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古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

大谷翔平 初勝利!!

2023-04-06 08:36:41 | スポーツ


大谷翔平、3番ピッチャーの二刀流でマリナーズ戦


ピッチクロック違反※と気温の低いシアトルで制球に苦しみ、6四死球ながら1失点


6回、111球、3安打、6四死球

1失点、8奪三振


バットでは第4打席で4点目をたたき出すタイムリーヒット


エンゼルス4対3マリナーズ

今期初勝利(⁠θ⁠‿⁠θ⁠)


※ピッチクロック違反とは、MLBで今期から採用されたルール。投手は走者なしで15秒、走者ありで20秒以内に投球動作に入らなければ、ボールが1つ増える。打者は残り8秒までに打席に入って構えなければストライクとなる。




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“ことり” 小川洋子

2023-04-05 15:24:45 | 本(レビュー感想)



『春の東雲のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけのありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。』岡倉覚三(天心) 茶の本 花より


(ネット画像借用)

岡倉天心の詩情あふれる名文です。最新の研究によると、実際にシジュウカラが単語を話し、文法も操っている事が証明されています。



『人間の言葉は話せないけれど、ことりのさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて…』背表紙より



小川洋子の“ことり”は、小鳥の世界と兄弟の世界が交わる境界を描いています。
そこは、小鳥と兄弟の小さく、閉じられた空間ですが、作者は観察者の目で、博物画のように静謐な世界を描きます。


“小鳥の小父さん”と図書館司書の出会いは、恋するもならば誰しも思いあたる、相手のちょっとした言葉や態度を、自分にむけた意味あるサインだと妄想するエピソード。バラ園でのデートを美しく、ちょっと残酷に語る。

兄弟と小鳥のユートピア的世界は、兄の死、弟の失恋で次第に現実に侵食されて行く。


「鳥獣保護法」の改正により、“一切の野鳥の捕獲、飼育を禁止する” ことになったが、その背景には、賭博性がある「メジロの鳴き合わせ」がある。よく鳴くメジロは捕えられ、高値で売買される。


 
“小鳥の小父さん”は囚えられた小鳥を助けなくてはならない…


“ことり”誕生の背景には大江健三郎のご子息大江光氏の存在があったのではないか。
大江健三郎逝去で思い出しました。
小説「個人的な体験」は知的障害のある息子の存在をテーマにしている。

『大江健三郎の息子さんで、作曲家の大江光さんは脳に障害を持って生まれ、幼児期には言葉をほとんど話さなかったが、音の記憶に関しては並はずれた能力を持っていたという。CDに録音された野鳥の声をみんな覚えてしまったそうだ。あるとき、父は軽井沢で6歳の息子が「クイナ、です」と言うのを聞いて驚いた。それが光さんが生まれて初めて発した言葉だったからだ。』ネット記事引用




★★★★☆

小鳥たちの会話に耳を
澄ませてみましょう



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坂本龍一

2023-04-04 06:46:11 | 日記風&ささやかな思索・批評カテゴリー
哀悼
3月28日に坂本龍一氏が逝去されたことがわかった。

謹んでお悔やみ申しあげます。

彼がどのように生き切ったかはこれから語られるだろ。

“散る桜 残る桜も 散る桜”

彼の死を我が死として見つめなくてはならない。
合掌





黒澤明の“生きる”

2023-04-02 07:36:34 | 映画(レビュー感想)

黒澤明の“生きる”の名シーンと
いえば、渡辺(志村喬)が降りしきる雪の中、一人ブランコにのり息を引き取るシーンだろう



ブランコを漕ぎながら、
“ゴンドラの唄”を口ずさむ

“いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを” 



ブランコに揺られ、歌う渡辺の瞳は清澄で幸せそうにみえる


俳句で“ブランコ”は春の季語。古代中国では冬至から105日後に訪れる「寒食節」というものがあり、ブランコを意味する鞦韆(しゅうせん)を女性たちが遊ぶ習わしで、春の季語になっている。

ブランコに乗って、“いのち短し 恋せよ乙女”と歌うのは、春ならば絵画になりますね。

しかし、映画は雪が降りしきる夜。

死にゆく渡辺の目には、街灯に照らされて降る雪は、満開の桜が散る中に、子供たちのはしゃぐ様子が見え、声が聞こえていたのではないか。


西行は、願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と詠み、子供と遊ぶのが好きだった良寛の辞世は、「散る桜残る桜も散る桜」です。


