそうな後ろ姿を始めて見ました。



天地人を語る

2009年06月18日 | Weblog
火坂雅志先生が、長岡市の講演会でお話された内容に感動したので、そのエッセンスを書いてみます。

上杉謙信はご存知の戦国武将ですが、特徴が2つあります。
一つは経済に明るかった。当時の越後は戦国の中でナンバーワンの経済力を誇っていました。金山銀山の開発や新田開発、殖産興業としての藍蘇による越後上布あるいは直江津港を使った貿易などで経済力を強化していました。
二つ目は「義」をテーマとしていました。当時は下克上と言われるように相手を出し抜くことや暗殺、謀略が当たり前の中で、正義、信義、義理人情の義を一国の統治に当たっての理念に据えました。これによって求心力が生まれ、多くの優秀な武将が集まり、上杉軍団という強力な組織が出来ました。
上杉謙信は経済と義という理念を両立した稀有の武将でした。

上杉軍団は、当時の武田軍団と並んで、織田信長や徳川家康の軍団よりも強かったと思います。例えば、徳川家康は信玄上洛の前に三方ヶ原の戦いで信玄に一蹴されています。その後信玄が逝去して後、信長は長篠の合戦で武田勝頼に勝利しましたが、信玄存命中は武田を大変恐れていました。一方武田信玄と上杉謙信がライバルであったことは皆さんご存知のとおりで、川中島の5回に上る闘いで互角の戦いで決着が着かなかったことを見てもわかります。

<解説>三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった、武田信玄軍2万7,000人と徳川家康軍1万1,000人(うち織田信長からの援軍3,000人)との間で行われた戦い。信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康の歴史的大惨敗であり唯一の敗戦として有名な戦である。

さて、直江兼続は上杉謙信の実姉・仙桃院の実子、景勝の小姓として、春日山城で謙信から薫陶を受けました。上杉謙信が49歳で急死後、御館の乱(おたてのらん)で、その家督をめぐって謙信の養子である景勝と景虎(実父は北条氏康)が戦い結果的に景勝が勝つのですが、この時には景勝は24歳、兼続は19歳でした。

兼続の使ったといわれる「愛」という字を前立にあしらった兜が米沢市の上杉神社稽照殿に伝わっています。この「愛」の字を使った理由については、2説あり私も迷っていました。天地人を書きはじめてからも迷っておりました。今日はこれについてお話したいと思います。

多くの歴史の先生が言われるには、上杉謙信が毘沙門天の信仰を表した「毘」の字を旗印に使用するなど、当時、神名や仏像を兜や旗などにあしらう事は広く一般に行われていたことから、「愛染明王」または「愛宕権現」の信仰を表したものだという説が一般的です。
もう一つが、「仁愛」や「愛民」の精神に由来するとも言われ米沢に伝わる言い伝えです。

さて、悩みながら、調べながら執筆していきました。
まず、謙信の語録を納めた書物(北越軍談 謙信公語録?)で「愛」を発見しました。
その中には、最初に、「天の時、地の利に叶い、人の和とも整いたる大将というのはまず古今いない」という記述があります。私の「天地人」というタイトルはここから使いました。
2と3は省略して、4.に大将は強くなくてはいけない。しかし、それだけではダメで、仁義礼智信がなくてはいけない。とあります。仁は慈愛をもって民を憐れむ、愛民という思想です。

また、長野県の佐久市近代美術館には、元々中野市の佐藤美術館から寄贈された謙信の大馬印が保存されています。金地に赤の日の丸の巨大な馬印です、本物に間違いないと言われています。このほかにも軍旗、旗指物が保存されています。
その旗指物、テレビの合戦シーンでおなじみの毘沙門天の「毘」一字のものや、縦長の指物に一文字「愛」と書かれたものがありました。上杉謙信の軍旗の中にすでに「愛」はあったのです。

皆さんご存知のことと思いますが、新渡戸稲造の名著『武士道』。原文は英語なのですが、その中に武士道を支える柱として2つのことが書かれています。
一つは義でもう一つは仁愛です。義は今では義理チョコなどと使われますが、元々は崇高な言葉です。仁愛は思いやる、情けという意味ですが、漢語の教授にお聞きしたら、仁と愛は同義語を重ねたものだそうです。

上杉謙信やその考えを引き継いだ直江兼続は江戸時代に固まった武士道を大きく先取りした人物であったと思います。また当時の越後はそれを可能にした豊かさ、文化レベルを持っていました。

これらのことから、私は今では、米沢の人たちが「愛」は仁愛の愛民の意味だと言い伝えているのが本当ではないかと思っています。

さて、織田信長から豊臣秀吉、その後、徳川の世に移っていく過程で、徳川家康にとって、会津を拠点としていた120万石の上杉(当時№3の巨大さ)はいかにも恐ろしく、邪魔だったと見えて、難癖をつけますが、直江兼続は有名な直江状を送ります。このときも、兼続は主君景勝に対して「義」を捨てては一国の経営は成り立たないと説き、一戦辞さずと準備します。陣をしいて待ちうけますが、石田三成のクーデターで徳川軍が引き返してしまいます。もし、会津上杉征伐と呼ばれる戦いが起こっていたら、上杉が勝った可能性もあったと思います。それほど、上杉は石高以上に殖産興業によって強大であり、周囲の戦国武将に信用がありました。

関が原の戦いで徳川家康はほぼ日本統一を果たしました。兼続はそれを見て、和平に動き、上杉は米沢30万石に移封となりましたが、このとき、家臣団を整理せずにそのまま上下一体となって、米沢一国の経営にあたります。ここから越後の謙信時代に薫陶を受けた、義と愛の経営、殖産興業(金銀こうぞ紅花藍蘇)につとめ豊かな国造りに励み成功を収めます。
最近有名になった上杉鷹山ですが、この鷹山は兼続の経営を引き継いで、真似たことによって破綻に直面した米沢藩(30万石からさらに15万石に減封されていた)を立て直すことができたと言っても過言ではありません。

慶応義塾の創始者福澤諭吉の言葉に「胸に前垂れ、心に兜」があります。武士道と経済は一体であれとの意味だと思います。今の企業、経済界や政界に求められることではないかと思います。

20日(土)13時BCリーグチケあります。

2009年06月16日 | ぷーさんのつぶやき
今日息子がBCリーグの招待チケもらってきたのですが
その日は法事のためにぷーさんは行けません。

どなたかもらってくれる方いれば連絡下さいませ。
・6月20日(土)13時プレイボール
・アルビレックスVS群馬
・悠久山球場
・大人1枚、子供1枚(もちろん無料でお譲りします)
・受け渡しはご相談の上。
*必要ならさらに数枚は入手可能です



アルビサポの会ではありません(けやき歓送迎会)

2009年06月14日 | けやきの会のこと
6月13日夜は恒例けやきの会「大」歓送迎会でした。
長岡の繁華街からは少しはずれた中華「満福(腹)楼」で会員、学校の教職員、指導員、通所の彩乃さんも出席して30人ほどの超楽しい宴会でした。

何故か恒例になった着ぐるみパーティー


大好きなアルビの11矢野貴章のタオルマフラーでご機嫌彩乃さん



そんなこんなで北野(ゴールキーパー)のユニフォーム姿



今年はバルーン講習もありました。
うまく行ってよかったね!






ナビスコカップ大分戦

2009年06月13日 | アルビレックス!
今日はけやきの会の合同役員会が午前中にありました。
夜には歓送迎会ですが、その間時間がとれたので、
ぷーさんビッグスワンまで行ってきました。

鈴木慎吾のゴールが見られるんじゃないかと・・・
サイン入りのシャツを着ていったのですが・・・残念ながらサブにも入ってませんでした。
「シンゴGO!GO!♪」歌えなかったです。

試合は面白かったですが、結果は2-1で見事に敗戦。
まあ、ナビだし、一次リーグ敗退決まってて消化試合だし・・・気楽なものですが、天地人ダービー(山形戦)以来、勝試合を見てないぷーさんです。

というわけで今日はほのぼのALBIです。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/97/e64bbb225a104d0096ca42225181ff36.jpg

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/e7/7068b223633ac9b8952d22ef2de93775.jpg

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3b/b500a5f6ba807ef7fc7f44e4851f9a78.jpg




けやき祭り#4(の1)

2009年06月12日 | けやきの会のこと
中越沖地震で直前に中止になったけやき祭りですが、今年7月11日復活します。
今回で4回目です。

今年でぷーさんは(正確にはぷーさんの息子が)学校卒業。
何とかインパクトのあるものを残しておきたかったので気合入ってます

そこに乗っかってくれたのが、オグロさん。
広告代理店勤務で、今までも24時間テレビ長岡会場の立ち上げや、第3回けやき祭りに「ベストパートナー」を連れてきてくれたりした盟友です。

さて、今回のメインゲストは以前も紹介した伊藤敏博さん。

さらにオグロさんが活躍中(暗躍中?)で、今日までに決まったのが、

知る人ぞ知る地元FMにいがたのパーソナリティー、大人になれない中年男!「ヤン」がボランティアで司会です。


http://personarity.fmniigata.com/yan.php

そして、今年秋新潟で開催される国体、2009年トキめき新潟国体のイメージソング「ガムシャラな風になれ」を作曲した、「カナデフウビ」がボラで参加してくれます!


http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=kanadefoobi

夢ハウスから1名、養護学校から3名トキめき新潟大会(第9回全国障害者スポーツ大会)に出場する方がいらっしゃるので、タイムリーなゲスト出演だと思います。

まだまだ、けやき祭りには時間があるから、サプライズ
な話題をその都度提供していきます。

ナイショですが、某大手食品メーカーがスポンサーに付いてくれるかもしれません。










今季フリマ第2節

2009年06月08日 | けやきの会のこと
6月7日は大手通りのフリマでした。
今回は雨が心配されましたが、一日曇りで終わって助かりました。

どうも今年は人通りが少なく「これも100年に一度の不景気のせいかなあ」と思ったら、国体のせいだそうです。
何故?

それは秋の国体が新潟県開催なので、運動会が5月下旬から6月上旬に集中しているのだそうです。

さて、今回は前日が養護学校の運動会でもあり、スタッフが少なかったのですが、みんなで頑張りました。
売上は昨年に少し届かない4万余りでしたが、志田パパのバルーンアート200個が貢献して募金が5千円を越えました。



また、飯川親子さんが綿飴を頑張ってくれました。
大変ありがとうございました。

参加者は
志田家3名、下村ママと陽太くん、飯川パパと翔くん、細貝パパさん、小林おとうさん、ぷーさんでした。

おまけ
彩乃さんは「あの落ち着かないフリマ」の中で漢字の書き取りしてました。
ちょっとぷーさんには真似ができませぬ。
ではでは