渡辺は、胃癌末期で余命を宣告される。死を眼前に突きつけられ、もちろん辛く厳しいことである。
しかし、人は誰でも産まれた時から「寿命」という余命を宣告されている。誰もが、生きて、死ぬのである。半年後の死は不幸で、10年後ならば、幸福とは言えない。
「死」を意識することで「生きがい」が生まれる。

渡辺は、部下の“小田切とよ”の奔放な生命力と自身の余命から「散る桜残る桜も散る桜」をより強く感じ、「生きる」とは何なのかを知った。

ただし、この桜に対する日本人の感覚は、大戦中の「咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため」となり、“カミカゼ”に利用された記憶は、黒澤らが脚本を書いた、占領下では特に生々しく、忌避すべきものだっただろう。

ブランコにのる渡辺の背広に積もる白い雪は、どうしても散る桜に見えてしまう

さて、渡辺のブランコシーンは“ゴンドラの唄”だが、私なら散る桜の清澄な愛惜に似合う、ヘンデルの“私を泣かせてください Lascia ch'io pianga”を選びたい。
それも、花が愛惜に散るがごとし、ボーイソプラノで聞いてみたい。





映画 “生きるーliving”

2023-04-01 15:14:00 | 映画(レビュー感想)



黒澤明の“生きる”をノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚本を書きリメイクした、“生きるーliving”



1960年5歳で渡英したカズオ・イシグロが黒澤明の“生きる”を観たのは11歳だった
脚本は黒澤の“生きる”を東京からロンドンに移し替えてほぼ忠実に再現している

ノスタルジアか黒澤へのリスペクトか、“生きるーliving”も1950年代の設定とはいえ、スクリーンサイズを横が短いスタンダードサイズだが…


オリジナル“生きる”は、1952年10月公開
「サンフランシスコ平和条約」が同年4月に発効し、アメリカの占領統治が終わった
まさしく、アメリカの占領によって去勢されていた日本国の自治が回復した年だった

1952年のヒット曲を調べると、江利チエミの“テネシーワルツ”と美空ひばりの“リンゴ追分”
ベストセラーは、占領時代を描いた“ニッポン日記”マーク・ゲイン、“千羽鶴”川端康成
洋画では“風と共に去りぬ”がヒットし、青山にボーリング場がオープン、“鉄腕アトム”の連載が始まった

アメリカの占領下でアメリカ文化が日本を席巻してきたが、日本サブカルチャーの先駆“鉄腕アトム”の連載、“千羽鶴”のベストセラーなど、生活にある程度の余裕も生まれ、日本発の文化が享受され始めた時代


“生きる”あらすじは、『』はウェキペディア引用

『市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。』


市民課長 渡辺勘治(志村喬)

『ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。』


医師から余命宣告を受ける


『そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。』


小説家(伊藤雄之助)

『その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを、とよに渡辺が伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。』


小田切とよ(小田切みき)


『それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績を讃え、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。』



『通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺を讃えていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。』


★★★★★


“生きるーliving”


山高帽をかぶり役所に通勤する
主人公



雪の夜、一人でブランコをこぐ
主人公




★★☆☆☆

黒澤明のオリジナルを観た人は、“生きるーliving”にかなりの違和感を感じるのではないか

志村喬の市民課長は、“事なかれ主義”に染まった、うらぶれた冴えない老公務員だが、“Living”は1953年のロンドンを舞台に、ビル・ナイが演じる老官僚のウィリアムズは、“事なかれ主義”でやる気はないが、山高帽をかぶり、三つ揃いの紳士然とした姿は、くたびれた志村喬とは対象的だ

“生きる”は、敗戦後アメリカに占領され“事なかれ主義”を強いられた日本の象徴である志村喬の市民課長
死を宣告されて初めて「生きる」ことの意義を見出した

一方のウィリアムズは、同じ公務員でも勝戦国イギリスのジェントルマンだ、“生きる”が描く敗戦、占領、解放の状況・環境とは対照的

同じ時代、同じ年代、同じ公務員でリメイクするのは最初から失敗が見えていたのでは…


この映画で、黒澤明監督の“生きる”が注目されて、オリジナルを鑑賞する人が増える事を期待します